やりたいことをやってみて
「うーむ、分からん
けど何とかしたい!」
ここで学べば良いと思う。
なので
「何とかしたい!」
と思えるようなことに取り組むことが前提です。
これは超重要!
で、行き詰まったピンチの時に
それぞれ必要な事に対応する専門家から学べたら最高だと思うのです。
学校には、それを実現するためのリソースはあります。
ただ、本当に自分が欲する時に、必要な専門家から教えを請う構造にはなっていません。
各人それぞれのやりたいことには対応できず
必要かどうかにかかわらず、全員に同じような知識が供給さる構造。
教える側からの視点では高効率化されていますが
教わったものが本当に身に付いているわけではない
と言う意味では低効率ではないでしょうか。
テストが終わったら忘れちゃうものね。
それに、そのような環境で受け身の姿勢を身に付けた結果
自ら学ぶ”エンジン”は手に入らないでしょう。
教わるが分からしたら
最も必要な時に必要なものが手に入る
となっていれば高効率です。
必要に迫られたときに手に入れて
実際に使った知識は忘れません。
もちろん基本的なことを知っておく必要はあります。
なので、受動的に多くの「知識」を身に付けるのも大事でしょう。
(義務教育レベルの内容は、誰もが知っておくべきことでしょう)
しかし、何のためか分からない状態で
とにかく沢山知っておくことが良いかというと…
人にもよるとは思うけど、それでは動機が不十分で
結果として教育の効果も中途半端になるのでは?
最も必要な時に必要なものを手に入れる学びは能動的で
結果として、多くの「学び方を」を身に付けることになります。
ただしこの場合、従来のような
何に使うか分からない難解な学問
を手に入れる機会は最小限になるでしょう。
けど
「自ら学ぶためのエンジン」を手に入れられるわけで
そういうのもアリなのではないかな?
と思うのです。
