今後の教育のあるべき姿は? その2

いや、本当に大層なタイトルですね。

どうあるべきか?
なんてのは、一つの正解があるわけではない
…というのが、そもそも答えだったりする気がします。

あれ?もう答え出ちゃった??

さて、今や50%以上が大学へ進学するご時世です。
という時点で、多様性を失って、一点に収束している気がしてならないのです。

まぁ、学校というビジネス的には、成功の方向に向かっているのかもしれません。
もっとも、この場合は、学生が沢山集まって儲かる、というのではなく、少子化の状況下で、学生が集まれば潰れなくて済むといった、あまり前向きでない状況ではありますが。
そして、皆が成功しているわけでもありませんが。

さてさて、ここからは私の勘なのですけど…

この、多くが大学に進学する状況というのは、皆が「同じようになりたがっている」という状況ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

「同じように」ということは、当たり前ですが違いを嫌うわけで、違いが無いということは、特に優位性とか独自性を重視しないというか、むしろそういった状態を嫌う、ということでしょう。

この想像はあながち外れてはいないと思います。
授業などでも、自分の好奇心を満たすために質問する、なんてことはしませんものね。目立っちゃうから。

でも、そういった指向とか行動とかは、環境によって身に付いた習慣によるものだから無意識で発動します。
それは、独自性を持つことによるメリットが感じられないのではないかな。

面倒なことばかりだし、どうせうまくいかない
リスクや労力を払ったところで、それに見合うようなメリットが得られるとは限らない
って。

で、こう思ったのです。

これ、リスクを嫌悪する状態だな、と。
彼らにそう感じさせるのは環境の影響だ、と。

それ、社会の風土がそうさせているのですよね。
彼らはそれを感じて、ごく自然な反応をしているに過ぎない。

「どうせ…」と感じさせるのは、「失われた○○年」の結果と考えれば自然ではないでしょうか。

そう考えると、失敗を恐れ、リスクを回避するのは実に自然です。
独自性を追求したところで、うまくいかなければ単なる孤立をイメージさせるでしょう。
孤立は生存する上で不利です。

結果として
できるだけリスクを取らず、デメリットを取らず、無難に
となるのではないかな。
ごく自然に。

でもまぁ、目先のリスクを回避し続けたら、未来に現れる巨大なリスクに向き合わざるを得ない「究極の選択」がやってくるわけですが。

しかし、ここに来て、その状況が大きく変わろうとしています。
それは理屈ではなく、空気感の問題です。

そう、恐らく今までは理屈に拘りすぎていたのではないかと思うのです。
少なくとも、人の心は軽視されていたでしょう。

理屈が人の心を作るのでは無く
人の心が理屈を作る原動力となるのです。

つづく

今後の教育のあるべき姿は?

そんなのパッと出てくるものではありませんけどね。
でも、大事なテーマです。
我が国の未来に関わる問題ですから。

そもそも学校教育は何のためにやってるの?
というと、そんなのは
社会に出て役に立つ能力を獲得してもらうため
に決まってるわけで。

でも、その「役に立つ」の定義はおざなりにされています。

いや、ちょっと待てよ。

そもそも、世の中の「役に立つ」能力の獲得がゴールなのか?
そうなってるのか?

いや、違うな。
会社に入るため
になってるでしょう。

自分が良い給料もらうため
になってるでしょう。

そもそも仕事って何なのだ?
というあたりから、かなり曖昧で
恐らく多くの学生達は
「仕事量が多いバイトみたいなものだ」
「言われたことを我慢してやるのだ」
と思ってるでしょう。

まぁ、そういう仕事もあるのかもしれないけど。

なので
拘束時間が短くて
福利厚生が充実していて
給料が良い
そんな仕事を探すわけですよね。

そのために、色々覚えて、単位取ってるわけです。

そりゃ、生産性上がらんだろうし、すぐ辞めちゃうのも分かる。

でも、そういう現状を誰が作ったのかというと…
彼ら本人じゃないわけですけどね。

覚えた知識と学歴でメシが食えたら、今みたいな状況にはなってないのですけどね。
結果として現状は、無限の可能性を持った若者のポテンシャルが
もったいなくて、残念なことになっているのですよ。

そりゃ、誰もハッピーじゃないですね。

と、ちょっと極端な見方でスタートしました。
この後、その状況をどのように変えていくべきか
そんなことを考えてみましょう。

つづく

新しい時代に向けて…どうする?

今、考えているのは…
というか、最近ずっと考えているのは…

変化する世の中に適応できる学生を育成する
ではなく
変化する世の中で、自ら変化していける学生を育成する
そのためにはどうしたらいいのか?
です。

どっちも似たようなものじゃないかって?

ちょっと違います。
変化に追従(フォロー)する
のではなく
自ら変化を作り出す
ということです。

そもそも変化するのは難しいことです。
以前も記事ににしましたが、生存本能に根ざしていますからね。
習慣が慣性力として働くというのもある。

これに対して、外部から「変化しろ」とやっても限界があります。
外的動機で行動しても、たかがしれています。

なのでやはり自らの「心」が問題となります。

ゴールを設定できるること
そこに到達するための、熱意とか勇気とか労力とか
そういったものを発動する必要がある。

でも、そのためにはどうすべきか。
答えは無いですね。
だって、新しい時代なのだから。

なので、チャレンジしながら模索していく必要があるでしょう。
それはもう、教員・学生がともに、です。

先生は知っていることを教える
学生はそれを聞いて覚える
そんな時代は終わりです。

さあ、どうする?どうする??
面白くなってきたぞ。