ものづくりの素晴らしいところ

たまに思うのです…

成績表って要るのか?

って。

ダメですか?学校の教員がそんなこと思っちゃ。

いや、いいんですよ、成績表があっても。
でも本当に言いたいのは

それが全てなのか?

ってこと。

そんな限定された「部分」だけを示す数値だけで何が判断できるんだ?って思うのです。
成績とか学歴とか資格とか
そういうもの全てに対して。

別にそれらに意味が無いと言うつもりはないのですけど、仕事ができる、もしくはできるようになる可能性がある、というのとイコールでは無いですよね。

いわゆる成績至上主義
成績を、学力とか学歴とか、資格に置き換えてもいいのですけど、それってこういう理屈でしょ?

部分的な優れたものを持っていれば、それによって素晴らしいことが為される

どうもそういう考え方には違和感を感じるのです。
学力とか学歴とか、資格が無意味だと言うことでは無く、順番が逆だろうってことです。

だってね、素晴らしいボルトやらナットやら、それこそエンジン部品やらタイヤやら…
そういうものを片っ端から集めたら、素晴らしいクルマができるのだ!なんて言えませんよ。

「素晴らしい部品」とは言っても、一体それはどういったクルマを形づくることを前提としているのかによって変わってくるからです。

例えば、大馬力のエンジンで、高いスピードでサーキットを走ることを前提に「良い」サスペンションを、乗用車に取り付けて街乗りしたら、全く良くないですから。
もちろんその逆もしかり。

つまり、細々したものを手に入れるには、その前提というか、ゴールが定まっていないと基準が無いわけで、基準が無ければ「良い」なんて相対評価の結果は得られないわけです。

なので、成績表が大事なのであれば、それは何のための成績なのか?どういったシーンで、その成績を形づくる要素が利用されることが想定されているのか?というのが最も重要だと思うのです。

それ無しに「良い」とか言われてもねぇ。

かつては「理系」とか「産業」とかのカテゴリーに向けた汎用的な評価としての成績表が役に立ったのでしょうけど、これだけ多様化した世の中であれば、もっと具体的で実践的な目的に合った評価方法があるべきだと思うのです。

クルマとかロボットとか、そういった具体的なものに利用できる資質をどれだけ持っているのか?というのはとても参考になると思います。

そこまで対象を絞ってしまうと、必要なものは限定的になってしまいそうですか?
クルマしか作れないんじゃないか?
ロボットを作ることにしか役立たないのではないか?
って。

実はそうではありません。

ものづくりが素晴らしいのは、知識やスキルだけではたかがしれていることが簡単に分かるからです。

単に知識やスキルがあるだけでは大したものは作れません。
企画力やチームワークや勇気や持続力…数え上げたらきりがありません。
そういったものは、単体としての評価が凄く難しい。というか、できない。

そして、そこから得たものは、他の分野でも大いに役に立ちます。
本質的な部分は変わらないから。

で、どうするの?
ってとこですね、重要なのは。

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