グレーゾーンを突っ走れ

ルールを破るのは論外だけど、ダメと言われていないことなら、やる。
考えないのは論外だけど、考えた末に迷ったら、やる。
やるかやらないかの選択肢があったら、やる。
そういうのは大事です。

チャンスはそこにあるから。

これもレースに教わったことのような気がします。
ただ、モラルに反することはいけません。
レースもスポーツマンシップが重視されます。

グレーじゃなく、明確なものなら、できて当然。
希少性や優位性、ワクワクする何かはありません。
そこに価値は無いのです。

もちろんグレーな領域なら、失敗もするでしょうし、勇気も要るでしょう。
でも、チャレンジとはそういうものです。

「あぁ、あの時やっときゃよかった」
という後悔はしないように。

もし成果に満足いかなくても
「ま、やるだけやったし、しょうがねぇか」
と思えるように。
その経験は、必ず再利用できるから大丈夫。

「やらなきゃよかった」
と後悔するのが怖いですか?

大丈夫。
やり切ってしまえば、そんな後悔はしませんから。
多くの後悔は、やらないこと諦めることから発生するのです。

「考える」って何だ?

最近は、そんなことを考えています。
考えるについて考えてるんですよ。

学生に問題を出して
「よーく考えなさい」
と言いますが、どうも違うぞ、と。
それが全てじゃ無いぞ、と。
まぁ、そりゃそうなんですけどね。

問題を解くのも「考える」なのでしょうけどね。
でもそれは「すでにある解き方を適用する作業」だと思うのですよ。
言ってみれば、手持ちの工具でネジを締めるようなもの
誰かが作ったパズルを解くようなもの
そいういうのが苦手だから負け惜しみを言ってるのかもしれませんけどね。

でも、そこに必要なのは、過去の知識やパターン認識でしょう。
だったら、あながち外れてはいないでしょう。

じゃ、学者さんは単に沢山ものごとを覚えているだけなの?
というと、ちょっと違う。

学者さんは、そういった知識を元に新しい何かを生み出すわけで、想像力が働いているのです。
それができないと学者さんにはなれません。そしてそれを言語化する。
想像力は、今無いものを思い付く力です。

対して、エンジニアも想像力ベースで考えますが、ゴールが違います。
形にするのがエンジニアのゴール。

実は私、肩書きは学者なのですけど、マインドはエンジニアなんですよね。
なので、価値の置き所がちょっと違う。

学者さんは、「まだ誰も知らないこと」を見つける人です。
対してエンジニアは、「まだ誰も実現していないこと」を形にする人です。

学者は「なぜ?」を追求し、エンジニアは「どうやって?」に取り組みます。
もちろん、学者にとっても「どうやって?」は大事だし、エンジニアにとっても「なぜ?」は大事ですけどね。
でも、重心の置き方が違うってことです。

さてさて、二者の違いはこのくらいにして。
重要なのは、与えられた問いについて考えることではなく、自ら問いを立てられるか否かってところだよな、と思います。

与えられた問いについて答えられなければ、留年したりしちゃいますので、そっちも大事なのですけどね。

「自ら問いを立てる」って、別に自分で問題を作れってことではなく、色々想像して「で、どうする?」と考えることです。

「もし、こんなふうになったら?」とか
「他の立場だったら、どう感じるだろう?」とか
そんな想像をして
「で、どうする?」
と。

その先には、あらかじめ決められた正解はありません。
正解が無いと落ち着かない?
正解が無いから面白い?

そしてその「どうする?」の先が、明文化や言語化なら、キミは学者さんになったら良いんじゃないかな。
物体とは限らないけど「もの」であれば、キミはエンジニアになったら良いでしょう。

キミはどっちの考え方が好き?というのが決め手でしょう。

やりたいこと 求められること チャンスの受け取り方

やりたいことをやるのは大事です。
だって、それなら頑張れるでしょう?
でもそれが、それが誰からも求められないことでは、あまりに寂しい。

他からの要求によって、やる。
言われたことってのは、大抵ニーズがあったりするものですしね。
まぁ、そこにどの程度の価値があるかは別な話ですが。

ともかく、それらの交差点が作れれば良いですね。

やりたいことであり、求められることでもある
といったように。

方法としては、やりたいことをやって
周囲に魅力を感じてもらえる状態までもっていく
とか

求められていることを好きになる
とか。

まあ、どちらもアリなのですが、大事なのはそこに自分の気持ちが乗ってくることです。

じゃないと、面白くならないし、継続できないし、他から価値を感じてもらえるだけのレベルにもなりにくいし、それじゃ優位性とか競争力にもなりにくい。

でも、学校では「求められること」ばかりではないだろうか?
つまり、やらされてばかりということ。

これも、そのやらされていることを楽しめるようになれば良いのですが…

そりゃ難しいでしょうね。
だって、それは何のためなのか良く分からなかったりするものね。

それに、やらされることばかりだと、想像力が必要なくなっちゃうので、面白い未来も想像できなくなっちゃったりしませんか?

ともかく、いかに面白くするかという工夫って大事だと思うのです。
そこに拘っていると、不思議とチャンスが巡ってくるものです。

面白そうにやっているヤツって、傍から見れば目立つし、チャンスを持っている人って、どうせチャンスを手渡すなら、面白くなりそうなヤツに渡すに決まってるのですよ。

学校って、全員に同様にチャンスを手渡すのが一般的だから、そういうのを知る機会が無いですけどね。世の中そんなものです。

「チャンスの受け取り方」で記事を書いてみるのも面白そうですね。