情けは人のためならず の新解釈

これは
「人に情けをかけても、その人のためにならないよ」
という誤解をされているというのは
皆さんご存じの通り。

本当は
「人を助けたり親切にしたりすると
巡り巡って自分に返ってくるんだよ」
という意味です。

でもこれ
ちょっと違った解釈ができるのです。

寄付行為とかボランティアなども同じなのですが

人のために何かをやると
(たぶん)相手が喜んでくれる
であれば
(たぶん) それは誰かの役に立っている
ということになる。

その
人のためのことができる
という感覚こそが大事
そんなふうに思っています。

「自分はできる」
と信じられる

つまり
自信を得られる
ということです。

何であれ
一度「できる」という感覚を得てしまえば
それは多くのことに適用出来ます。

お金を寄付するとか
ボランティアをするとか
何か損した気分…というか
少なくとも得はしない
と思いますか?

でも違います。
お金じゃ買えない自信が手に入ります。

これ、金銭欲や物欲を元とする物差ししか持っていないと理解するのは難しいと思います。

こんな話があります
あるストリートミュージシャンの話です。

その人は通りで演奏して
チップをもらって世界中を回っています。
それで旅の費用の一切をまかなっています。
いわゆるバスキングってやつですね。

その人は
演奏をはじめる前に目星を付けた通りを歩いて
他のバスカーやホームレスに一通りチップを渡して
その後に自分の演奏を始めるそうです。

そうすると、なぜか実入りが良い。

最初にこの話を聞いたときは
「おまじないみたいなもんか?」
と思ったのですが
今なら理解出来ます。

まずは人の役に立って
自信を付ける。

歌とか音楽は
その人そのものがダイレクトに現れるアウトプットです。
(ものづくりも一緒ですが)

それを自信を持ってできるかできないかで
もちろん結果は大きく違ってくるでしょう。
そういう話しです。

もっとも
この「できる」という感覚を利用して
我欲に走ってしまったら
元の木阿弥なのでご注意を。

すぐに動かせ

チャレンジする前に
なかなか動き出せない

そんなことありますね。

何でなんでしょうね?

端的に言ってしまうと多くの場合は

やりたい

失敗したくない
のせめぎ合いが原因です。

やりたくない
というのはこの際論外。

この手のネタは
何度書いても色々と思い付いてしまいます。

というのも
学生が壁にぶち当たって
乗り越えられないとき
最も多い原因はこの辺にがあるからです。

でも実は大抵のことは
早期に動いてしまえば
何とかなっちゃうことが多いのですけど
それがなかなかできないから困っちゃうわけです。

さて
これからチャレンジするなら
まだできていないわけで

できていないなら
やればいいだけ
なのですが…

そんな状態を見ながら
「なんでやらないんだろうなー
早くやればいいのになー」
と思います。
彼らの心の中が見えないから
単純にそう思ってしまいます。

「早くやればいいのに」

言うのは簡単ですが
当人にしてみれば

「どうしたら良いか分かるならやってるよ!」

ってとこなのでしょうね。
なので悩んで動けない。

色々と原因はあるでしょうけど
多くのケースは
「どうしたら良いか」
のハードルが高すぎるというか
的(まと)が狭すぎるというか

やり方が全部分からないと
前に進めない
というケースが多いのかなと思います。

最初から最後まで
キッチリ分かって決まって
それで大丈夫ならGO!
ってとこかな。

そこまで行かなくても
とにかくどうしたら良いか分からなくて
一歩も踏み出せない

さらに
どうした良いか分からないこと
それがあること自体が悩みで
もう一体どうしたら良いのやら
そういうケースもあるでしょう。
もうわけ分かりませんね。
そんなこともあるでしょう。

なんでこんなことになっちゃうのか。

冒頭に戻りますが
やりたい

失敗したくない
のせめぎ合いです。

本当にやりたいなら
とにかくやっちゃえば良いんですよ。

その結果は目に見えるようになる。
見えるようにしちゃえば
頭の中にあるより
より明確に評価・判断ができるようになります。

「やる」
の第一歩は
頭の中から出すことです。

例えば
声に出す
これは一番手っ取り早い。

誰かに話せば
その評価ができるようになりますから
先に進めます。

あとは
紙に書く
そうすれば目で見て分かる
第三者にも分かる

書いたものは覚えていなくても良いので
頭の記憶容量の拡張です。

さらに手を加えれば
要素の数を増やしたり減らしたり
関係を変えたり
色々と変化を加えられます。

目に見えるようにすれば
仮にダメでも
何がダメで
どうしたらい良いか
そういったことが分かりやすいので
次にどうしたら良いかが分かる。

そんなの当たり前?
ですよね。

でも、意外と多くの人はやりません。
頭の中だけで考えています。

頭の中で整理が付いたら
頭の中で完成したら

書こう
やろう

って。

頭の中のものって
なかなか整理を付けるの難しいんですよ。

要素が多ければ
それを全部覚えながら
関係を変えたり整理したり…
そんなの難しくてできないんじゃない?

さて
で、頭の中から出してみたら
それを具体的にしてみましょう。
試しにやってみるとか作ってみるとか。

ダメでも良いのです。
その結果によって
次にどうしたら良いか分かるから。

でもね
最も大事なのは…

やることそのもの
だったりするのです。

とにかく
何でも良いからやってみる
それが大事。

なぜかというと
「やる」ということにおいては
初動が最も難しいのです。

これは技術的に
というのもあるかもしれませんが
心の問題です。

心にも物体のような慣性力があります。

止まっているものは動きたくない

そもそも人は変化を嫌います。
なので
勇気を持って動いてしまうこと
これさえできれば
きっと何とかなります。

動いてしまえば
また慣性力を利用出来ます。

動いているものは止まりたがらない

なので、どんどんやっちゃえば良いのです。

たとえ方向性が違っていても
方向を変えるのは
止まっているものを動かすより簡単です。

さあ、勇気を持ってやってみよう!

謙虚に頑張るループを回す

神道に、こんな言葉があります。

神は人の敬(うやまい)によって威を増し
人は神の徳によって運を添う

神様は、人が敬うことによってパワフルになって
人は神様の徳によって運を授かる
といったような意味です。

これ、なにも宗教的な捉え方じゃなくても
日常に取り入れちゃって良いのです。

仮に神様を上司とか年長者に
置き換えちゃっても良いじゃないですか。

ここで
神様は絶対的な存在で
奇跡のパワーをうんたらかんたら…とか
神様の言葉には絶対服従
みたいな考え方をすると
訳が分からなくなっちゃいます。

私、会社員やってるときに思ってました。

今、好きな仕事をやらせてもらっているのだから
仲間のために
ボスのために
会社のために頑張ろう!
と。

だって好きな仕事なんだから
それをやって
皆がハッピーになる方向に行ったら最高だぞ!
と。

もちろん
そんなことを考えて
空回りしたり
バカな失敗をしたりもするわけですよ。

でも、本音で頑張っていると
ボスも仲間もフォローしてくれる。
で、また頑張る。

そういうループが回っていたと思います。
もちろん、周囲に恵まれたというのはあります。

昔からボスやお師匠様には
もちろん仲間にも
奇跡的に恵まれてきました。
本当に運が良かった。

でも、今にして思うと
裏表無く、バカみたいに頑張ったから
その影響というか、効果みたいのがあったのかな
と。

もしあのとき
収入とか待遇とか世間体とか
利己的な色気を出して
裏表を使い分けるようなやり方をしてたら
きっとあんなふうに楽しく仕事はできなかっただろうな
と思います。

で、会社が
いわゆるブラックに見えていたに違いありません。
利己的なことを考えてたら
キツいところばかり見えちゃって
あの仕事は乗り切れなかったろうな
と思います。

で、冒頭の神道の言葉です。

我々日本人は
神話の時代の神様の子孫ということになっているので
そんな考え方で良いと思うのです。
それでうまくいっちゃうと思うんですよ。

だって、先祖をたどっていくと
神様になっちゃうんでしょう?

だったら、上司もパイセンも
神様で良いじゃないですか。
日本の神様は西洋の一神教の神様と違って
絶対服従みたいなものではありませんので
もっとゆるくておおらかに考えないと
やってられませんけどね。

神様のために謙虚さを持って頑張って感謝する
みたいな基本的な姿勢って大事だと思います。
それを捨てたら
どこに向かってどうなるか?
きっと冷たくて暗い
嫌な世の中になりますよ。

良い塩梅でいきましょう。