安穏の時代における挑戦と変革 困難を求めないことの意味

従順でありたい
ってのは、つまり「無難」を望んでいるのではないかな?
なんて思うのです。

違ってるかもしれないけど、この線で話を進めてみましょうか。

「無難」ってことは、「困難から逃れたい」ってことでしょう。
「困難」って何だ?

この平和なご時世…と言いたくなるのは、相対的に平和じゃない状態と比べているわけで、その対象は何でしょう。

「戦争」?
いやいや、そうではないな。
それはちょっと古すぎて、今や比較対象にはならない。

恐らく、今まで人類が経験してきた死に対する恐怖などではなく、平穏で変化があまり無いなりの負の変化…
経済的に困っちゃうとか、儲からなくて負荷の高い仕事をしたくないとか
そういうことじゃないかな。

そういうのに巻き込まれずに、安心・安全に暮らしたい
…のような感じではないかと思うのです。

「なんだよ、そんなことかよ」
と思ってしまいがちですが、「困難」を感じるのは相対的なものです。

ダイナミックな経験を沢山していれば、辛いことや不条理なことも経験するるわけで、ちょっとしたことで折れることもないし、困難の克服こそが喜びとか成功に繋がるのは理解ができるでしょう。

でも、平穏な世で暮らしていれば、比較対象のレンジは狭くなるわけで、ちょっとしたことでも当人にとっては大問題、もう耐えられない、ということになるのでしょうね。

「失敗しても別に死ぬわけじゃないし」
なんてのは、広いレンジの比較対象を持っている人が言えるセリフで、相対的に狭いレンジの経験をベースにしている人に言ったところで、「そういう問題ではない」ということになるでしょう。

そんなことを考えていると、偉人伝などに登場するストーリーには、困難とか失敗とかが山ほど出てくるのですが、そういうのは当たり前だということがよく分かりますね。

さて、ではどうしたらいいか?

比較対象のレンジを広げるには、自ら経験するのが一番だけど、外部からの情報の取り込みで何とかするという手もありますね。

やはり本かな。
他人の経験を参考として取り込むために。
ネットから膨大な量の情報を手に入れるという方法もあるけど、ネットの場合は快楽方向に流される可能性が高いので、結果としてあまり効率は良くないのではないか…なんて思っています。自分の経験から。

でも結局は、本人が望まない限り、どうにもできません。何も変わりません。
人の心はいじれないから。

やはり環境の変化だろうな、と思うのです。
世の流れが変われば流されるでしょう?
流されちゃったら変わるしかない。
というか、意識せずとも変わるでしょう。

なので大事なのは
やる気があるヤツが頑張り続けて結果を出す
ってことに尽きるのかもしれません。
そんな人が増えてくれば、メインストリームの流れが変わるでしょうから。
で、環境が変わる、と。

今日の記事、試しにChatGPTにタイトルを考えてもらいました。
大仰ですね。

もちろん本文は人力ですよ。

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