ヤバいときにどうするか

ヤバい状態と言っても色々ありますけどね。

本当に命に関わる危機的な状況もあれば、責任問題とか、自分の望みが叶わなくなるようなこととか。

それぞれに対してどれだけ危機感を感じるかは個人の価値観とか経験値次第でしょうけどね。
中にはピンチが迫るとワクワクしちゃう人もいますしね。

平時のパフォーマンスも重要だけど、ヤバイ状態から脱するために、どれだけ力を発揮できるか、それも大事。

学生のうちにトレーニングをしておいて、社会に出たときの本番で価値を生み出せるようにしておくのが理想です。

追い詰められた状態で、頭をフル回転させるような経験がパフォーマンスを上げるわけですが、自ら望んでそういう状態に突入していくことは無いでしょうね。

なので、コンペティションに挑戦するような経験をした学生はすごく成長するのです。
大抵は終始追い詰められたような状態になるし、好きでやっていることなら逃げるわけにはいかない。
うまくいこうがいくまいが、必ず大きな何かを得られます。
それが海外のイベントならなおさらです。

というわけで、明日はエコランのもてぎ大会です。
今回は珍しく現地の宿に泊まります。

ミッションとタスク

君のミッションは何だ?
そのためのタスクは何だ?

そんなことを考えていますか?

つまり
何のために何してるの?
ということなのですけどね。

ふと思ったのですよ。
言われたことをやっても、そりゃ頭は使うだろうけど、ちょっと違うな、と。

何と違うかというと、例えば…

ゴールを設定して、到達のための自分のミッションは何だろう?
それを達成するためにはどうしたら良いのだろう?
というようなことを考えるのと
タスクをこなすために考えるのでは

同じ「考える」とはいってもずいぶん違うのですよ。

タスクをこなすような時の「考える」は、言ってみれば作業です。
テスト問題を解くなんてのも同じです。
確かに頭は使うのですが、より上位のものごとを考えるのとはだいぶ違う。

タスクをこなせるからといって、ミッションを構築したり、明確化したり、達成するためのことを考えられるかというと、そんなことはない。

ものごとの価値は、設定されたゴールはもちろん、ミッションの質とか内容によって決まるし、そのためのタスクによっても変わる。

でも、上位の概念やそのための思考がダメなら、下位のタスクは成立しません。

下位のタスクをしっかりやるのは大事だけど、それによってミッションやゴールが決まることは無い。

夢工房の活動なら分かりやすいので例に引きましょう。

レーシングカーを作る
とか
レースで勝つ

といったことをゴールに据えると
そのために自分はどうするべきだろうというミッションが決まります。
自分の担当パートはこうあるべきだ
とか
自分のチーム内での在り方はこうあるべきだ
とか。

この辺は創造的な考えで、上位の概念。

そしてもちろんそのためのタスクも決まります。
では、この部品はこういう内容で、こんなスケジュールで開発すべきだ
とか。

この辺りになると知識やスキルを動員した作業的な考えです。

学校の授業で学ぶのは作業的な考え方ですね。
上位の概念は先生が考えて決めているので、学生達はそこに触れるチャンスはありません。

なので、夢工房において最も苦労するのは自ら上位の概念を構築すること。
ここがしっかりしないと、下位の作業はうまくいかないのです。

でも、これまで20年くらい下位タスクをこなすためのトレーニングしかしていなかったのに、急に上位概念を構築する必要に迫られても難しいのですよね。

でも、だからこそ、やる価値があるのです。

そんなふうに一口に「考える」とは言っても色々あるんだよなぁ、と思うのでした。

与えられたもの・失ったもの

便利な時代になりました。
スマホ一つで世界中とつながり、道に迷うこともなく、食べ物も情報も手に入る。
まさに、かつて憧れた未来です。

でも、得たものがあれば、失ったものもあります。

「迷う時間」や「試す勇気」、そういうものが必要無い。
これは効率向上とかリスクの低減になります。

自力で生み出す必要が無く、欲しいものに手を伸ばせば良い。

自分で考えなくて良いのです。
自分で作らなくて良いのです。

するともちろん、そのための能力は不要になります。

そうなったら、誰かが考え、作ったものを手に入れる以外に方法はなくなります。
というか、能力がなければそこからの脱出は不可能。
楽ちんで楽しければなおさらです。

かくして優秀な消費マシーンができあがる。

で、楽しさを手に入れて消費するために仕事をする。
でも、自分で考えて作り出すことができないのであれば、人から言われたことをするしかない。

それも大事な仕事ではあるのだけど、果たしてそれで良いのか?

言われたことをやって我慢して続けて、自分が欲しい「誰かが作った楽しいもの」を手に入れるために、あたかも「我慢代」のような給料をもらう。

そんな人生はイヤだなぁ
と思ったので、エンジニアやったような気がします。

自身で創造して価値を生み出して提供して、何かを得る。
お陰で仕事は楽しかったです。

仕事をしていて「オレは生きてるぞ!」と思える瞬間があったのですが、それは自分が何かを生み出した時でした。

とは言っても、人は万能ではないので、自分にできないことは他に依存するわけだけど、譲れないものはあるわけで。

自分にとって譲れないものは何か?

それが大事なテーマなのでしょうね。

とか書いていて、もっと考えなきゃ、もっと何かを作り出さなきゃ、なんて思うのですよ。
こういうのを考えなくなったら終わりだな。とも。