ダメならどうする?

どんな時代でも常に問題はあるわけで、その問題を解決して先に進む必要があります。
で、最近の問題は何なのだろうなぁ、なんて良く考えるわけです。

もちろん、マイナスのものをゼロにする発想ではなく、プラス側のアクションによってマイナスを消去するか、気にしなくても良いような、そんな方法論があるといいのですけどね。

で、今日思ったのは「弱者保護」です。
大事なことだと思います。
もちろん、弱者保護そものもが問題なわけではありません。

この場合の「弱者」って、特定の何かを指しているわけではありません。
人は誰でも得手不得手があって、苦手なシーンなら弱者になり得ますから。

で、弱者保護に対策として「セーフティネット」と呼ばれるものがあります。
うまくいかなくても、失敗しても、それを救済できるようなものですね。

それまた結構なことなのですが、それが行きすぎてしまったり、対応するシステムや、ダメでも許容するシステムが行きすぎてしまうと、それはどうなのかな。

ダメでも大丈夫!
みたいな、訳が分からないことになりはしないだろうか?
一所懸命何とかしようともがいているヤツや、その末に何かを掴んだ者の立場がなくなる、もしくはメリットが縮小してしまうことにはなっていないだろうか?

ダメなものはダメでしょう。
それでも何とかしたければ頑張れば良いし、だからこそ得られるものに価値があるわけだし。
突き抜けて頑張ってるヤツが評価されないのであれば、頑張る事自体の価値や、その先にある喜びの大きさは半減してしまう。

そしてもちろん、色んな頑張りが評価されるべきなのだけど、定量化された、ごく狭い領域のものばかりが対象になっていたりしないだろうか。

その一方、ダメで苦手で好きになれずに、どうしようもないこともあるわけで。
ホントにどうしようもないなら、頑張り続けられないなら、それこそ方向転換する必要もあるでしょう。
その状態にフォーカスし続けるのは健全ではないし、それを保持したり許容したりってのも、あまり良い結果になりそうもない。

というわけで、夢工房ではどうしたら良いのだろう?
なんて思ったりしていました。

でも実は、その辺はあまり問題では無いというか、ものづくりにおいては答えはシンプルなのです。

凄いものを作れば良いのです。
理屈を超える、見たら伝わる感動ってあるじゃないですか。
そこを目指すべきで、それで良いと思います。
もちろんレースなら結果も含む、ってことですが。

とはいえ、苦手なこともやらないわけには行かないのが学生です。
なので消せない弱点はあるでしょう。
であれば、リソースを集中して何かに特化して、ブチ抜けてしまうのも戦略です。
学校では評価されないかもしれないけど、社会に出たら確実に価値に変換されますから。

個人レベルでは全方位強化のストロングスタイルがある必要はありません。
それぞれの特化した力を束ねれば良いのです。
チームはそのためにある。