何のためには多いほどいい

色々学んだりするうえで
「何ができるか?」
というのは重要なことです。

「何を知っているか?」
より上位にあります。

でももっとも大事なのは
「何のために?」
ではないでしょうか。

その理由がないと
やる気になれない
なので
やらないし
できない
ということになります。

ただ
その理由は
決して難しい理屈でなくて良いと思います。

単に好きだったり
よく分からないけど心が動いちゃったり
そんなので良いと思います。

最初は自分自身の喜びのために
やっていても良いのです。
だって学生だから。

でも
徐々に喜びの範囲を広げて行く必要があります。
だって学生だから。
卒業したら
社会のために働くわけですから。

ウチの学生達は
好きなことをやってます。

何のために?

そりゃもう好きだから!
自分たちの将来のためでもある。
でも
それに加えて
支えてくれるスポンサーさんや大学のためでもあります。
支援があってこそ続けられる活動なので
皆さんに喜んで欲しいって本気で思ってます。
(ちょっぴりで良いので世界を変えたいとも思ってます)

支援者が期待してくれる
それに応えられる
これはいずれも喜びでしょう。

学生達と支援者は
相互に喜びという「価値」のループを
回す関係になっていると思います。
もちろん
まだまだ十分に期待に応えているとは思っていませんし
まだままだイケるはず!

では、もし仮に
この活動で授業の単位がもらえるとしたら
大学が無条件で全ての予算を出してくれたら

どうなると思います?

もっと学生達は楽になって
頑張って
成果をあげられる?

いやいや
そんなことないです。

ダメになっちゃうんです。

お金もらって
さらに単位もらってやってたら
単位を取る自分のためだけに
単位を落とす恐怖から逃れるために
「やらなければいけない」
状態になります。

単位取るためにやるって
そりゃ授業と変わらんです。

最大限うまくいっても
単位が取れて
ホッとするだけです。
自分が。

なのでそのうち
「同じ単位取るならできるだけ楽をしたい」
「できればやりたくない」
となります。

そうなったらいずれ
全員でないにせよチーム内に
そういう空気が広がっていきます。

他者の喜びを介在させないようなやり方をすると
やめたり諦めたりするのは簡単です。
単に自分の問題ですから。

普通のクラブ活動としてやっても
恐らく同じような結果になるでしょう。
大学から与えられた部費と
自分たちのアルバイト代などを予算として活動すると
きっとそのうち何のために何をやってるのか
よく分からなくなってくると思います。

で、最終的には
やってもやらなくても自由だ
みたいな感じで終焉を迎える可能性が高いです。

喜びとかなんとか
そんなのきれい事だ!

ってことはないです。
世に向けて価値を発信して成功している企業は
みんなそうしています。
だから生き残っています。

お客さんに喜んでもらえなくて
メシ食っていけるはずないでしょうが。

なので
「何のために」
は、沢山あっていいと思います。

好きこそ物の上手なれ

昔から

好きこそ物の上手なれ

と言いますね。
好きなことは上達するもんだ
といったような意味です。

論語にもあります

子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

あることを知っていても
それを好きな人にはかなわない。
それを好きな人は楽しんでいる人にはかなわない。

ってことです。
まさに真理!

というか
昔からそんなの当たり前だったのです。
にもかかわらず
最近はそんな感じが薄れているように感じます。

工科系の学生は
もちろんそっちの分野に興味があるから
その道を選んでいるわけで
日頃から
もっとワクワクすることに接していれば
もっともっと伸びると思うのです。

現状は
学ぶ内容が自分の価値観に対して
距離を感じさせるようなものになっていて
自ら進んで「モノにしたい」と思えないのでしょう。

技術の価値の根底にあるものって
「動いた!」
「飛んだ!」
「走った!」
「速いぞ!」
とか
とてもプリミティブな感情だと思うんです。

それを支えるために周辺の技術があるわけで
細かい個別の技術がスタート地点ではないはず。

まぁ、中には細かい要素技術が好きで
そういうのが得意な人もいると思いますが。

ゴールが
「うわー!すげぇ!これやりたい!」
というようなものであれば
周辺の知識や技術は
自ら進んで掴みに行くでしょう。

興味を持てない
何に使うか分からない
そんな知識を
とにかく理解しろ
というようなやり方は
ボチボチ限界なのではないかな。

なので
その辺のやり方に関しては
まだまだ工夫する余地があるはずです。

思い込みで良いのです

夢工房で活動している学生
全員集めると20名近くなるのですが
週に2回ほど皆で
オンラインでミーティングをしてます。

先生が学生に訓示をする
なんてのではなく
皆で色々なテーマについて話をしています。

今日は
夢を叶えるためのスタートは
思い込みでも良いよね。
というような内容でした。

学生達は
それぞれ色んな夢を持っています。

それが何であれ
現在の彼らからは距離がある目標です。
つまり
現状は、まだまだ不十分。

今まさに
そのためのことをやっているのだから当たり前です。

その
まだまだ不十分な状態でも
目指しているものを目指していると言って良いし
勝手に「そうなるのだ」
と決めてしまって良いよね
思い込みでも勘違いでも良いよね
というのが今日の話し。

そんなふうにゴールを未来にセットして
それから現状を見ると
ギャップが見えます。

ゴールへの欲求が強ければ強いほど
現状が不十分であることが明確になる
すると
何が足りないか見えてきます。
あとはそれをやるだけ。

ここで
思い込みが弱いと
ゴールと現状のギャップは曖昧なままです。
なので、何が足りないか
どうしたら良いかは見えてきません。

逆を言うなら
思い込みを弱いままにしておけば
何もする必要は無い
ということになります。

自分の持っている大きなギャップに対して
その大きさに負けてしまったり
そんなのできるわけないとかなんとか
そんなことを言ってくる者がいたりするんですが
そんなの気にしても何も良くならない。

でも
そういうのが怖かったりするんですよね。

なので
やはり勇気が必要ってことですね。

頑張れ!頑張れ!!

奇跡の国の若者たち

自分が住んでいる国は
自分にとっては当たり前で
それが基準なわけだから
別になんとも思わない
それが普通かもしれません。

しかし
我が国についてよくよく考えてみると
こりゃ凄いな
と改めて思うんです。

だって
たいして資源らしい資源なんて無いですよね。
それに島国なわけだから
他国の情報を入手するのは
いちいち大変なはずなのです。
今はネットもあるし、飛行機もあるので
さほど不利ではないですが
かつてはかなりの日数をかけないと
他国の文化なんて知ることすらできなかったはず。

そんな状況から発展していって
こんな水準を保てている国はそうそう無いです。
生活のレベルはもちろん、文化や技術もしかり。

むやみに
日本サイコー!
とか言いたいわけではないのだけど
冷静に考えてみると凄いと思います。

ここまで発展したのは
先人の努力によるものなのですが
それにしても良くやるなぁ
と思ってしまいます。

現状は
バブルがはじけた後に
失われた20年とか
色々あったりして
自信を失っている部分もあると思うのです。
加えてコロナ禍ですものね。

ですが
現状を悲観したり卑下したり
暗く悲しい気持ちを持って何かをやっても
うまくいかんと思うのです。

きっと我々の先人たちも
危機感とかはあったかもしれませんが
悲観的な気持ちで
色々やってきたわけではないはずです。
そんなんじゃうまくいかないはずです。

なので
前向きな明るい気持ちで行きましょうよ!

なんてことを改めて思ったりする今日この頃。

というのは

私が面倒を見ている学生達
毎日オンラインで
超頑張ってます。

学生の活動なんだから
気が向いたときにボチボチやってんだろ?
とか思います?

いやいやとんでもない!
朝から晩まで毎日フルパワーですよ。
さすがに週末は休んでるようですが。

最初の緊急事態宣言が出てから
ずーっと
そんな調子でやってます。
もう1年くらいになりますかね。
よーやるわ。

なので
オンラインで
できることを伸ばしまくった結果
新人の1年生は
超絶に成長しまくってます。

で、彼らを見ていて思うんです。
ろくに経験が無い連中が
クルマ作ったり惑星探査機作ったり
してるわけなんですが

経験が無いから
自信が無いから
ということを理由に
自信なさげな表情とかしないんですよね。
超元気!

あぁ、それがうまくいく秘訣か
と。

そんな表情だと
周囲の連中は
「これはイケるわ!」
と思って頑張るんですよね。
それがチームで連鎖してる。

もう毎日オンラインで
「行っちゃえ!行っちゃえ!!」
「やっちゃえ!やっちゃえ!!」
ですよ。

普通は、自信が無かったりすると
それなりの表情になるじゃないですか。

その表情見て
「力になりたい」
って気持ちにはならんのですよね。

「あぁ、大変なんだったら
その辺にしておいたら?」
なんて思ったりしてしまいます。

表情とか元気とか
ちょっとしたことなんですが
そんなことが環境を作っていくんですね。

日々、学生達から学んでいます。

私はこうしてクスリをやめた

今年もボチボチスギ花粉の季節がやってまいりました。
花粉症の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
紛らわしいタイトルで済みません。

私はスギ花粉症です。
いつから症状が出たのか全く覚えていませんが
ずいぶん昔からなのは間違いないです。

でも、ここしばらく
20年以上、薬を飲まずに過ごしています

薬飲むと眠くなったりするんですよね。
副作用がない薬なんてないでしょうから仕方ないんですが
仕事やレースに影響出ちゃうので何とかならないかな
と思って工夫してきました。
オフロードレースをやってたときは辛かった!
なにせ会場は山の中が多いんですよ。
当然、周囲は杉の木ばかり。
でも薬飲むと判断力が低下しちゃうので
困ったもんでした。

とはいえ
いざレースが始まると症状は治まることがほとんど。
アドレナリンのせいだったのかな?
もちろんレース後は体力が低下しているので
涙と鼻水とくしゃみで
より一層、悲惨な状態になります。

ちなみに以前
バイクで一時停止して
クラッチをミートして発進する瞬間に
くしゃみをして
エンストして
立ちゴケしたことあります。

そんなこんなで
何とか薬を飲まずに
特別な治療もせずに
症状を和らげて
あわよくば治してしまう方法はないものかと
色々工夫してきました。
ぶっちゃけ
自身で人体実験することを楽しんでた節がありますが(笑)

それほど特別なことをやっているわけではないと自分では思っているのですが
試したのは、ざっとこんな感じです。

まず最初に試してみたのはメンタル面
花粉症の症状が出ると
イライラしてたりしたんですが
そうすると何が起きるか?
そう
症状が悪化するんです。

ではどうしたか?

花粉症を許すことにしました。
「まぁ、しょうがねぇか」
「そもそもこんなに杉の木があるのも
我々人間様のせいだからね」
と。

メンタルを軽視してはいけません。
明らかに体調に影響ありますから。
ひょっとしたら
これが一番効果があったかもしれません。

次に食生活です。

糖分を必要以上に摂らない
おなかいっぱい食べず腹八分目にする
肉を必要以上に食べない
なんてことを試してました。

何か根拠があるのか
と言われたら…
まぁ思いつきなんですが。

あとはヨーグルト食べるとか。
これは結構やってる人いるんじゃないかな。

変わったところでは
オーストラリアの「ベジマイト」ですね。
これはパンに塗るスプレッドです。
ビールの絞りかすとか野菜エキスと岩塩で作られていて
ビール酵母とかビタミンBが豊富に含まれているそうです。
オーストラリアのソウルフードですが
癖が強いので
これを許容できる日本人は少ないかもしれません。

ケミカルの摂取を減らす
なんとこともやりました。

レースやってると
ガソリンの蒸気とか
パーツクリーナーとか
何かと有機溶剤とかケミカルに触れる機会があります。

なので日用品を見直しました。
ガソリンを使わないわけにはいきませんから。

まずシャンプーやボディソープなどの
液体の洗浄剤をやめました。
含まれる界面活性剤が体に悪いと思ったからです。
日用品メーカーの研究者も
シャンプーは体に悪いから
といって使わない人もいるそうです。

界面活性剤って、油と水が混ざるようにするケミカルですよね。
毛根から体内にケミカルが入るきっかけになると思います。
なので固形の石鹸を使うことにしました。
髪を洗うのも石鹸ということです。

面白いのは
はじめの1週間くらいはギシギシしますが
その後は全く問題なし。

どうやら
シャンプーの洗浄力は必要以上に強かったようです。

というように
結構地味なことやればいいんじゃん!
ということでした。
おかげでまぁまぁ好調です。
というか
年々症状が出なくなっている気がします。
気のせいかもしれませんが。

ハイ・パフォーマンス人間のつくりかた

ずいぶん以前に(ちょっぴり)話題になったことです
Googleが社内で調査をした結果

「どんな大学を出たか」は入社後のパフォーマンスと相関関係がない

ということが分かったそうです。
オー!ノー!!

これはどういうことでしょうか。
少なくとも
大学のブランドはパフォーマンスとは関係ないということですね。
学力も関係ない?
いやいや
ここで答えを急いではいけません。

では次

「これまでの人生で苦労をしたかどうか」

これがパフォーマンスと関係あったそうです。
苦労したり挫折したりしたことがある人たちが
社内でパフォーマンスを発揮していたそうです。

そりゃそうでしょう
困難に遭遇して
乗り越えるのには何が必要?
もちろん努力です
あとは工夫とか根気とか
パッションやポジティブな思考も忘れちゃいけません
で、乗り越えれば色んな経験が増えますね。

頑張った末に
乗り越えることができなくても
継続していけば
心は強くなるでしょう。

こういうのを総じて
成長
って言うんですよね。

人は苦労なしには成長できません。
というか
苦労こそが人を成長させる
といった方が良いかもしれません。

困難に遭遇したり
失敗した末に
「どうせ…」
とか言って
簡単に逃げたり諦めたりしちゃダメです。

たまにそういう人に対して
「あの人は人生を達観してる」
とか言ったりしますが
それ、使い方違いますね。
そういうのは達観してる人じゃなくて
残念な人です。

ほら
こういうこと考えてると
ピンチはチャンス
とか
かわいい子には旅をさせろ
とか
選択肢があったら大変な方を取れ
とか
凄く理解できませんか?

学生達を見ていると
こういうのは本当によく分かります。

デッカいチャレンジは大変です。
しかも
好きなことをやっているんだから
そうそう逃げるわけにはいきませんし
苦労を苦労と思わないこともある。

一口に苦労と言っても
知識や技術やスキルに関すること
人間関係に関すること
お金に関すること
数えだしたらキリがないです。

でも
そういう環境で頑張った学生達は
ものすごい成長を遂げます。

やってる本人達は
嵐の中でジタバタしているうちに卒業しちゃった
みたいな感じなのでしょうけど。
「4年なんて一瞬っす!」
ってみんな言うもんなぁ。

なので
そういうチャレンジをする機会があったら
なりふり構わず頑張ってみて欲しいのです。

もっとも
そういう姿勢じゃないとチャンスは見えませんが。
(視野に入っても気付かないということです)

高い目標を設定すると
「分相応にしとけ」
と言う人もいますが
そんなの気にしないでガンガン行って欲しいのです。

成功する保証はないけど
成長する保証はしますよ!

自由になるとハッピーになるか

昔は多様性が乏しくて
やるべきことが決められていたがために
その反動として
多くの人がが自由を求めたのではないかな
なんて思ったりすることがあります。

私が子供の頃は
今に比べて明らかに多様性がありませんでした。

でもそれは
選択肢が少ないがためにやるべきことが明確だった
という良さもあったのかもしれません。

さらに世代を遡っていくと
どのような違いがあるのか?
今も色々と調べていますが
興味深いところです。

多様性のなさは日本に限ったこと…ではありません。
アメリカだって、ヨーロッパだって
多少の違いこそあれ今と比べればそういう傾向だったでしょう。

多様性が無いがために
理想と現実のギャップが大きくて
それがパワーの源だったのかな。

今は明らかに多様性が増して
自由が与えられていると思います。
仕事を例にあげれば
別に会社に入らなくてもインターネットを使って仕事ができるし
それこそ国内に限った仕事じゃなくても良いわけです。

何も独創性のある仕事じゃなくても
今まで自分が目を向けていなかった業界を見てみれば
仕事はいくらでもある。
何をやっても良いはずです。

みんな自由にできる世の中になって良かったね!
と言いたいところだけど
いざ自由になると色々とありますね。

自由な選択は同時に責任を求められます。
別に法的な責任に限定した意味ではありませんが
自分の選択に対して出た結果に対して
責任を取るのは自分ですから。

そんなこともあって
皆が自由でハッピー!って感じではないのかな?
コロナ禍の影響はもちろんあるでしょうが。

それはともかく
時間の経過とともに
目に見える色々なものが進化してきたのでしょうが
我々皆が無条件にハッピーになるかと言ったら
決してそんなことは無いんだな
と思ったりしてます。

そもそも「進化」とか言いますが
それは何のためなんでしょうね。

我々人類はどこへ向かっているのか。
いやー、興味深いなぁ。

感謝から始まるループってのもアリじゃないかな

このところよく考えるんですよ。
どうしたら世の中を良くできるかな~
って。

自分ひとりの力で
世の中がデッカく変えられるとは思ってませんけどね。

ちょっとだけでも
ちょっとずつでも
やっていけば
少しは良くなるだろうなー
と思います。

一億分の一でも
変化は変化です。

そんなことを考えると
今の自分に足りないこととか
ある程度見えてきたりします。

まだまだ視野狭いなー
とか
心が狭いなー
とか
まだまだありますよ。
言うのが恥ずかしいくらい。

とはいえ
それで卑屈になってるわけではないです。

そこで過去ばかりにフォーカスすると
卑屈になっちゃうんですけど
今の立ち位置を認めて
「じゃぁ、どうする?」
と考えて試す。

するとまた色々見えてくる

あぁ、まだまだだなと思う

考えて試す。

もちろん
そんなに大したことをやってるわけではありません。

最近のテーマは
「感謝」
です。

何か思い通りにならない時とか
負の感情が頭をもたげてきますよね。

その時点で何かをアクションすると
それはネガティブな動機からの行動となるわけですが
そういうのって大抵うまくいかないんですよね。

さらに
そんなアクションをしても
ちっともスッキリしない。

仮に怒りの感情を爆発させても
それは次のネガティブな感情を生み出す
負の連鎖のスタートになるだけで
それでストレス発散なんてとんでもない。

その感情を受け止めた相手だって
ポジティブな行動はできないでしょう。

なので
何かに対する感謝がスタート地点になると
ポジティブな行動のループが作れるんじゃないか
なんてことを思っているのです。

これ
自分に何か良いことが起きたら
そこで感謝して
ループがスタートだ!

ってわけではないです。
そんなの待ってたら
いつになってもスタートできません。

なので
何気ないことでも

ことによっては
一見ネガティブな出来事にでも
感謝してしまえば
無理矢理ポジティブなループが作れるんじゃないか
なんて思ってます。

そういうの結構楽しいかも
とか思ったりもしてます。

今までやっていなかったことをやるって
何においても結構勇気が要るものです。

でも、こういうのも
社会人としての責任なんじゃないかな
なんて思ったりしてます。

なんか今日の投稿は落ち着いてますね。
別に落ち込んだりしてるわけではないのでご心配なく。

天皇誕生日にて

今日は天皇誕生日です。
第126代の今上天皇陛下のお誕生日ですね。
陛下のお誕生日にお祝い申し上げます。

私は、20年くらい前まで
日本は世界で最も長く続いている国家である
ということすら知りませんでした。

そんなの常識なんだから知っとけ!
という声が聞こえてきそうですね。
お恥ずかしい。

で、自分なりに色々調べるようになったんですが
それにはきっかけがあります。

一つは
Formula SAEで海外大会にチャレンジする学生達の
面倒を見るようになったことですね。
強豪チームのまねごとをしても勝てないと思ったので
日本ならではの強みを見いださないとダメだな
と思ったこと。

そういうことを考えていくと
日本の過去に着目するしかありません。
日本人は今まで何を考えて何をやってきたのか
そこにしかヒントは無いと思ったのです。

もう一つは
オーストラリアに遠征に行ったときに
泊まった宿のオヤジさんに
「日本のエンペラーのお世継ぎは大丈夫なのか?」
と聞かれたことです。

オーストラリアはイギリス連邦の一国なので
エリザベス二世女王が国王陛下なのですね。
なのでオヤジさんは日本の皇室が気になっていたようです。

でも私は答えに困りました。
それまで皇室のことなんて真面目に考えたことがなかったからです。

そのとき
天皇陛下のことを聞かれて答えられないって
国民として問題あるのではなかろうか
こいつは恥ずかしいことだ
と思ったのです。

なので
「日本の始まりってどうだったんだろう?」
「天皇陛下は何をされているんだろう?」
と気になってきて
古事記を読むところから始まって
天皇陛下の侍従をされていた方の本を読んだり
色々調べてみたわけです。

そうしたら
紀元前660年の神武天皇即位から始まっていて
建国の神話の時代から現在の天皇陛下まで連綿と 繋がっている唯一の国家
なんて事が分かってきて
年甲斐も無く
これは凄いことだぞ!
とエキサイトしてしまいましたよ。

だってね
2,600年以上も国が続いていて
それが世界的にぶっちぎりにトップなわけですよ。
ちなみに
2位はデンマークの1,100年で
3位はイギリスの800年だそうです。

ここに強みが隠されていないわけがありませんよ!

ただしそれは
簡単に数字にしたり文字にしたりして理解できない世界です。

こんなに長いこと一つの国として続いてきたのは
世界的に見たらありえないことですが
我々にとっては当たり前で自然なことです。

今を生きる我々にとっては
あまりに当たり前なので
なぜそうなったかを
そもそも意識することはもちろん
強みとして利用するということは難しい。

でも簡単に分かることもあります。
2,600年以上続いているのは
天皇という存在です。

国民だけの力で
これだけ長いことまとまってやってこられたなんて
思い上がってはいけない。
島国である地の利などももちろんあるでしょうが
それだけでは周辺のアジア諸国と異なる発展をしてきた理由にならないでしょう。
島国なんて世界中にたくさんあるわけだし。

そもそも国としてまとまるためには
その中心となる存在が必要です。

それは天皇以外にはありえない。
と思っています。
もし他にもあるならぜひ教えて欲しい。

何かしらの利害にしたがって動く政治家のような立場の人間や
一般国民では中心になり得ないでしょう。

一般的に「王」は国民に対してどのような態度を取るのでしょう。
我々は天皇陛下しか知らないので
正直よく分かりませんが
多くの国は「上から支配してきた」のではないでしょうか。

でも
日本の天皇は建国以来、毎日
国民の安寧と世界平和のために祈ってくださる
それがのお勤めだそうです。
「上から」というより
「中心」という感じではないでしょうか。
「力による支配」というより
「国民がまとまってきた」のではないでしょうか。

我々日本人にとって
皇室 天皇は
当たり前の存在なのかもしれません。

その当たり前のようにあった
安心して頑張れる環境が
心のよりどころがあったから
今まで続いてこられたのではないでしょうか。

そのありがたさ
ありがたいと思う気持ちは
我々の日々の行いに必ず活かせるはずです。
(漢字では「有り難い」
ありえないほどレアなことという意味ですね)

これ
考えてみれば簡単で当然の話です。

対象が誰であれ何であれ
感謝の気持ちが無くなったら
心が荒んできて良い仕事なんてできないどころか
ちょっとした不満に敏感に反応して
怒りや恐れの中で生活することになるでしょう。
まさに最近はそういう傾向になりつつある気がします。

「金払ってんだから~なんて当然だろ!」
みたいなことを言い始めて
皆が相手のことを考えずに
自分の要求や権利ばかりを前面に押し出すようになったら
世の中ヤバイです。
気持ちは分かりますが
それではものごとは良くならない。

というわけで
皆が安心して頑張るための「中心」が
当たり前に存在するなんて凄いことだったんですね。
ということに気付いてきました。

こういうことを事実として受け入れて
強みとして活用していくかどうかは我々次第。

最近は御朱印ブームで
多くの人が神社に足を運んでいるようです。
我が国が良い方向に進み始める気がしています。

限界にぶち当たれ

普通にバイクに乗っているなら
特に限界を追求する必要はないですよね。
そんなことしてると
「何をやっとるんだね、チミは」
ってなことになっちゃうんですが
ことレースとなると話は別で
限界を知らないと良い成績は得られません。

当然ですが
限界に達したことがなければ
最大のパフォーマンスは出せません。
当たり前ですが
最大のパフォーマンスは限界値ですもんね。

バイクのレースで言ったら
転ぶところまでやらないと
どうなったら転ぶか分からない
それが分からなけりゃ
最大のパフォーマンスは得られない
ということです。

なので
転ぶ経験が必要です。
わざと転ぶというのとは
ちょっとニュアンスが違いますが。

なので
ロードレースをやっている人なんかは
未舗装のフラットトラックとかモトクロスなど
滑りやすいコンディションで
限界域のコントロールを練習したりしますね。

どこが限界か分からないと困っちゃうのは
何もレースの世界だけではなく
他の多くのことも共通です。

失敗したことがなければ
どこまでやれるか分かりません。

往々にして
そういう状態だと楽しくなってきません。

楽しくないと一所懸命やらない
もちろんそれは限界からはほど遠い
となると
どこまでやれるか分からない
と、振り出しに戻ってループする
ならまだ良いけど
大抵は途中でやめる。
当然です。

恐らくそうなってしまう原点は
失敗したくない
ですよね。

レーシングカーを作ってる学生を見ていると
よく分かります。

最初に
レーシングカーを作るぞ!
とチャレンジすることを決めるのはOKです。
その決断には相応の勇気が必要だと思います。

でもその後に選択肢が現れる
というか
姿勢が試されます。

勝ちたい!
or
失敗したくない!

この2つ
あまり違いが無いように見えますか?
これが結構違うんですよ。

分かりやすい例でいくと

ある部品を設計していたとします。
レーシングカーは軽さが命です。

「勝ちたい!」
で設計すると
強度ギリギリの軽い部品が設計できるかもしれません
が、それはテストで壊れる可能性が高い。

でも、壊れたら必要な強度を与えて
再設計すれば良いんです。

「失敗したくない!」
で設計すると
往々にして強度に余裕を持った部品ができます。
もちろんテストでも問題が起きない可能性が高い。

でも、その部品をさらに軽くして
性能を上げるのは難しいのです。

一度余裕を持って設計してしまうと
そこから攻めるのは勇気が必要です。
それに何より面倒くさい。
これ、強敵です。
特に
攻める勇気が無くて面倒くさがりな人には。

なんかやってることが矛盾してるように見えますよね。
でも、こういうケースは良くあります。

正直なところ
そうなっちゃうのも仕方ないとも思います。

だってね
小さい頃から
「失敗しないように!」
って散々言われて育ってくるわけでしょう?
親や先生は当然のこと
メディアはすぐに失敗した人を吊し上げるし。
「失敗は悪だ」みたいに。
そうなちゃってもしょうがないですよ。

なので
良い子ほど
チャレンジして失敗する経験ができないので
良い仕事ができない
ということになるケースが多いのです。
なんと皮肉な。

超元気な学生だって
最後に何を言うかと思ったら
「~が起きないように!」
とか失敗しないことを狙ってたりしますからね。

さて
ここで冒頭に戻りましょう。

転ばないと限界が分からないんですよ。
転ばないようにやるんじゃなくて
転ぶまでやってみれば良いんです。

学生のうちにその辺を意識して
チャレンジする経験ができたら良いですね
そのチャンスがあったら
ぜひ掴んでほしいものです。

あとね
失敗が怖い人は
失敗にフォーカスしているから失敗しやすい
っていうのもあります。

誰しも過去の経験のうち
失敗の方が多かったりするし
チャレンジすれば、いずれは失敗はするので
失敗が怖い人は
「どうせうまくいかない」
が説得力あるリアルな経験として記憶されて
それが主役になっています。

もちろん他人にも
「どうせうまくいかないからやめておけ」
と言うでしょうね。
本気で。
だってリアルな経験の記憶があるから。

恐れずにチャレンジするというのは
恐れてやらない者から見たら
ただのバカなのかもしれないけど
だったらバカになるしかない。

だってそうしないと限界分からないじゃん。

サーキットで限界探って転んじゃうのを
レースに興味が無い人から見たら
ただのバカに見えるのかもしれない。

結局は
超シンプルなんですよ。

成功することを夢見てやるか
失敗を心配するか
その2つしかなくて
どっちが視野に入っているかが重要。

成功するためにチャレンジする人は
どうしたら成功するかを見ているので
成功する可能性が高い
というだけの話です。

失敗しても諦めずに続けるには
好きなことをやるとか
やっていることを好きになるとか
その先にあることを想像するとか
諦めない理由を作ることが大事かもしれません。

そういうお前は成功してんのかって?

いやいや、まだ成功してないと思ってます。