答えが合ってればいいってもんじゃない

コミュニケーションにおいて重視していることは何ですか?

きっと目的があって
それを達することがゴールとなるわけだけど。

伝達内容の正確性?

そういうこともあるでしょう。
というか、そういうことが多いかな。

伝えようとする情報そのものの正確性は重要でしょう。

それに加えて
というか
それ以前に重要なことがあります。

何度か記事にしているように
言葉に載らない情報
ノンバーバルコミュニケーションです。

私も経験がありますが
言い回しや話す内容に集中しすぎたりして
大事なことを忘れていることがあります。

「言っていることはもっともなんだけど
どうも受け入れがたい」

そう感じることがあるでしょう。

人は往々にして
正しいことを伝えれば目的を遂げられる
と思いがちです。

特に我々、理系人間の場合。

しかし、コミュニケーションの93%を占める
ノンバーバルコミュニケーションを忘れていませんか?
ということです。

無表情だったり元気がなかったり
はたまた
正しい言葉遣いなんだけど
何か違和感を感じたり

いくら正しい情報でも
伝え方によって
及ぼす効果は大きく違ってきます。

多くの場合
本人はそういうことに気付いていません。
大変もったいないことです。

意思疎通を図るには
情報は大事ですが
インターフェイスをおろそかにしちゃいかんよ
という言い方もできるかと思います。

クルマなどの場合
性能は良いのだけど
使いにくい
とか
どうも受け入れがたい
ということがあります。

操縦する際に人が触れる部分が
インターフェイスです。

そこを通じて
ドライバーは意思をクルマに伝達(操縦)するのです。

操作フィーリングが悪い
とか
操作系の配置や形状が悪い
なんてことになると思った通りに操作しにくい
ということになります。

レーシングドライバー、レーシングライダーは
その辺はとてもシビアです。

インターフェイスがダメでは
マシンの性能は十分に発揮できませんから。

人対人のコミュニケーションの場合
ノンバーバルの部分がインターフェイスです。

というわけで
コミュニケーションのインターフェイス
たまには点検してみてはいかがでしょうか。

見えないもの 聞こえないもの 分からないことの重要性

コミュニケーションの9割以上は非言語で
人の行動の9割以上は無意識によるもの

となると、他人に与える印象なんてのは
ほとんど自分では制御不可能に思えたりします。

「そんなのどうでもいい」

という人もいるでしょうけど
人の悩みのほとんどは
他人との関係によるものだし
チャンスを与えてくれるのも他人です。

なので
これをなおざりにしていると
残念なことになってしまうことが多いのですね。

コミュニケーションの9割に含まれるのは
仕草や表情など
見た目に関することや
声色などの耳から入る情報
これらがほとんどだと思うけど
きっと他にも何かあるのでしょうね。

もちろん、体型とか姿勢とか
髪型や服装など
その人の人となりを表すものも
重要な情報の一つでしょう。

見た目も声も
変えようと思ったら変えられないわけではないけれど
すぐに何とかなるものではなかったりしますね。

やはり日頃から
何をどう考えて
どのように行動するか
というのが効いてくるのでしょうね。

人の行動を形づくる9割の無意識にしても
日頃から意識的に行動することが習慣化することによって
変えることができます。

とはいえ
一般的に学生には
この手の内容はほとんど関係ない
…と思われているし
本人達も、さして気にしていませんよね。

でも、いざ就活となると
途端に重要になってくるし
社会に出たら、ますます重要になります。

本人は気付いていないことも多いですけどね。
そういうのが重要だっていうことすら
知る機会が無かったりしますしね。

本当は、色々な人と付き合って
色々やっていれば
気付くチャンスはあるのでしょうけど
昨今はそうもいかないようです。

夢工房は
「作ってナンボ」
な場所ですが
知識とかスキルだけでは良いものは作れないので
「さて、どうしたものか」
ということで
人間関係の構築とか
コミュニケーションの本質の部分とか
そんなことを色々考えたり試したりしているわけです。

もちろん、こういったことには正解は無いので
考えて、やってみて、ダメなら変えて
という毎日です。

コミュニケーションで思うこと

世では
特に学校では
さらに言うなら、就活前の大学生では特に
コミュニケーション能力がうんぬん
などと言われます。

コミュニケーションは
人相互のやりとりの基本的なところで
一般的には
言う
聞く
など、意思を伝達したり理解したり
といったところを指しますね。

でも、もちろんそれだけではなくて
そのために考える
なんてことも当然ながら重要で

さらに言うなら
ノンバーバルな部分もあるわけで
我々が意識している以上に
結構色々なやりとりをしているわけです。

一方、国家同士のコミュニケーション
なんてのもあるわけで
キナ臭い雰囲気が漂う昨今は
そういうことの重要性をより実感できます。

ここでは
世界情勢について評論したい
わけではないのですけどね。

人対人
人の集合体である
国家対国家
いろんな単位があるけど
結局は
言葉やら物やら対価やら
いろんなもののやりとりをしているわけで

そのやりとりがうまくいかなくなると
それに応じて
よろしくないことが起きるんだなあ
なんて、当たり前のことを
改めて思っていました。

というのも
学生って
言われたことをやる
とか

決められたことをやることが
学校における行動の中心ですよね。
全員ではないでしょうけど。

そんな環境だと
一方的に受け止める立場になりがちです。

それに加えて
我々は基本的に消費者で
売っているものを買ったり
提供された情報を受け止める
そんなことばかりです。

そういうのって
正直、楽ちんで
気持ちよかったりします。

受け止めるばかりだと
最終的には
つまんないことになっちゃうのでしょうけど
楽ちんで気持ちいいことはやめられない。

言葉だったり
表情だったり
ものだったり
対価だったり
相互のやりとりって
ギブ・アンド・テイクが基本ですよね。

一方的に受け止めるだけ
なんてことで完結するような
都合の良いことはないわけで

楽ちんで気持ちよくなりたいなら
それなりに何かを失うのを覚悟すべきですが

それになかなか気付けないってとこが
現代社会の難しいところなんだろうなぁ
なんてことを考えてます。