価値を生むもの

当然のことながら、「価値を有するもの」は、時代によって異なります。

就職活動をする学生達は、現在のトレンド(現在価値あるもの)にフォーカスして、知識や技術を習得したり、仕事を選んだりします。

これまた当然ながら、現在価値あるものは、過去においては価値が無かった、もしくは存在しなかったものです。

ついでに言うなら、現在価値あるものが、未来においても価値があるという保証はありません。
それを信じて未来を決定するのはギャンブルです。
一般的にそういう進路選定を「低リスクで安定したもの」とされるのは実に皮肉ですね。

つまり、どういう選択をするにせよ、リスクゼロなどというものは無いのです。

私が興味があるのは「価値を生み出す者」です。
そうなるためには何が必要なのか。

知識を伝授する場である学校においては

学業成績が優秀な者
高い学歴を有する者

が高い価値を生み出すと考えられています。
明確に言われることが無いにせよ、そういった価値基準を持っています。
現状は、です。

もっとも、そういう価値の元でないと、今の学業は成立しないでしょう。

確かに高い価値を生み出すために、そういった人材必要でしょう。
でも、そういった人材高い価値を生み出すのかというと、必ずしもそうは言い切れない。

既存の学校の「ものさし」に従うなら、最高学府において成績最高の者が、最大の価値を生み出すはずですが、決してそういうことにはなっていない。
クラスの成績順に高い価値を生み出せるかというと、決してそんなことは無いのです。
そんなことは誰でも分かっているでしょう。

何か凄い矛盾をはらんだまま、モヤモヤ進んでいるのが現状ではないでしょうか?

単に知識の質や量が価値を生み出すのであれば、AIが良いに決まっています。

生成AIが出現し発展する今後においては、知識の質や量の持つ価値は、これまでに対して大幅に低下するのはほぼ確定路線でしょう。

本当に価値を生み出す根源にあるのもは何なのだ?
という問題に対して真剣に考えるべき時が来ていると思います。

その辺を掘っていって、形にしていくのが今年のテーマです。

気持ちの問題 心の問題

こんな風に思うのです。

思いが、気持ちが、つまり心が考え方を決める

考え方が行動を決める

行動が結果を決める

結果は心が評価する

こう考えると、始まりと終わりは心が決めるわけで…
そして、評価がその後を決める。
これらがループするのが人生ではなかろうか?

ただ、「評価」といっても、内的評価と外的評価があるわけで、どちらを重視するかも問題です。
まあ、時と場合による部分もあるだろうし、あまりに極端でもどうかと思うけど、重心がどちらに寄っているか、というところですね。

心は時として疲れてしまうけど
それを惜しめば惜しむほど成長しないのも事実。
自分で勝手に決めるべきものかもしれない。
根拠は不要で、勘違いでも良い。

ただ、チームでやる際は、「勝手に」にも限度があるけど。

そして、心を盛り上げるためにはチャレンジが必要。
惜しんではいけない。

試すのは今だ

法律とかルールは厳然たるものですが、それ以外の善悪とか得とか損とか、大抵のものごとの評価基準は、その人次第だと思っています。
モラルとか価値観に基づく部分ですね。
いわゆる「普通」と呼ばれる評価基準ってのはあるでしょうけど。

我が国は、比較的評価の「ものさし」が画一的だと思います。
多くの人が似たような価値観を持っていて、そこから外れることを嫌ったりします。

それが良いとか悪いとかを安直に言うのは難しいです。

というのも、画一的なものさしを持つからこそできることがあるし、その一方、できないこともあるからです。

そのものさしの基準から外れなければ、多くの人が同じようなことができるということで、それはそれでメリットがあります。

一つのオーダーに従って、皆が同じことをすれば、同じ成果が大量に得られて、コスト低減と品質の安定に寄与します。

一方、そのやり方では、少量で高い加価値を生み出すのは難しい。

そんなものです。
もちろん、少量で高付加価値を生み出す方法では、低コストな大量生産はできません。

どちらが良いと悪いとかいう話ではなく、両者にはトレードオフの関係が効いていて、時と場合に応じて良否が決まるというところでしょう。

ただ、これは理屈の話であって、実際にやるのは人間です。
人間はそう簡単には変われません。

あらかじめやるべき事を決められている環境に慣れている人は、環境の変化に対して
「余計なことはやりたくない」
と思う傾向が強いでしょう。

自由な環境で、自らやるべき事を決める環境に慣れている人は、あらかじめ決められた環境で、言われたことに単に従うことをやるのは難しい。
こういうタイプは、同じことの繰り返しには耐えられない。

現在、この両者のための機会があるかというと、そんなことはなくて、言われたことをやるのが教育だ、というような単一の環境しか用意されていません。

これから世の中が大きく変わるのは、ほぼ確定でしょう。
というか、すでに変わり始めています。

この先どうなるかは不確定なわけで、その先の見えない環境に適応するためには、どういう機会が必要なのか?
果たして今のままのやり方で通用するのか?

まぁ、通用しないのは明白なのですけどね。
みんな気付いているでしょう?直感的に。

で、どうしたら良いのか?
そんなのは誰にも分からないので、誰もあてにできません。
自ら考え、自ら試すしかありません。

試すための機会を、習慣を作っていますか?

安心して良いのは、どうせ正解なんて無いということ。
考えて試して、その結果でまた考えて…
そんなことをしていれば、そのうち何か見えてきますよ。
それを楽しまないとね。