やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

「やってみもせんで何が分かる」
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。

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