漂流記からの気付き 4

漂流記に関する記事で4日も引っ張れるなんて!
でも、本当に重要なヒントが満載だし
冒険記みたいなものなので
単純に面白いというのもあるのです。

さて、「漂流記」と言うからには
災難に端を発しているわけで
そもそも始まりが困難なわけです。
それも生きるか死ぬかというレベルです。

そして、その逆境に負けずに生存したのみならず
普通では為し得ないことを成している。

普通の少年が困難を乗り越え大きく成長していく
実話としてのストーリーが展開しているわけで
この内容は、学生達の面倒を見る上で
大変参考になると思っています。

今回は二人共通する大事な資質
というか価値観についてです。

それは
基本的にポジティブである
ということです。

遭難したときなどは
ネガティブな心に囚われると
早く命を落とすと言います。

なので、ポジティブなマインドが
生き延びるために重要なのはもちろんです。

そして生き延びたあと
初めての外国人
初めての食べ物
初めての外国の町並み、建物、乗り物
などなど

初めてづくしの中で
それらをどう捉えてどう行動していくか
ここでもポジティブなマインドを持っているか否かで
結果は大きく変わってきます。

初めてのもの、分からないものに対して
どう感じるかによって
行動が変わってくるのは当然です。

疑いや恐れをベースとした考えによる行動を取ったら
結果はそれに応じたものになるのは当然です。

とはいうものの
疑いや恐れの感情は
往々にして本能に近いところに根ざしているので
これを変えるというのは難しいことなのかもしれません。

でも、決して変えられないかというと
そんなことは無いと思っています。

自ら望むビジョンを明確化して
それを実現するための価値観と
今まで持っていた古い価値観と置き換える
そんなことができれば
きっと変えることができると思います。

それができるかどうかはその人次第なのでしょうけど
何もしなければ何も起きないだけです。
待っていても、誰にもどうすることもできません。

果たして今のままで良いのかどうかを考えて行動しましょう。

迷ったり先送りしたりすると
チャンスが1日ずつ無くなってくることをお忘れなく。

この漂流記シリーズは今回で最後にしようと思ってこの記事を書いていますが、この後も他の漂流記を読む予定がありますので、その際に何か気付きがあったら続きを書きましょう。

漂流記からの気付き 3

今回はこんなタイトルで江戸期の代表的な漂流者についてのお話をしていますが、日本人は海洋民族でもあるので、恐らくかなり昔から遠くの国に流れ着いた人達が、想像以上に沢山いたのだろうな、と思っています。

さて、万次郎や彦蔵の漂流記からの気付きの続きです。

前回は、最後に
彼らの義理堅さについて触れましたが
義理堅さの根源には
相手から受けた恩を感じられるセンシング能力が必要です。
感じない恩は返すことはできませんから。

もちろんこういうのは、当時は現代と比べて
何をするにも不便で大変で
一人ではできないことばかりだったことに起因しているとは思います。

実は現代でも、一人ではできないことばかりなのは変わらないのですが
それを感じない世の中になっていると思います。
日常生活や労働、福祉など、様々な環境が整備されていると
自分一人では何もできないのだ
ということを忘れがちになるのは仕方ないのかもしれません。

それに、環境を整えるのための仕事は
組織によって定業業務として回っているので
それを受けていても感謝する対象ではない気がしてしまいますし
一体誰に感謝したら良いものやら
という感じでもあります。

なので
恩を感じる機会も感謝をする機会も無かったり
感謝されることもなく淡々と仕事をしたりと
ずいぶんと寂しい
「徳」などという価値観からは
ずいぶんと遠く離れたところで日々を送っている
そんな気さえします。

恩とか義理で世の中が回っていれば
人の存在意義が際立って
今の世で起きている寂しい問題や
おかしな価値観も
いくらかは解決するのかもしれません。

しかし、人の心を軽視して
環境とか境遇とかはお金次第だ
なんて考え始めると

恩とか義理とか徳とか
そういう価値の根源となるもの自体が見落とされがちになって
本来は、それらが数値化されたお金を直接掴みに行こう
みたいな本末転倒なことが起きますよね。

そりゃ恩のセンシング性能も落ちるでしょう。

そうそう
先日、卒業生が良いこと言ってました。

「先生、お金って感謝が形になったものですよね」
と。

ああ、良いこと言うなぁ。と思いましたね。
お金は価値を数値化…なんて味気ない表現よりずっと良いですね。

続く

漂流記からの気付き 2

なぜ万次郎や彦蔵は
仲間達と同じように救助されながら
特別な経験ができたのか

そこには現在も通用する大事なものがある
と気付いたのが前回

今回は
特別な経験ができたのだから
運が良いのは違いありませんが
その運は、彼らの持つ資質が引き寄せていたのでしょう
というお話しです。

万次郎も彦蔵も
船に乗っていた中では最年少であって
しかも、たまたまちょっと乗ってみた時に難破してしまいました。
よって、知識や経験は仲間の中で最も乏しかったはずです。
なので、実力うんぬんという話ではありません。

彼らの信じるもの、感じることに従って心が動き
その行動の結果が幸運となり
特別な経験になったのでしょうね。

二人とも親のように面倒を見てくれるメンターとの出会いがありますが
そのような巡り合わせも自身の持つ精神とか心に起因しているはずです。

二人の漂流記を読んでいると
結構、共通するところがあります。

例えば
「一緒にアメリカに行くか?」
のような、ひょっとすると将来を
大きく変えてしまうような問いに対しても
「行く!」
と即答できるようなシーンが何度も見られます。
特にアメリカ行きを決める時には
十分に言葉を理解できない状態で
身振り手振りでの意思疎通の段階で決めています。

即決は何事もうまくいかせるものですが
好奇心の強さが未知の恐れに勝っているということでしょう。

現地では色々とうまくいかないことがあったり
やりたいことが出てきたりしますが
その際も即決して行動しています。

もちろん失敗したり利用されたり
ひどい扱いをされることもありましたが
決してめげずに頑張っていると
援助者が現れたりして、最終的には何とかなっている。

素直さと行動力に長けているわけですが
即断即決で即行動するからこそ
成長が早く、現地の環境にも順応できたのでしょうね。

度々出てくるのが、周囲からの親切を実に敏感に感じ取っていることです。
もちろんそれに恩義を感じてその後の行動を取るわけですが
この義理堅さに相手も応えることになるわけで
こういう行動が強力な人間関係を形づくることになったのでしょう。
なので、本当に困ったときには
必ず誰かかが手を差し伸べてくれる。

鎖国の時代は、日本人のステータスなど全く無かった時代ですので
少年である万次郎や彦蔵の持つ「徳」が
彼らの特別な境遇を形づくったということになります。

と、今回はこの辺で。