将来やりたいことがあるから学校を選ぶ
本来はそうあるべきですよね。
出も最近は
学校に入ること自体が目的になっている
そんな気がしませんか?
本来、学校を選んで行くのも、そこで学ぶのも「手段」のはず。
根本にあるのが、曖昧で抽象的な希望でも良いと思う。
むしろそれが大事だとも思います。
というのも、ヘタに理屈で固められた目的だと、その理屈が崩れてしまったら継続する理由が無くなるから。
なので、ゴールは曖昧で抽象的なものでも良いのではないかと思うのです。
「好きだからやってるんだよ」
それでも十分。
そのために進路を選んだり学ぶのも大いに結構。
というか、健全でしょう。
ゴールを設定せずに、言われたことをやって、それを続けて…
で、何とかなるだろうってのは、大変もったいないと思うのです。
もちろん、そういうやり方全てを否定するつもりはありません。
そういうやり方で社会に出ても、やりようはあるでしょうから。
やってることを好きになって、成果が出るってのもありますし。
でも、もっとやりたいことをやる人が増えないと、世の中アンバランスになるのではないかな。
もちろん前提としては、利己的じゃダメですけどね。
自分の「好き」と、世間の「価値」を結びつけないとね。
もしくは、自分の「好き」が、世間の「価値」になるところまで突き抜けるとか。
やはり力を発揮できるのって、好きなことをやっているときですから。