夢工房の現状を振り返ってみると…

夢工房では何をやっているのか?
その辺をちょっと客観的かつ大雑把に見てみると…

異なる年齢層が一所に集まって、一つのゴールに向けて力を合わせて、主体的に努力している
より高い成果を得るために
継続するために

そんなことをやっています。
これは、彼らが社会に出た後に、絶対に必要になることです。

「学校で」という枠を外して見てみると、会社で仕事をするうえで必要となることそのまんまです。
彼らは、それを日常としてやっています。

やりたいこと

やるべきこと
が一致しているからこそ、日々頑張れるのでしょうね。

やりたいことを気が済むまでできる環境というのは、なかなか無いので貴重でしょうし、そもそも、そういう風にやりたい学生達も貴重です。
そういう環境を許容している学校自体も貴重です。
それらが融合している現状は、奇跡のようだと思います。

私は、こんな学生達の面倒をずーっと見てきました。
気付けば4分の1世紀です。
お陰で色々なことが分かったのですが、問題はそれをうまく言語化できないのです。

もちろんそれは、能力の問題もあるでしょうけど、どうも大事なことは言語や形式の外にある気がしてなりません。
とはいえ、頑張ってそれらを見えるようにしなければ、とも思っています。

いつやるか?

「やりたいこと」が「やるべきこと」になったらスタートしよう。

いつかそのうちやろう
なんて思うかもしれないけど、きっとそんな時は来ない。

自分がやりたいことをやったことがある人の話は参考になるかもしれないけど、当然ながら、やったことも無い人の話は参考にならない。

他人のアドバイスはありがたいかもしれないけど、自分と他人は違うのだ、という前提を忘れないように。

結局のところ、自分が信じたものが一番大事だということ。

やりたいことをやった結果、後悔するかどうかは分からないけど、きっと成長する。
やるとわかること、やらないと分からないことがあるから。
その経験はきっと活きる。

やりたいことをやらなかった後悔は、絶対にどうにもならない。
やらないことによって得られることは無い。

創造的って何なのだ?

新しいものを作るなら、創造性は大事です。

でも、そもそも創造って何だ?
という話なのです。

最初に、色々考えた末の私なりの結論は

想像したもの、つまり抽象的な概念を、具体的にする行為
ではないかと。

簡単に言うと
「こんなのあったらいいのになー」を形にするプロセスだろう、と。

で、創造性の対になるものは何だ?
と考えると、何かアイデア浮かぶかな?
と思って考えてみました。。

まず、既存の知識を用いるってのは、創造的ではない…ような気がします。

しかし、既存の知識をどう使うかにも創造性を活かせるわけで。
なので、既存知識の適用は、非創造的とは言えませんね。

どうやら知識の問題では無いようです。

「思考停止した適用」は創造的ではないですね。

  • 考えずに使う
  • 考えずに従う
  • 意味を考えずに守る

これらは知識とか能力の問題ではなく、姿勢の問題です。
価値観かもしれません。
そして単なる習慣かもしれません。

どうやら

  • 考えたくない
  • 楽したい

の優先度が高いとダメなんですね。

そしてもちろん

  • 間違えないこと
  • 怒られないこと
  • 前例から外れないこと

のように、ゴールが無難な方に向いているものは創造的で無かったりします。

でも
「どうしても楽したい!
一体どうしたら良いのだ!!」
と必死に考えて、工夫する領域まで行けば別でしょうが。
技術の発展なんて、そんなのが根底にあるものもあります。実は。

さて、話を戻して
「創造」とは
抽象的な概念を、具体的にする行為
であるとすると、創造性は、その行為が起きやすい在り方とも言えるかもしれませんね。

絵が描ける人が創造的とか、アイデアがポンポン出る人が創造的なんて思われがちです。
しかし、本質はむしろ
「これって本当にそうか?」
「他の見方はないのか?」
と疑ったり、立ち止まることができたり
「うまくいかない理由」
を面白がったり
そんなふうに、自分の外の世界への向き合い方だったりしませんかね。

創造的な人の特長って

  • 変な疑問を持っていたり
  • どう表現すべきか分からない違和感を放置しなかったり
  • 皆がスルーするところで立ち止まったり

そんな感じではないですか?

ともかく、総じて個性的で主体的という気がします。そして自由。
そんなの学校でどう教えたら良いのでしょうね。

…教えちゃダメなのかもしれませんよ。
教えたら、そうなれないでしょうから。