試行錯誤できてるかい?

最近めっきり聞かなくなった気がしますが、試行錯誤という言葉がありますね。
いわゆるトライ・アンド・エラーです。

想像したり仮定したりして試してみて、その結果で評価・判断して、次のトライに繋げていき、ゴールに到達するといったような、プロセスを表す言葉です。

学校の学習では、正しい答えを求めるものであって、あまり試行錯誤を要するものではありません。
トライ・アンド・エラーの「エラー」はダメなことです。
正解のみが評価されるので、プロセスは関係ありませんから。

でも、プロセスは考え方なわけで、そうなってくると考え方を構築できないってことになっちゃいますね。

トライ・アンド・エラーができない環境で過ごしていれば、「正解は何か?」という考え方になるわけで、そうなって当然です。
最適化とか、現状ベストとか、開発する上で必須の考え方も身に付けるのは難しいでしょうね。
そして当然ながら答えが出ればOKなので、改善といった概念は不要です。

むしろ、正解を出せばOKな世界なら、最適化とか改善とか、そんな面倒なことをやりたいとは思えないでしょう。

そんな事を考えていると、夢工房の環境は貴重だよなぁ、なんて思うのです。
実績で考えるなら、まだまだ改善の余地はあるのですけどね。
そう、環境自体を試行錯誤しながら改善する日々。
これを止めないことが大事なのです。

能力ありきではないのです

よく勘違いされがちなのは、能力によって何ができるか、何をすべきかが決まると思われがちです。

でもこれは間違い。
特に学生のような成長段階の場合ですが。

というのも、成長段階での能力なんてたかがしれているわけですよ。
学生同士で比較して、高いだの低いだの言ったところで、学生という枠を外して見てみると、誤差みたいな違いだったりします。
もちろんそうでないこともありますけどね。

さらに勘違いされがちなのは、基礎学力と呼ばれる知識が能力であるという誤解。
能力ってのは実行する力ですから、知っていることではありません。

知っていることも大事ですが、実行する上で知識が足りなければ知れば良いだけです。

知っているなら実行できるだろう、と思われがちですが、そうでもありません。
そもそも、基礎学力・知識を実行してみろ、と言われても、一体何をしたら良いものやら。

さてさて、「能力があるからやる(あるならやる)」というのは一見説得力がありそうです。
ですが、その能力が身に付くまではどうするのですか?
能力が身に付くまでは「できない状態」なのですよね。
では、一生できないままではないですか。
この理屈は破綻している気がします。

何ができるようになるかは、何をしたいかによって決まるのです。
当たり前でしょう。

それによって、必要なことが明らかになり、その行動に自らのリソースをどれだけ投入するかによって、何ができるようになるかが確定する。

ありたい姿、目標によって行動が決まり、その結果能力が手に入る
ってことですね。

結局「思い」が大事で、どれだけ行動が伴うかってところなのでしょうね。
言うのは簡単ですが、実にシンプルなことです。
シンプルなだけに難しかったりもします。

教育の規模の話

少子化に伴い、学校が統合されたり閉校したりしてますね。
そしてこれからさらに加速するのでしょう。

コストとか効率を考えたら統合・閉校になるのは仕方ないでしょうね。
それに、義務教育では1クラスあたり何人とかルールがあるのかな?
教員のなり手も少ないようです。

でもね、1クラス30人とか40人とか、そんなの多すぎると思うのですよ。
5人とか10人とか、それくらいでやると、一人ひとりの存在が際立つわけで、そういう環境であればモチベーションも高まるってもんですよ。
いや、ホントに。
だって、人数少なかったらサボれないでしょ(笑)

この世界に入って改めて思ったけど、教育は我が国の未来にとって極めて重要なこと。
だって、未来を作っていく主役は彼らなのですから。

そのわりには、システムとかやり方は今までのままで、向かっている方向自体は何ら変わらない気がするのです。
世の中は大きく動いているのに。
その方向自体が現状にマッチしているなら何ら問題は無いのですが、どうにもそうは思えない。

正直なところ、教育の方法や内容に関しては、これが正解というのは無いでしょうけど、今のやり方は…一人の教員が数十人に向かって一方的に講義するやり方は、血が通っていないと思います。
内容によっては、そういうやり方も必用なときはあるでしょうけど、基本的にはそのやり方では主体性や自律性は不要なわけです。
それでは彼らの力は発揮されないままで、それは現状の大きな問題の一つでしょう。
であれば、それを続ける限りは科目を変えようが数を増やそうが結果は変わらない。

現状の教育は、効率優先の考え方になっているのだろうけど、それは一体何に対する誰のための効率なのだ?というところも大事なのだけど、規模を小さいすることによるメリットもあるのだよね、ってところを言いたかったわけですよ。