得意なことを伸ばそう

皆が同じようなことができるのは結構なことです。

しかし!
そもそも人類は、仕事を分業化して専門化することによって発展してきたのです。
要は、「尖った人」がいたから、と言うこともできます。

なので、得意なことを伸ばすというのは、進歩・発展するためには根源的に必要なものなのです。

得意ではないことにリソースを振り分けると、当然ながら得意なことに使うリソースは減ります。
やるべきことをどんどん増やして、アレもコレもってわけにはいかない。
得意ではないこと、好きでもないことならなおさらです。

つまり、限られたリソース(主に知力や体力)を分散して使うなら、広い範囲をそれなりに…
となるでしょうけど「何か尖ったものを」となると、リソースの集中投下が良いに決まっているのです。

皆が知っていると良いこと、できると良いこと
こういうのは「汎用的な知識や能力」と言われます。

そういったことに長けた人はいて良いし、もちろん必要です。

汎用的なものも、専門的なものも、両方優れている人
そんな人がいても良いでしょう。
というか、それが理想なのかもしれませんが、リソースや価値観や習慣の問題で、なかなかそうもいかなかったりします。

であれば、汎用的なのはイマイチだけど、専門的なものに強烈に特化した人がいても良いと思うのです。
それが多様性というものでしょう。

そして、色々な専門的な能力を持った人が集まって、お互いを補完し合いながら、強力な組織力を発揮する。
それが実社会で行われていることであり、人類が進化してきた道筋です。

恐らく現在は、「お受験」という短期的なゴールに対する汎用的な知識を強烈に要求されていて、専門性を獲得する暇がない…
とかやっているうちに、各人が得意なものに突っ走るような多様化が許容できないような状態になってしまっているのではないでしょうか。

で、社会からのニーズと乖離している。
ということでしょうね。

OJTって知ってるかい? 2

1年前に記事にしましたが、OJT再度登場。

自身の仕事のコントロールをしたり、リスクのマネジメントをしたりするのは大事なことです。

知識を手に入れるのも大事ですが、そもそもこういった能力を身に付けることの方が優先されるべきだと思っています。
そうやってプロジェクトを推進していく過程で、必要な知識やスキルを手に入れる。
それがいわゆるOJT(On the Job Training)です。

ですが、仕事を遂行する上で「やりながら学ぶ」のが、そもそもの教育だったはず。
それは世に「学校」というものが現れる以前のこと。

「きっとこういったものが必要になるだろうな」という予想の上に、あらかじめ知識を身に付けておくのが学校の役割。
やらないけど、知っておくことも重要でしょう。
引き出しが多いのは良いことです。

でも、「やる」と「知る」が離れすぎてしまったがために、なぜ、どれくらい知っておく必要があるのかという根本的な部分が薄れてしまった。

恐らく、教育の効率化を追求することによって、知識の「汎用化」が進んだためではないかと思います。
色々なことに使える知識を色々身に付けたら、色んな仕事に就いても、そこそこ通用するじゃん
だったら、汎用的な知識をガンガン詰め込んだら、何でもできるマルチ人間になるんじゃないか?(それを「潰しがきく」とも言う)
ということでしょう。

ただし、そのトレードオフとして、必要性の実感とか、実践とかを失ったのではないでしょうか。
結果として、「言われないと動けない」とか、「知ってるけどできない」とか、とても中途半端な状態になっているのではないだろうか。

さて、OJTですが、やりながら学ぶのですから、「何のために?」は明確です。
知識がすぐに使われるので、どう実践するかとか、どうなるか、はとても良く分かります。
もちろんモチベーションは維持しやすい。

そういった経験をしていると、「きっとこういったものが必要になるだろうな」などの予想を自分で立てられることです。
勘や嗅覚が磨かれるってことですね。

そうやって手に入れたものは、テストのために暗記した知識と違って、そう簡単に忘れることはありません。
だって、本当に必要性を感じた段階で手に入れたものだから。
そして、実際にそれを使う経験をするのだから。

一度自転車に乗れるようになると、何年も乗らなくても再度乗れるというのと同じです。
自転車の乗り方を解説書で読んで暗記しても、そもそもそれは、「自転車に乗れる」ということですら無い。
そして、実際に乗る必要が無く、乗ったことさえ無ければ、恐らくそのうち忘れてしまうでしょう。

夢工房で活動する学生達は、まさにOJTに日々学んでいるのです。

将来、クルマの開発がしたければ、学生のうちからガンガンやればいいのですよ。
その中で、企画やら設計やら力学やら材料やら加工やら…
必要なことを身に付ければ良いのです。
何だって手に入るし、それはいつでもすぐに使えるリソースになります。

もちろんそれは技術的な知識やスキルに限らず、アイデアの出し方、困難の克服方法、チームワークや、果てはメンタルのコントロール方法まで、実に様々な経験知が得られます。

こんなふうに成長するのが、本当の「潰しがきく」ってことだと思うのですけどね。
だって、学校で知ったことで、そのまま仕事ができるわけではないですから。

「能力」って何だ?

そもそも「能力」って何なのでしょう?

辞書を引いたりネットで検索すると色々出てきますが、私はシンプルに
可能にする力
だと思います。

というところで、改めて意味を調べてみましたが、あながち外れてはいませんね。

学校は、能力を身に付けるところ
とされています。

ですが、それは知識の獲得に偏重しています。
そして、知識の獲得とは言っても、暗記するようなものがほとんど。

何度も言いますが、知識は重要です。
でも、「知っている」と「できる」は違います。

そもそも、自ら掴みに行くのではなく、何に使うか実感が無いまま、皆が同じことを記憶しなければならない。
そういった状況で、多くは疲弊してしまう。

知識は、言ってみれば道具のようなもので、「可能」にするために必要な要素の一部です。
精神面の駆動力たるメンタルやマインド、モチベーション、これが無いと起動しません。
そして、当然ながら物理的な駆動力であるフィジカル、これが無いと実行や継続が不可能。

これら全てが無いと「可能にする力」になりません。

知識もスキルも、必要性を感じた時点で手渡すのが最も効率が良いはずだし、自ら掴み行けばそれが最善。フィジカルも必要性を感じれば自ら獲得するでしょう。
なので、メンタルやマインド、モチベーションを高めるのが最重要だと思います。

しかし、本人の意思とは関係なく、多くの知識を詰め込むようなシステムになっているのが現状でしょう。
そういったやり方で、心が疲弊していくなら「できるだけ楽をしたい」と思うのは当然かもしれません。

今後の日本は少子化に伴い、労働人口が減少していく。
今までのような、高度経済成長期のような、低コストの大量生産は継続できません。
となると、量ではなく、質・信頼・速度などを付加価値として、それを優位性・独自性となるレベルまで高める必要があるのは明白でしょう。

それは、低いモチベーションで、皆が同じことをするようなやり方、やらされるやり方では達成不可能だと思います。
それには、パッションやアイデアが不可欠だから。

ならば、各人がそれぞれ個性を発揮して、強みを伸ばす方向性。
それぞれが自信を持って「可能にする力」を身に付けられる環境が必要です。