チャレンジする学生にとっての難しさ

学生がコンペティションのために
ものづくりをする上で難しいことがあります。

色々あるでしょうけど
その一つは環境への適合ではないかと。

どういうことかというと
高校まで普通の学生生活を送ると
既存のシステムに適合した考え方を持ちます。

そのシステムは、学生を管理するためのもので
ルールに従うとか言われたことをやるとか
そういったことです。
そこから外れた変わった考え方や、やりかたは適合できません。

学生のコンペティションとはいえども競争は競争で
コンペティションでは、他と同じでは競争力を持てません。
競争力は優位性です。

マシンを作る上でレギュレーション(競技規則)を守る必要がありますが
レギュレーションは開発の説明書ではありません。
その規則の隙を突いて
禁止されていないところに優位性を構築する必要があります。

こういった考え方ややり方は
学校ではアウトローです。

「いくら規則に書いてないからと言って
やっていいわけじゃないでしょ!」
学校ならそう言われて怒られます。
管理上面倒だし、倫理上の問題もあるから。

コンペティションでは禁止されていないことは
「やっていいこと」です。

学校ではルールを守っていれば褒められますが
コンペティションでルールを守るだけのマシンを作ったら馬鹿野郎です。

もちろんレギュレーションは尊重する必要はあります。
特に安全面に関することは本質的なところを理解すべきです。

そういったところと
競争面での優位性に関わるところの切り分けは
経験とセンスが必要かもしれません。

でも、誰も気付かなかったところに力を注いで
パフォーマンスを上げたら
誰も怒りません。

むしろ
「おぉ、そんなやり方があったのか!」
と賞賛されるでしょう。

ものごとの考え方もしかり。

学校では基礎的なことを少しずつやって、積み上げて
応用に持っていきます。

ロクに勉強ができない者が
高いゴールやターゲットを定めると
身の程知らずと言われるかもしれません。

コンペティションでも基本は大事ですが
チマチマ積み上げていたら
いつになったら自分達の欲しいものが手に入るか分かりません。

チャレンジャーは、まだ勝っていないわけですが
勝つことをゴールに定めなければチャレンジャーではなくて
始める前から敗者確定です。

ターゲットを定めたら
そのために必要な方法は自由に選べます。
基本なんて、すっ飛ばせるならすっ飛ばしちゃって
その先に行けるなら行っちゃってもOKです。

もちろん基本は大事だったりもするので
必要なところはつまみ食いすれば良いし
それで足りなければ頑張って勉強すれば良いでしょう。

こんなふうに、学生がチャレンジをすると
色々と環境が変わるわけです。
しかもかなりドラスティックに。

その辺への適合は、真面目なコほど難しいのかもしれません。
このあいだまで褒められていたアプローチが通用しなくなるのですから。

ですが、そういう難しさに直面するのは
彼らにとっては成長のチャンスです。

乗り越えるのは困難だったりしますが
一度乗り越えてしまえば変化への抵抗が無くなって
広い視野や、しなやかさと強さを手に入れるでしょう。

そのために必要なのは何でしょう?

熱意とか諦めない心とか勇気とか
結構シンプルなものだったりしますね。

定型的な知識のような難しさではなく
自分の内面にある
見えない過去の自分と勝負するような
そんな難しさだったり。

そういうのって年齢は関係なくて
ずーっと続くんだよなぁ
と自身思っておりますが。

まぁ、諦めないでやっていれば
そのうち楽しめるようになりますよ。

伸びる伸びないはどこで決まる?

若いうちに大好きなことにのめり込んで
一所懸命になった経験があるか否かが将来を決める

そんなことを実感する今日この頃。
実感するというより確信してます。

他に与えられたり指示されたりではなく
自発性を持って動けるか
ということであり
自分がやりたいことに対して
強い思いを持って行動できるのか?
ということでもあります。

言われたことに真面目に取り組むことができる

そんな資質も重要でしょうし
言われたことを真面目にやってくれる人は貴重です。

でも、冒頭のような経験を持つ者は
言われたことをやるのが苦手です。大抵は。

アイデア勝負の世界では
強い思いや自発性が無いと話になりません。

その辺は、学生がレーシングカーを作ってたりするのを見ていると良く分かります。
というか、そんなのは見るまでもないかもしれませんが。

なので、子供の頃から
言われるままに勉強して
言われたことを真面目にやる
というような経験しか無かったとしたら
クリエイティビティが必要とされる世界では
それでうまくいくなんてことはありえないと思っています。

本当は、幼少の頃から好きなことにのめり込んだ経験があれば最高なのでしょうけど
今の世の中そうもいかないでしょう。

最近の子供達は、創造的でムチャクチャな遊びのフィールドは無いし
習い事や塾で忙しいし。
好きなことといえばゲームでしょう?
(アレは他人が作って与えたものですから
独自性は無いし、いくら好きでのめり込んでも限界があります)

だからって諦めてしまうわけにもいかないでしょうから
大学でやれるだけやって欲しいのです。

平均寿命も労働寿命も延びているのだから
遅すぎるということは無いでしょう。

しょうもなくて何が悪い?

普通じゃないと心配?
変わってないと面白くない?

あなたはどちら?

今、著名なF1マシンの設計者である
エイドリアン・ニューウェイの自伝を読んでいます。

まだ読み始めたばかりだけど面白いです。
実に面白い。

以前読んだ、バート・マンローの生涯を書いた伝記も面白かったですね。
(※バート・マンロー:映画「世界最速のインディアン」のネタ元となった人物)

偉人伝などでは、よくエジソンなどが引き合いに出されたりするけど
結構多くが、しょうもない幼少期を過ごしていたりします。

この幼少期のしょうもない行動は
自分の興味を最優先として多くの経験を重ねている
という重要なプロセスなのでしょうね。

何に対して優先されているかというと
他に及ぼす影響と、そこからくる評価・評判だったりすることが多いのではないかな。

要は、自分の欲求を最優先して人の迷惑を顧みない
ということにもなるかかもしれませんね。

これ、いい歳した大人になってからやると
ちょっと問題かもしれませんが
幼少期になるやら多少は許される部分はあります。

いや、いい年しても変なことを散々やってた人達もけっこういるな。
バート・マンローなんて好例ですね。
なにせ78歳で亡くなる直前まで速度記録の現役ですから。

そんな人達に共通するのは

変なことをしてひどい評価をもらう恐怖
人と同じこと・同じ生活ができない恐怖などなど

そんな外部の物差しに適合できない恐怖に
フォーカスしていないということじゃないかな
と思います。
というか、これは確信です。

レースだって、成績という物差しに…

いやいや、そもそもレースは普通にやったら負けなんで
あれはアウトサイダーの集まりですから(笑)

なので、夢工房では
しょうもないことをドンドンやって欲しいのです。

失敗を恐れて決められた正解を探すようなやり方は
はっきり言って時間の浪費です。

アイデアなんて最初は
しょうもないものだったりするのですから。

最近の堅苦しくて狭苦しい世の中には少々辟易していたりしますが
そんな中でもできることはあるはずです。

Formula SAEや模擬惑星探査機のイベントは
数少ない自由で貴重なフィールドの一つだと思っています。