設立当初の精神の大切さ

大学に勤務して早20年が経ちました。
勤務早々、夢工房で学生達の面倒を見始まったので
これまたおおよそ20年。

学生が自分達の力でレーシングカーを作り始めて
20年が経ったということです。

まぁ良く続いたもんだ
と感心してます。

組織がスタートする時って
色んな形があると思うのですが
当初に崇高な精神があると
継続できるのだなぁ
と思ったりしています。

夢工房でレーシングカーを作る
プロジェクトチームが結成されて
動き始まったときに
何か立派な、文字にできるようなものが
あったわけではありませんでしたが
そこに学生達の純粋な精神があったのは間違いありません。

そもそも、経験のない学生達が
自分達でクルマを作って
海外で戦おうと思うことすら勇気が必要ですが
それを実行に移して、諦めずにやり遂げる
それを支えた精神はパワフルで純粋なものでした。

こんな大変なこと
我欲だけではできませんし続きません。

私利私欲って
結構小さい欲望だったりして
困難があると簡単に諦めることができるのです。

立ち上がり当初に、そういったものがあったからこそ
20年も続いたのでしょう
そう思っています。
もちろん環境や、周囲の理解や応援があったことも
継続できた大きな要因です。

1907年創立の我が東京電機大学が
1世紀以上も存続しているのは
やはり崇高な精神があったからでしょう。

技術は人なり
実学尊重

シンプルですが実に本質的。
何かに迷ったら
すぐにここに立ち返れば良い。

私は本学の卒業生ではありませんが
これはシビレます。

組織の風土が人をつくるというのは確かです。

なので
「そこにいる」
「そこでやる」
というのは結構重要なことなんですね。

今年は海外のイベントには出られませんでしたが
学生達は、ちっともしょぼくれていないどころか
ますますパワフルに活動しています。

来年が楽しみです。

習慣の積極的利用法

人は繰り返しの行動によって
習慣が形づくられます。

これは当たり前のことで
誰でも知ってます。

意識的にやっていれば
それはトレーニングと呼ばれたり

無意識で、すでに定着しているものなら
習慣と呼ばれたりします。

自動車の運転は分かりやすい例かもしれません。

経験のないドライバーは
何をどうすると何が起きるか分からない
というのが前提です。
それがビギナーってヤツです。

教習所で初めて運転したときは
コースのこの辺でハンドルをこのくらい切って…
なんてやりますよね。

この時、タイヤは見えていなくて
どれくらい切れているかなんて分かりません。
唯一見えるのはステアリングホイール
ハンドルですね。

なので、走っているコースの形と
唯一見えているハンドルを操作するタイミングと
操作量(切る角度やスピード)を目安として運転しています。

で、どのタイミングで何をするとどうなるか
というトライを何度もして経験を積みます。

慣れてくると
どういうタイミングで何をすべきかを
一々考えなくてもできるようになります。

これは経験を積むことによって
やるべき事が無意識化されているのですね。
習慣化しているとも言えます。

あることが習慣化してしまうと
その分、意識の領域に空きができます。
なのでその分、余計なことができます。

歌を歌ったり、ご飯を食べたり、スマホいじったり…いや、それはダメだ(笑)

運転操作なら
より高度なことができるようになります。

ある程度運転ができるようになると
いかにも色々分かっているような気になってきますが
ところがどっこい!

「じゃ、あのカーブ曲がるときに
どれくらいハンドル切ってるか言ってみ?」
と言われて答えられる人はほとんどいません。
まして、その時にどれくらい前輪が切れているかなんて分かりません。

でも、運転出来ちゃう。

結局、よく分かってないけど
「こうするとこうなるはずだ」
というのが経験上身に付いて
勘で運転しているようなものです。

ヘタをすると何も考えずに運転していることすらある。

そう、トレーニングしててきるようになる
ということは
考えなくてもできるようになる
ということなのです。

もちろんこれは
自動車の運転に限らず
多くのことに適用できます。

日常生活や仕事もしかり。

「こうなるといいなー」
のためのことを
意識的に繰り返して習慣化してしまうのです。
習慣化してしまえば
あとは考えなくても自動実行できるので
勝手にうまくいっちゃうし
意識は次のレベルのことに向けられます。

この時
理想に向けて考えて習慣化する
というのがポイントです。
心配なことやネガティブな何かを回避するため
なんてのダメですよ。
そっちに向かって行ってしまうから。

今回の内容は
ごく当然のことかもしれません。
習慣は大事だよ
ってことです。

でも、これを積極的に利用しようとする人は
意外と少なかったりします。
こんなことを書いている自分自身
十分に活用できているとは言えません。

でもまぁ、十分には活用出来ていないけど
色々試して、それなりの結果は出ています。
なので、今後もこの調子で行ってみますよ。

予想を超える 期待を上回る

そんなことができたら嬉しいですよね。

学校では基準に達したか?
しかもあらかじめ定められたものに対して
ということをやります。
全てがそうではないけど
そんなことが多いですね。

それも良いのかもしれないけど
何とか基準に達しても
安心はするでしょうが
そこには喜びは無かったりします。

そのやり方で行くと
基準を超えないと
喜びを得ることはできないし
そこまでは、ずいぶん遠い道のりに感じます。
そんなふうに感じるのは
私が出来の悪い学生だったからだからかもしれませんが。

そんな「決められた物差し」ばかりと向き合っていると
視野が狭まってくるのも当然なのかもしれません。

言われたことができる
というのは大事なことだと思います。

でも
言われてもいないことができる
これはもっと大事なことです。

言われたことができて
言われてもいないことができれば
それは最高なのかもしれませんが

「両方は無理だ」
と思ったら
それらを直列の、足し算の関係に
しなくても良いと思うのです。

言われたことをやるのはあまり得意じゃないけど
言われてもいないことがムチャクチャできる
というのもアリだと思います。

以前、サラリーマンをしていたときに
部下の給料の査定をしていました。

しっかり仕事をする部下がいたので
そいつの昇級についてボスに言いました。

私「あいつの査定、上げたいんですけど」

ボス「何で?」

私「だって言われたことはキッチリ仕上げてくるし…」

ボス「言われたことができたって当たり前じゃん
当たり前のことはプラス査定にならんよ」

そうです。
言われたことがちゃんとできて
学校なら100点の仕事でも
会社じゃ0点なんですね。
あらまぁ、ビックリ。

そもそも物差しの使い方が違ってました。

ちなみに
0点というのは
落第しちゃうわけではなくて
マイナスじゃないけどプラスじゃないよね
ってことです。

でも、会社では物差しが単一じゃないんですね。
営業職とかは分かりませんが
開発職であれば、色んな能力が求められますので
何かに特化してぶち抜けていれば
トータルとしてプラスにすることもできるのです。

私なんかは基本的に劣等生タイプで
他ができないこととか、変わったことにすぐに目が行ってしまって
変なことに情熱を注ぐタイプでしたので
言われたことがちゃんとできていたかは疑問で
ヘマしてばかりだったかもしれませんが
変なことも含めて
トータルで評価してもらっていたのだと思います。

こういうやり方を真似しろ
なんて皆に言うつもりはありませんが
言われたことがうまくいかなくても
他にやり方があるはずだよ
と言いたいのです。

それを磨いて
予想や期待を上回れば
それは喜びに繋がります。

「喜び」は
先へ先へと行く原動力ですから
その感覚を大事にしましょう。
「快」を求めて自動的に行動するのを
うまく利用しましょうってことです。

逆に
言われたことしかできない
そういうタイプもいると思います。

言われたことができても
それは予想通り
ってことになってしまって
安心はできるかもしれませんが
喜びには繋がりにくい。

では、言われたことを
予想を上回るスピードでやればどうか?
そういうチャレンジも面白いですよ。
きっと喜びに繋がるでしょうね。
継続していれば、そのうち何かに気付いて
オリジナルなものに変化するかもしれませんし。

予想を超える
期待を上回る

もちろんそれは
自分の予想でもなければ
自分の期待でもありません。

大事なのは
そこに相手がいることです。

自分だけが喜んでいても意味がないのです。