変わりたいけど変われない どうする?

今の自分に満足がいっていない
そんな状況はありがちだと思います。
向上心が強いならなおさらですね。

行動を変えたい
考え方を変えたい
どうにかしたいけどうまくいかない
そんなこともあるでしょう。

まず最初に
絶対に何とかなる方法なんてありません。
理屈やノウハウで何とかなるなら
本やネットの記事を読んだりして
知識を得れば何とかなるはずですが
そういうものではないから困っちゃうのですね。
どうにかするのは自分自身だということ。

次に
あらゆることに対して
完璧になるなんてことを望むのはやめましょう。
こういうのはトレードオフなので
何かを得れば何かを失う
くらいに思っていた方が良いです。

と、この辺を念頭に
チャレンジしてみましょう。
これはいわば、自分を使った実験です。
楽しめれば勝ちです。

さてさて
まずはどの辺から考えていきましょうか。
本当は考えずに行動出来れば良いのですが
方向性くらいは見ないとね。

最初は点検してみましょう。

「変えたい」は
内発的なものなのか
外発的なものなのか

本当に自分が願っていることなのか
外から突きつけられた要求なのか
そういうことです。

外から突きつけられた要求や課題だと
それによる変化は難しいかもしれません。

だって、本当に自分がそうしたいと思っていないから。

もっとも、外からの要求からスタートしても
その後に自分の内的な欲求に変化させることもできるとは思いますが
難しいでしょうね。

問題は
「快」がどこにあるか
ということです。

人は「快」を求めて行動します。

変化した後に
そこに気持ちよさがあるなら
それに沿った行動になるでしょうし
そうでなければそれなりに。

なかなか変われないのは
変わらないことに「快」があるからです。

それは本能的なところに根ざしていたり
今までの環境による影響だったり
色々なのでしょうけど

自分が意識できる希望とか
処理しなければいけないタスクであるとか
そういう理屈では何ともならない部分に理由があるから難しい。

変化を求める先にあるものが
本当に自分が望んでいるものならば
先に進みましょう。

そうでないな工夫が必要ですね。
ビジョンの再構築かな。

さて、では具体的に自分を変えるためにどうするか?

私の意見は実にシンプルです
それは

やること

です。

シンプルでしょう?
でも、だからこそ難しいという言い方もできます。

大事なポイントがいくつかあります。

まずは
考えすぎないこと

考えるのは大事なことですが
それでは何も起きません。

考えすぎると
うまくいかなかったときのことまで想像して
腰が引ける可能性もありますし
そうなるとますます慎重になって行動が遠のきます。

リスクマネージメントなんてのは
行動できるようになってから考えた方が良いですね。

とにかくトライの数を増やして
ショートスパンで一つのトライを済ませて
それを評価する。
で、次のトライの方向を考える。
最初はそんなやり方が良いと思います。

PDCAサイクルを回せ
とか言いますが
そんなのを考えるのは
チャレンジできるようになってからで良いのです。

ヘタに格好付けてそんなのを最初からやろうとすると
前に進めなくなります。

そして
外に向けてやること

分かりやすいところでは
他に対して発信して
フィードバックを得ることですね。
自分の中で完結させないこと。

ただし
トライの数を増やすと失敗も増えます。
その失敗に心を捕らわれると
次のトライが出来なくなります。

なので、失敗を許容してくれる環境が必須ではないかと思います。
言い方を変えると、これが
チャレンジを許容する環境
ということかな。

あとは
楽しむこと
どうやったら楽しめるでしょうか?

トライしていること自体を
今やっていることを楽しむ
その感覚は重要です。

あと、結果に拘りすぎると楽しくなくなります。
いや、この表現はイマイチだな。

失敗をネガティブなものではなく
単なる経験というか
それが正解じゃないということが分かった!
という発見を楽しむことかな。

「おー!これは違うのか!
なるほどね!!
でも、これをやるとこうなることが分かったぞ!
じゃ、次だ!」
みたいな感じ。

「じゃ、次だ!」
をやるためには残り時間が必要なので
何事も早くやることが重要なのですね。

だからこそ
考えすぎちゃダメ
ってことです。

行動すれば
結果が、次にどうしたら良いかを教えてくれます。

さて、こんなところでどうでしょうか。
今の私が言えるのはこんなものです。

もちろんこれでうまくいく保証なんてありません。
私も修行中の身ですが
少しは参考になるのではないかと思います。

どうせ絶対の正解なんて無いのです。

やってみてダメでも
それが分かれば発見ですよ。

さぁ、まずは一歩目をズバッと踏み出してみよう!

ダークサイドの処理は価値観の上書きで

人生色々あるから
色々感じたり思うことがあるでしょう。

中でもやっかいなのは
ネガティブな感情の処理です。

怒りとか悲しみとか恨みとか
悩みの根源になりそうなことですね。

こういった感情はとてもやっかいで
自身の貴重な時間を容赦なく奪っていきます。

どうしても
事後にそれらを考えてしまうから。

それを考えても過去は変わりません。
でも、心が捕らわれてしまって
動けなくなる。
気付くと、すごく長い時間を使っていたりします。

時間の浪費だけでなく
心のパワーも減少していって
勇気が無くなって
行動出来なくなります。

大変な無駄なだけでなく
その感情に執着してしまうのは危険です。

これらネガティブな経験や感情は
後にその経験を活かして…という利用ができれば健全ですが
なかなか難しい。

表れた感情を変化させるのは
できるのかな?

少なくとも簡単ではありません。

できそうなのは
その感情が生まれる根源にある事象に関することです。

大抵は
失敗した
などを含む
困難に遭遇した経験ではないかな。

その経験に対する捉え方を変えれば
そこから発生する感情は変わるはず。

そもそも
困難=ネガティブ
と捉える価値観こそが問題だったりします。

困難を乗り越えることこそが
自分を成長させる唯一の方法なので
困難=良いこと
と変換出来れば問題は解決です。

理屈はシンプルなのですが
実際にやるのは難しいかもしれません。

だってこれ
価値観を変える
ってことですから。

自分自身の価値判断の基準を変える
ということです。

困難=良いこと
として納得できれば
きっと次に繋げられます。

これは頭で考えていても、たぶん無理で
実際に行動した上で経験する必要があります。

そのためには、小さいことでも良いから
とにかく何かやってみて
ぶつかった壁を乗り越えたら
その時点の自分を行動前の自分と比較して
評価する必要があります。

で、「できた!」
となれば大成功で
その後は繰り返しによって
価値観が上書きされます。

ただ、評価基準が厳しかったり
事前事後の変化が感じられなかったりしたら
出口の無いトンネルに入っちゃったようになって
なかなか厳しいことになります。

自己評価だと、そういうことになりがちです。

なのでやはり
メンターの存在は重要なのでしょうね。

コンペティションは学生を育てる

技術系を志向する若者の多くは
技術そのものに興味があって
その興味を満たすことがモチベーションの源泉となり
学んだり物を作ったりしています。
それはそうでしょう。

でも多くは
自己の欲求を満足するためであって
外に向かっていない。

学生のうちはそれは当たり前のことだし
それで良いと思います。

技術系に限らず
若い頃ってそんなもんですよね。

でも、大学生ともなると
次は社会人なわけで
「何のために?」が大きく違ってきます。

仕事として技術に関わるなら
それは自分の外
つまり技術を受け取る相手に向いている必要があります。

自分の好きな技術を使って
他のためになることができれば
それはハッピーなことです。

でも、それが理解出来ないまま卒業してしまう
そういうケースは多いと思います。
そのままで仕事しちゃうと
自分も周囲も困っちゃうでしょうね。

というか、もったいないですよ。
理解して頑張れば学生のうちに何とかなるのに。

夢工房の活動は
コンペティションに拘っているわけですが
理由の一つは
コンペティションは自分の外の問題だからです。

ライバルに勝つには
自分の外側でものごとを考える必要があります。

「自分的には」
というのも大事なことですが
自分達のやっていることを客観的に見て
ライバルとの相対的な関係を考えて
「戦える状態」にしないと
コンペティションは楽しめません。

活動に加入した初期段階では
技術に興味を持って
興味を満たして
できる感覚を身に付けていって
徐々に視野を広げて
自分の枠の外側を見られるようになっていきます。

でも、気を抜くと
ついつい元の状態に戻ってしまいます。
習慣による行動は意識しなくても実行されるわけで
分かってもいても意識して行動していなければ
元に戻ります。

そんなふうにジタバタしながら経験を積んでいって
世のお役に立てるエンジニアになっていく
というシナリオです。

そういうことを
チームで継続的にやっていける環境をつくる・持続する
というのも難しいことの一つです。

もちろん教員だけではどうにもならないわけで
学生を含め、関わる皆さんの力を合わせて何とかなっています。

考えようによっては
これが継続できているということは
奇跡的なバランスを取り続けている
ということかもしれません。
ありがたいことです。