ホンダ主催の講習会見学

今日はホンダ主催の、Formula SAE参加校向け講習会にお邪魔していました。
学生達とともに朝6時に大学を出て、帰ってきたのは夜の9時。
場所はモビリティリゾートもてぎ。旧ツインリンクもてぎです。

講習会は、サスペンションアライメント講座と銘打っていますが、実質的にはレーシングマシンのサスペンションを開発を前提とした、実践的な内容の講義と実技。
講師陣は、元F1マシンの開発者を含め、エキスパート揃いの豪華な布陣。
現在は皆さん現役の開発現場には籍を置いていませんが、リタイヤした後、またはそれなりの地位に就きながら、今回のように次世代の開発者となる若者達に指導されています。

で、今回は、以前お世話になった知人が講師をするということで見学に行ったのでした。
想像以上にレベルの高い、とてもためになる講習会でした。

この講習会に教材として使われていたのが、私がかつて開発に関わらせて頂いた小型レーシングカーのSide by Side。いやぁ、懐かしい。
20数年前にモーターショーでデビューした後、14台ほど生産されましたが、現在はわずか2台を残すのみだそうです。
それらが次世代の開発者を目指す若者の役に立っているのは嬉しい限り。

一通り講習会を見学して思ったのは、教育はこうあるべきだよなぁ、ということ。

大好きなレーシングカーについて、エキスパート陣から少人数に対する指導。
単に言われたことを聞いて覚えるのではなく、自発的に手を動かして頭を使ってコミュニ-ションを取って、本当に欲しいものを取りにいく感覚。

こうやって手に入れたものは、書籍やオンラインでの学びでは得られないものばかり。
ましてゴージャスな顔触れの、本当にトップクラスで活躍していた元開発者と直接対話して貴重な情報を手に入れる。
普通こんな機会はありません。学生達が羨ましい。
こうやって手に入れた知識やスキルは、一生忘れないでしょうね。

この講習、一人の教員から、数十人に対して一方的に講義して、言われたことを覚える・やる、といった、いわゆる学校の授業とは対極だなぁ、と思ったのでした。

イメージの力

意思とイメージが争う場合、必ずイメージが勝つ

アメリカの哲学者 ウイリアム・ジェームズ

これ、どういうことかというと
我々の行動は潜在意識にコントロールされているということです。

頭ではやらなきゃいけないと分かっていても
嫌だなぁと思っていることはできない
そんなものでしょう?
そういうことです。

分かっているからといってできるわけではない
思いが実現するのです。

妄想野郎はうまくいくってことです。
とはいえ、行動が伴わないとどうにもなりませんけどね。

あとは、どうせやるならやることを好きになる工夫が大事とかってことです。

そんなことできっこない
これはイメージ。

きっとうまくいく
これもイメージ。

同じやるなら、良いイメージを持っていた方がうまくいくのは当然。
我々は機械じゃありませんから。

それに、うまくいくと思っていれば、うまくいくまで諦めないでしょうし。

プラス思考の力ってのはそんなもの。
実にシンプルで、ちょっとしたことかもしれないけど、とても大事なこと。

視野を広く できることはできるうちにやっておけ という話し

学生は効率よく問題を解いて正解を得たい

そうでしょうそうでしょう。
自分が学生の頃を思い出してもそうだったかもしれない。

効率よく正解に近づくためには、余計なことはしたくない。
効率が良いってそういうこと。

すると何が起きるか

最初からいかにフォーカスをするかということになる。
つまり、視野を制限すると言うこと。
もちろん、余計なものが目に入らないように。

しかし!
そのアプローチには問題がある。

視野を制限すると言うことは、考える対象の要素は最小限になっているということ。
正解を探すなら、どんどん絞っていって、正解にたどり着くイメージでしょう。

でも、その絞った視野の中の最小限の要素を検討対象にすると何が起きるか?

そもそもの比較対象が少ないため、選定したベストと思われるものはショボかったりする。

まぁそれは良いでしょう。
本当は良くないけど。

でも、成長過程においては、もっと大きな問題がある。

そもそも経験の数が少ないため、後に活かすことができない。

これが最大の問題だと思う。

過去の自分を振り返っても思うことだけど、若いうちは楽したいという欲望が強いので、効率を求めれば求めるほど、後に使える引き出しの少なくなるという、効率の良くない成長期を過ごすことになりがち。なんという皮肉。

自分の場合は、残念なことに高効率を達成できるほど出来が良くなかったので、幸か不幸かその時は無駄と思える余計な経験が沢山できて、引き出しはそれなりに増えた気がする。

そういった経験を重ねているときは、そんなものが後に役立つなんて思いもしなかったけど。
今にして思うと、無駄な経験って無いもんだなぁ、と思う。

楽しそうだけど、やってみたらしんどかったとか、ヘマばかりしたとか
理不尽とか恐怖を感じるとか

その時はポジティブな感覚は得られたり得られなかったり色々だったのだけど、その全ての経験が今の自分を作っているわけで、構成要素が少なかったらつまらない人生になっていたろうな、と思う。

スティーブ・ジョブズが言ってた「点と点が繋がる」ってこういうことなんだね。なるほど。

とはいえ、こんなことを学生達に言ったところで、果たしてどれくらい伝わるのだろうか?
ほとんど伝わらないだろうなぁ
とは思うのだけど、それをやるのが年長者の役割なのでしょうね。