教育のパッケージ

基礎的な知識も大事なのだけど、高いモチベーションを保つなら、実践ベースで学んで、そこから必要なことを明確化して、それぞれを学ぶってのが効果的なはずだと思っています。
Formula SAEをやってる連中なんて、まさにそのやり方で高いレベルの実践的な知識とかスキルを手に入れています。

理工系の機械系であれば…

考えて、作って、試して、改善して、というサイクルを回してみると、強度計算の重要性とか、図面の重要性とか、本当の実験のやり方なんかが分かるでしょう。

品質とか商品性とか、ブランドの価値とかマーケティングなんかも知っておくと、「良いもの」って何だ?とか、なぜ良いものを作る必要があるのだ?なんてことも分かるはず。

将来は組織で仕事をするなら、チームビルディングとかも良いだろうし、アイデアの出し方とか、そもそものものごとの考え方について学ぶとかも良いでしょう。

近年では、大学がベンチャー企業の立ち上げを推奨したりしているので、会社の設立方法とか会計の知識とか、そういったことを学べるチャンスもあっても良いのではないかな。

ネタは尽きませんが、大事なことがあります。

こういったことをいわゆる従来の授業方式で細かい最小単位の「手段」からやったら、恐らく今と大して変わらない結果になるかもしれません。

「目的」とか「ゴール」を見えるようにしておいて、「そのために」と思えないとうまくいかないでしょう。
面白くもないものに自発性は発揮できないし、アイデアなんて出ませんもの。
少数のお勉強が得意な人はそうでもないかもしれませんが、その他多くの…恐らく80%くらいの人は、魅力あるゴールが無いと頑張れないのですよ。

アウトプットの話

学生のものづくりの面倒を見ていると思うことがあります。

いわゆる「地頭が良い」なんて言いますね。
それはそれで結構なことなのですが、実はそれよりも大事なことがあって、それは成長する速度をどれだけ高められるかという可能性じゃないだろうかと思っています。

というのも、いくら地頭が良いとか言ったところで、それはあくまで業務未経験の学生のレベルで、ということであって、そこから社会に出て戦力になったらどうなのかってのは別な話ではなかろうかと思うのです。

仕事は独りでやるものではないし、色んな事が起きるし、様々な能力を伸ばし続けることも重要なわけで、学生の時点で良ければそのままでいいよ、ってわけにはいかないでしょう。

そう、チームワークとか、メンタルタフネスとか、学び続ける能力というか、前進し続ける推進力というか、そういう重要で、いくら地頭が良いとか言ったところで、その辺が不十分なら仕事にならんでしょう。

で、ですよ。
学生の成長具合を見ていると、あることに気付きました。

アウトプットの頻度が成長の度合いに比例しているのではないか、と。

学生のものづくりにおいて、いきなり完成度の高いものができることはないので、その間は試行錯誤することになります。

その過程において何かしらのアウトプットをすると…まぁ過程ですから当然ながら不十分だったりすることが多いわけです。
でも、それによって現状把握ができて、理想とのギャップが明確化されます。
そのギャップに負けないで、そこから気付きを得て、高い頻度でアウトプットを繰り返しながら前進し続ければ、それだけ早く成長できます。

まぁ、何がどれだけダメなのかが分かれば、どうしたら良いかのヒントになりますからね。

対してアウトプットの頻度が少ない場合。
これは独りで抱え込んで、一見真面目に真剣に考えているように見えたりするのですが、自分で考えてどうにもならないけど考え込んでいるわけで、それはどこまで行ってもそのまんま…とは言いすぎかもしれませんが、大量の時間を「考える」ことに使うことになって、肝心の「やる」ための時間を失います。

アウトプットしなければ、もちろん否定もされないし、マズイ状況はバレないで済みますが、どれくらいマズイことになっているかとか、チームでのあるべき姿などが明確化されなかったりするので、得るものは最小限になるし、動機も萎んでいきます。
理想とのギャップはどれくらいあるのかなんてのは、アウトプットしない状態では視野の外に置かれたりしていることが多いので、迷走することにもなりやすい。

というわけで、高頻度でのアウトプットを継続することができれば、それはもうかなりの高確率で大幅な成長を遂げることが分かってきましたよ、というお話しでした。

で、どんなアウトプットが必要なのかって?

それは何でも良いのですよ。
やりながら最適化していけば。

因果関係の話

「因果」とかいうと、どうも仏教関係の用語っぽいですね。
因果応報とか言いますから。

因果応報とは
過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。
ですって。

今回言いたいのは「前世」ではなく、単に「過去」です。
原因と結果の話です。

現状は、過去の思考とか行為によってつくられています。
当然です。

この過去のものが「原因」です。
それによって現状、つまり「結果」が決まります。
原因を変えたら結果が変わります。
当然です。

なので、現状に満足いっていなければ、原因を変えれば良いのです。
タイムマシンに乗って過去には行けないので、今現在の考え方ややり方を変えれば、未来は変わります。
あら簡単。

しかしながら、我々人間は、大変皮肉な特性を持っています。
「変化を嫌う」という。

これは大変厄介です。

何が厄介かというと、変化を嫌うのは本能的で無意識下で発動しているということです。
なので、変化を嫌っている自分を感知できなかったりします。

困りましたね。
でも、無意識なら分からなくても仕方ないのですよ。
「無意識なのか。へー」くらいにしておきましょう。

しかし、変化はキツイです。
今までの習慣と異なることを意識的にやる必要があるので面倒だし、今までと違うことをやって、必ずうまく行く保証は無いので、これはチャレンジです。
ダメかもしれないけどやる
というリスクを取る勇気とか労力が必要です。

でも、やってみたら良いと思います。
で、未来がどのように変わるか確認してみたら良いと思います。
そして、それを楽しめたら最高でですね。

ものごとは受け止め方次第なので、仮にうまく行かなくても、それは新たな経験とか知識を得たわけで、そりゃ結構なことじゃないですか。

と、こんなことを考えていると、「未来は自分でつくれる」というのが理解できると思います。
そういうことをあまり考えなければ、「こうなっちゃった」みたいな「出来なり」になってしまうのですけどね。

人は意外と自身に対する「コントロール権」を行使していなかったりするのですよ。
そういうのを楽しめたら良いですね。