先の見えない時代にどうするか?

似たような記事はすでに何度か書いていた気がしますが、いよいよ先の見えない未来への転換点がやってきた気がします。

ずっと前から、世の中が大きく変わるのは2025年あたりだろうな、と思っていましたが、大体その通りになっています。

どうやら世界情勢や我が国の行く先、仕事や教育のあり方などなど
いろんなことが変わっていきそうな雰囲気ですね。
というか、もう変わらざるを得ないでしょう。

まぁ、そんなのは予想に過ぎないと言えばそれまでなのですが、未来に向けては大まかに二つの選択肢しかありません。

一つは
これからは既存のやり方の延長が通じなくなってくるので、そのためのことをやる。

二つ目は
変わるかどうかなんて分からないから、今まで通りやる。

このどちらかでしょう。

私は後者には興味が無いので、一つ目にします。

で、問題は「そのためのこと」とは何か?なのです。

まぁ正直そんなの分からないのですけどね。予言者じゃないし。

でも、世の中が大きく変わるとしたら、何が変わるでしょう?
具体的なものが想像着く人もいるでしょうけど、私にはそんなの分かりません。
けど、これは分かる。

価値観が変わる

となると、ものごとの価値が変わっちゃうのです。
具体的にどう変わるかは、もちろん分かりません。

けど、変化できる人は強いでしょうね。

変化に身を任せるのも良いかもしれませんが、外的要因に身を任せて、単純に流れに従うってのは面白くありません。

可能なら、チャレンジして、何かしらの変化を作り出す側でありたいものです。
そのチャレンジの結果がどうなるかは別として、チャレンジャーは変化に強いと思っています。
だって、ゴール到達のためにチャレンジするプロセスはどうなっているかというと…

想像して、やってみて、ダメなら何かを変えて…

と変化し続ける必要があるのだから。

さぁ、チャレンジしましょう。
すぐやりましょう。
今年は残り5ヶ月しかありませんよ。

教育のゴールは何だ?

今日はちょっと現状を整理してみたくて、こんなネタにしました。

教育は何のためにあるのか
何を教育のゴールと定めるか

それによって、どうすべきかが明確になります。
ただ、これは一概に言えない多面性があるのが難しいところでしょう。
今回も誤解を恐れずにバリバリ私感で行ってみましょう。

教育に関わるのは…

  • 社会
  • 当事者である学生
  • 大学

こんなもんでいいかな。4者ですね。
そして、現状はうまくいっておらず齟齬がある感じ。
どうも4者とも満足いく状態にはなっていない。ですね?

よし、では次。
それぞれの求めているものは何でしょう。

1. 社会が学生に求めているもの

社会(特に企業)は、適応力・協調性・創造性といった即戦力となりえる実践的で汎用的なスキルを強く求めています。
就活市場では「コミュニケーション能力」「主体性」「困難への耐性」などが求められていたり、いわゆる「人間力」が問われていたりしますが、それらは抽象的で数値化して測ることが困難です。
そういった資質を持つ者は教室の中だけでは育ちにくい。
社会は「自分で考えて動ける人材」を欲しています。

2. 大学が必要だと感じていること

一方で大学(特に教員)は、「知的探究」や「理論的思考力」、あるいは「専門的知識の体系的習得」を重視します。
大学は本来、学生が自ら問いを立て、方法を模索して、失敗を通じて学ぶことに価値を置くべきではないかと思う。
しかし、実際は「正解を出す訓練」が主流であり、言われたことができる人材を育成し、「内発的な動機を育てる」仕掛けが弱い。

3. 学生自身の現状と目指すところ

現実には多くの学生が「何をしたいかがわからない」状態ではないだろうか。
社会の要請と大学の理念の狭間で、自分の軸を見失っている。
その一方で、「もっと意味のあることをしたい」という思いを持ちながらも、それに確信を持てず、内発的動機が芽生える前に、「やらされ感」で疲弊してしまうケースも多く見受けられる。
そりゃ、目的意識を持たないまま高い負荷刺さらされ続けたら、そうなるでしょう。

4. 親が子供に求めること

親世代は、多くの場合「安定」や「社会的地位」「経済的自立」を求めるでしょう。
これは当然の願いだと思う。
それが「良い大学に入り、良い会社に就職する」という古典的モデルに偏ってしまうと、子どもの「挑戦」や「逸脱」への欲求が抑圧される。
特に不確実性の高い道、つまりリスクは敬遠されがち。
リスクを伴うチャレンジをせずに高い価値を生み出すという、極めて高度な要求が結実している気がします。

と、こんな感じですかね。
現状の課題としては、「三方良し」ならぬ、「四方良し」を実現すること。
じゃないと先に進めない。

同時に全てのニーズを満たすのは無理なので、そもそも論で行きましょう。

そもそも学校で学ぶのは何のため?
仕事をするためです。

であれば、学校は社会のニーズに応えるべきです。
応えられなければ、学生本人はハッピーになれないでしょう。
役に立たないってことですから。
その時々の流行を追うのは論外としても、恒久的に求められるものはあるわけで、そこがポイントです。

ということで、1と2の関係はこれで解決。
具体的に何が必要かは長くなりそうなので、ここでは省略しましょう。

残るは2~4の関係です。
これは難しい。

親は子に、リスクを冒さないこと、言われたことができるようになることを求めるでしょう。

学校もリスクを冒したくありませんし、先生は学生に言われたことをやって欲しいと思う。

学生自身はリスクを抑制された環境で育ってきたので、習慣としてリスクを回避する。

リスクリスク言いましたが、社会が求める
「コミュニケーション能力」
「主体性」
「困難への耐性」
「人間力」
これらは、実際の行動の中で、チャレンジしながら獲得するものです。
チャレンジということは、うまくいく保証が無い中で、失敗しながら模索する必要があるわけです。
つまりリスクを回避する行動では獲得できないものばかりなのですね。

教育システムは今やビジネスなので、「金払ってんだからリスク無しで何とかしろ」みたいなニーズがあるのかもしれませんが、こればかりはどうしようもありません。
あ、別に日頃そういうことを言われている訳ではありませんよ。
特に夢工房の学生達の親御さん達は、その辺のことは重々承知している、勇気と決断力と先見の明のある方々だと思っています。
ここで言っているのは一般論です。

さて、この難しい関係を解決するには、やはり夢工房のようなチャレンジをする学生達が世に出て活躍して、有効性を証明するほかないのではないかと思います。
それはもう、長い長い道のりです。

幸いにも、卒業生達が活躍してくれているのが救いなのですが…
開発の仕事って機密の世界なので、やっていることを口外できないのですよね!!
参っちゃうな、こりゃ。

そういう状況です。

あれ、何か脱線しましたかね?

ゴール設定の重要性

何をゴールとしてセットするか?
それはとても重要なことです。

なぜって、今この瞬間からやることはゴールによって決まるから。
行動の駆動力となるモチベーションのレベルも同様にゴールによって決まります。

ゴールの設定によって、今後の多くのことが決定されるから重要なのです。

当然ながら、ゴールの設定は自分ですること
これは絶対条件です。
仮に他から課されたものであっても、自分で消化して腹落ちしておく必要があります。
そうして「自分のもの」にしておく。
そうしないと能動的には動けませんし、モチベーションも上がらないから。

そして、ゴールの設定位置も大事です。

マイナスをゼロにするようなことをゴールにしないこと
です。

だって、結果が「ゼロ」ではワクワクしないでしょう?
やる気が起きるゴールが必要なのです。

よく
「ダメなところを直してから、上を狙う」
のような考え方をしがちですが、あまりお勧めできません。

だって、ワクワクしないから。
それに、そんなことに時間を使うのは惜しいから。

ダメなところを直して普通になる暇があったら
得意なことを伸ばして、ダメなところが問題にならない状態にしたら良いです。
時間は最も貴重なリソースですから。

そして、もう一つあります。
狙ったところの少し下に着地するケースが多いから
です。

ゼロを狙うと、大抵の場合の結果はマイナスです。

なので、マイナスをゼロにしてからプラスを狙うのではなく、一気にプラス側に振り切れたゴール設定をお勧めします。

例えば学生生活なら
会社に入るまで
をゴールにセットするのではなく
どういう仕事ができる人になりたいか
どんな成果が欲しいか
をゴールにセットすべきです。

それが決まったら、何をどうすべきかというのは自ずと決まるでしょう。