エジソンが、アインシュタインが、ライト兄弟が
言われたことをやるような人だったら、あのような成果を出せただろうか?
言われたことを上手にできたら良い評価
それが学校での成績なのですが、果たしてそれは何のため?
もちろん、言われたことをやってくれる人は、社会でも必要です。
でも、言われたことができる能力と、思ったことを実現する能力は違う。
大抵の学校では、言われたことができる能力を伸ばすことのみに注力しています。
思ったことを実現する能力を伸ばすシステムはほとんどありません。
それは難しいからかもしれません。
だって、そういうのって、特定の「型」によってできることではないから。
「思いを実現する」なんてのは、特定のセオリーとか理論でできませんからね。
なので、そういうのは今の学校というシステムには適切ではないのでしょうね。
まぁ、欲を言えば、言われたことも、言われてもいないことも、どちらも高いレベルでできたら結構なのだけど、大抵は無理ですね。
恐らくそれらは、求められるものが違うのでしょう。
そもそも「思ったことを実現する能力」に従って行動すると、どうなるか?
当然ながらそれは「自分の」「思ったこと」をやろうとするので、現代の「教育・指導」という、「言われたことができるようにする」ってのと相反することになってしまう。
なので、恐らく「思ったことを実現する能力」ってのは、教育の現場では面倒なのですよ。
言われたことをやらないわけだから。
それに、他人の思いなんて見えないのだから、数字にして評価できないし。
もちろん、教わる側もその辺は分かっていて、面倒は避けたい。
どうしたら良いか具体的に示されることが点数になるのだから、それだけをやりたい。
夢なんて持っていたって、成績には関係ない。
言われたことをキッチリやろうとすると、夢が無くなっちゃうなんてのは、当然なのかもしれませんね。
でもこれは大問題ですよ。
だって、誰もハッピーにならんのだから。
このネタは長くなりそうです。
つづく