変化できたりできなかったり

進化とか成長とかって
既存の枠から外れたり
今までとは異なった状態であるはず。

でも、人は変化を嫌う。

それが
どういうことに関してなのかとか
どの程度なのか
といった違いはあるだろうけど

必ず心のどこかしらに
そういう部分を持っているはず。

変化を嫌う心が強くて
それを色々なところに適用している
ということになると
成長できない
ってことになるのかもしれない。

では、何でもかんでも変化しまくりで
安定性ゼロ
ということになると
それは…

狂人です。

なので、変化を求めながらも
安定した部分を心のどこかに持っていないと
変化を有効に利用できないことになります。

凄い仕事を成し遂げた人に
変わった人が多いのは
この辺が理由でしょうし
「研究所」とか呼ばれる職場には
変な人が多いのも当然です。

本当なら
自分のどの部分をどれくらい変化させるか
そんなことを自由にコントロールできると良いのですが
なかなか難しいでしょうね。

変化させたい人より
安定させたい人の方が
圧倒的に多いはずですし。

それにこれ
意識していない場合がほとんどです。
なので、なおさらコントロールが難しい。

同じ事の繰り返しは耐えられない者もいるし
変化したいのに同じ事を繰り返してしまう者もいる

色々いて良いのだとは思います。
多様性こそが人間の進化の源だから。

皆同じだったら
面白くないし
危なくてしょうがない(笑)

新しいものを作る場で活躍するのは
圧倒的に変化を望む者だとは思います。
でも、そこには安定を望む者も必要。

興味深いのは
安定を望んでいないのに
むしろ変化を望んでいるのに
無意識のうちに安定を選択してしまう
そんなことがあること。

そんなやり方で
果たして変われるのか?
なぜ変わるのか?
いつ、どの程度変われるのか?
変われなくても
本人が納得できるやり方はあるのか?

そんなことだったりします。

でもまぁ、少なくとも
変化を楽しめないとどうにもならんかな
とも思いますね。

社会に出れば
そういうのは自然と形づくられたり
落ち着く先が定まったりするのでしょうけど
学生のうちに試せることは多いはず。

チャンスを有効に活かしてほしいものです。

こだわらず 離れる

チャレンジが多ければ失敗が多いのは当然なのですが
失敗から来るネガティブな感情にとらわれて
そこに「執着」「こだわり」が生まれてしまうと前に進めなくなります。

当然と言えば当然なのですが
実際に、これを何とかするのは結構難しいことです。

これは、ネガティブな感情に限らず
我欲や、目の前の仕事などに対しても同様で
仏教では、この執着から離れることを説いていますね。

目の前に見えているものが全てではない
そこから視野を広げて
今の自分は何をすべきかを考える必要があるのでしょう。

と、そんな事がある一方
自分がやりたいことなどは
強い執着心が原動力になったりします。

お釈迦様は
我欲や執着が苦悩の根源だとも仰っています。

己の欲望と
自分がおかれた現状のギャップが
苦悩の根源だということですね。

でも、現実と理想のギャップが
パワーの源だったりもします。

こんな風に書いてしまうと
なんか矛盾だらけのような気もしますが
「理想」を我欲ではなく
自分以外の人のため
とすれば話は変わってくるんだよ
と思えば
なんかすっきりする気もします。

我欲は身を滅ぼすが
他人のためなら話しは別だ
と。

なので
自分のやりたいことと
他の利益になることの摺り合わせは大事でしょうし

こだわるべきものと離れるべきものを
はっきり分けて行動できると良いのではないでしょうか。
断捨離だって、そういうものでしょう?

100%他人のために行動できるなら
そりゃ聖人君子で神様なんでしょうが
人間はそう簡単にはいきませんわね。

でも、それが少しでもできるなら
多くの人が喜んで
必要としてくれるでしょう。

もし、100%自分のための行いばかりなら
うまくいかなくて当然かもしれません。

なぜ?なんて聞かないで下さいね。

トラブルの原因

なぜ事故(トラブル)が起きるのか?

企業に勤めた経験があるなら
多くの方はご存じかと思います。
特に自動車関係の企業だったり
安全管理者などの経験があればなおさらですが。

なぜ事故が起きるかというと
「大丈夫だろう」
と思うから起きるのですね。

「大丈夫だろう」
と思った瞬間にトラブルの発生は確定します。
しかもそれは最悪の時に起きる。

なぜかというと
トラブルは常に想定外なわけで
だからこそトラブルなのです。

「大丈夫だろう」
と視野を固定したら
その外にあるんですね。
なので見えなくなる。
「だろう」が問題。

人は見たいものしか見えないのです。

例えば
見通しの悪い交差点への進入や
単なる車線変更などでも同様なのですが
「大丈夫だろう」
と思いながら確認行動をすると
大丈夫なようにしか見えないので
そこでアクションをすると
死角にあるものを見落としたりします。
いともたやすく。

では、どう考えたら良いかというと
「~かもしれない」
と思うのです。

「車が来ているかもしれない」
「死角にいるかもしれない」
という具合に。

機械のオペレーションや
製作作業の場合は
「この部品が外れるかもしれない」
「何か忘れているかもしれない」
といった感じです。

設計でも同様で
一見、設計が完了したように見えても
「どこか間違っているかもしれない」
という視点でチェックすると良いのですね。

もちろん、いずれの場合も
「大丈夫だろう」
と思ってチェックすると
大丈夫なようにしか見えません。

自動車の開発に限らず
多くの研究開発の現場や製造業では
安全管理がクリティカルに重要です。

ですが、そのノウハウは教育現場には落ちてきません。
なんで学校で教えないんでしょうね?
こういう考え方って
色んな事に応用が利くので便利なんですけどね。