与えられたもの・失ったもの

便利な時代になりました。
スマホ一つで世界中とつながり、道に迷うこともなく、食べ物も情報も手に入る。
まさに、かつて憧れた未来です。

でも、得たものがあれば、失ったものもあります。

「迷う時間」や「試す勇気」、そういうものが必要無い。
これは効率向上とかリスクの低減になります。

自力で生み出す必要が無く、欲しいものに手を伸ばせば良い。

自分で考えなくて良いのです。
自分で作らなくて良いのです。

するともちろん、そのための能力は不要になります。

そうなったら、誰かが考え、作ったものを手に入れる以外に方法はなくなります。
というか、能力がなければそこからの脱出は不可能。
楽ちんで楽しければなおさらです。

かくして優秀な消費マシーンができあがる。

で、楽しさを手に入れて消費するために仕事をする。
でも、自分で考えて作り出すことができないのであれば、人から言われたことをするしかない。

それも大事な仕事ではあるのだけど、果たしてそれで良いのか?

言われたことをやって我慢して続けて、自分が欲しい「誰かが作った楽しいもの」を手に入れるために、あたかも「我慢代」のような給料をもらう。

そんな人生はイヤだなぁ
と思ったので、エンジニアやったような気がします。

自身で創造して価値を生み出して提供して、何かを得る。
お陰で仕事は楽しかったです。

仕事をしていて「オレは生きてるぞ!」と思える瞬間があったのですが、それは自分が何かを生み出した時でした。

とは言っても、人は万能ではないので、自分にできないことは他に依存するわけだけど、譲れないものはあるわけで。

自分にとって譲れないものは何か?

それが大事なテーマなのでしょうね。

とか書いていて、もっと考えなきゃ、もっと何かを作り出さなきゃ、なんて思うのですよ。
こういうのを考えなくなったら終わりだな。とも。

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