難しい世の中

別に世の中が難しいってのは
今に限ったことでは無いとは思いますが
今の状況はなかなか難しいですよ。

コロナ禍に関して言えば
感染拡大防止と経済がトレードオフ

環境問題に関して言えば
環境悪化抑制と経済がトレードオフ

きな臭い世界情勢に関して言えば
…これ、一言では言えないのかな。
でも、各国の利害のトレードオフ
なのでしょうね。
これも経済がらみと言えなくもない。

たかが経済、人命最優先!
と軽々しく言うなかれ。
経済的に困窮すると
後には人命に関わることに発展しますので
なかなか判断が難しいのでしょう。

お金がなければメシ食えないし
国防もままならない
ということで、経済問題は
命に関わる問題に発展する可能性があります。

経済は人命を守るためのリソース
という言い方もできるかもしれません。

国の舵取りをしている方々は
さぞや大変な思いをしていることでしょう。

こういう諸々のトレードオフについて
頭の良い方々が色々考えているのでしょうが
これといった完全な形の回答は出ないでしょうね。

と言うのは、あらゆることについて
丸く収まる完全なやり方はありません。
必ず何かしらのリスクを取ることになります。

理屈では最善とか何とか言えるかもしれませんが
人は感情で動きますから
理屈だけでは納得できません。

なので、仮にそれをやったとしても
全ての人が受け止められるわけはなくて

取ったリスクが気に入らなくて
文句言ったり暴れたり
ということが起きるかもしれません。

政治家は、票を取ってナンボでしょうから
今の世の仕組みだと
未来を見据えて嫌われても志を貫く
といったような
古風なやり方はできないのかもしれません。

これは政治家に関わらず
民間の我々も同様です。

文句を言われたり嫌われたり
その辺が凄くクリティカルで恐ろしい。

そんなことないですか?

例えば
こんなブログは
頭の良い人から見たら
「なに言ってんだ、バカ」
ってなものでしょう。

そういうのが気にならない
と言ったら嘘になります。
自分の考えをさらけ出すって
結構勇気が要るのです。

地味に展開しているせいか
幸いにも今のところは
何の中傷もありませんが。

こんな駄文でも
多少なりとも
誰かの役には立つこともあるでしょうから
書き続けてます。

政治家の文句を言っている暇があったら
自分のつたない経験から
多少でも役に立ちそうなことを
チマチマ発信した方が良いですよね。
誤差程度には世の役に立つでしょう。

こんなことを続けていても
たいして満足感は得られないので
自己満足ではないのですよ。

ちょっぴり勇気が必要だったり
継続したりしてるから
メンタルのトレーニングには
なっているかもしれませんけどね(笑)

というわけで
難しい世の中ではありますが
できることをやっていきましょう。

「願掛け」に思う

ある学生が
「俺は勝つまでは大好きな揚げ物を食いません」
と言って、卒業まで揚げ物を食べなかった
なんてことがありました。

いわゆる「願掛け」の一つですよね。
「断ち物」というそうです。

凄いヤツだな
と思いました。

で、それをオーストラリアの友人に話したんですよ。
そんなに上等な語学力を持ち合わせているわけではないので
こういうことのためにこんなことしてるんだよ
って感じですけどね。

そうしたら彼は
「あぁ、sacrificeだな」
と言いました。

sacrifice って
犠牲とか生け贄って意味です。
生け贄とは、神様への捧げ物です。

彼と話しているときに
あぁ、そういう表現になるのね
と思ったので
「そうそう!」
と返しておきましたが

後になって思うと
願掛けって宗教的な行為ですよね。

別に揚げ物食べなければ
具体的に何か良いことがあるわけでは無いでしょうに。
…ちょっとはあるのかもしれませんが
そのためではない。

自分の好きなものを犠牲にして何かを得る

これ、神様とのトレードですね。
誓約とも言えるかな。

これ、宗教的ではあるけれど
特定の宗教に限らず
誰でも理解できる価値観と言ってもいいでしょう。

もちろん
成長の過程で、そういったものがある
という情報を得ていたからこそ
やろうと思ったのでしょうけど

特に意識するでもなく
自然とそこにたどり着いて
実行しようと思うのは面白いです。

特定の信仰を持っているとかいないとか
意識上では色々思ったりもするでしょうけど
無意識下では
何か大きくて偉大な存在
を認めているのでしょうか。
その辺は大変興味深いところです。

我々が日頃自然にやっていることとか
考えていることをについて
深掘りしていったら
色々面白い発見があるかもしれませんね。

自分のためにやったら自分のためにならないんじゃないの?

教育は人材育成なわけですが
学生達がどのように育ってくれるのが理想的なのでしょう。
多くの学生達はどう思っているでしょう。

将来の収入とか安定した生活ってなもんでしょう。
望んでいる程度に差はあるでしょうけど
多くはそんなもんではないかな。
私も学生の頃なんてそんなもんでした。

だってこれ、親だって先生だって言うでしょう?
そのために頑張れって。
自分のために頑張れって。

まぁ、それを真に受けてやってみてもいいのだけど
大抵はうまくいかないんじゃないかな。

というのも
安定した収入が欲しくて
そのために頑張るって
一体何をやるのでしょうね。

資格取ったりスキル上げたり?

それ、何のため?

仕事に使うためですね。

仕事って何でしょう?

他人のために価値を提供することです。
で、役に立てば対価をもらえるんですね。

という仕組みで世の中は回っているわけですが
この仕組みの本質は

相手に価値を提供して役に立つ

ってところです。
対価の大きさは
いかに相手の役に立つか
いかにたくさん喜んでもらえるか
ではないですか?

学校に見つけるのは
そのためのツールだったり材料だったりでしょう。

道具を持っているというのと
上手に使えるというのは
全く別の問題ですよね。

しかも、その道具を手に入れるのは
自分のため?
まぁ、最終的には自分に利益が回ってきたりするでしょうけど
それは他のためにやった結果として
です。

「俺は自分のために仕事してんだよ!」
って人に、気持ちよく支払いできませんよね。

なんてことを今日は考えてました。

学生のうちは
自分のことばかり考えていて
周囲が見えていないことが多いです。
私もそうでしたからよーく分かります。
まぁ、それが若いってことなのかもしれませんが。

このネタ、何回も書いていますが
やはり学校にいるとそういうのが気になるわけで
何とかならないかなぁ
と思うし
それを何とかするのが最重要ポイント
だと思っているので
考え続けちゃうんですよね。

他の役に立つようになる
それがこそ成長の本質でしょう。

でもこれは結構難しいのかもしれませんけどね。
だって、価値観の書き換えが必要だから。

今の世の中は
学力とか学歴とかに執着して
それだけで何とかなる時代は終わっていますが
多くの学校の中はいまだに変わっていないのではないかな
なんて思います。

どんなに利己的だろうが何だろうが
勉強できればハッピーな世界で
勉強できなきゃ役立たず。
そんな物差ししか無かったりしませんか?

もちろん、学生には勉強して欲しいし
勉強できるのは評価すべきとは思うけど
社会の物差しとはズレすぎてるんじゃないかな
なんて思うのです。

手段と目的がひっくり返ってるのでしょうね。

だれもが自分が食うため生きるために
自分のためのことばかりやって生きてたら…

それ、仏教で言うところの餓鬼道の世界じゃないですか。
そんなの嫌だなぁ。

なので夢工房ではマインド重視でいきますよ。
もちろん技術も大事ですけどね。