やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

「やってみもせんで何が分かる」
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。

直感を信じよう

直感は正しい
そんな話をしてみましょう。

そりゃぁ、最初からなんでもかんでも直感で決めていたら、外れもたくさん出るでしょう。
なので、そういうむやみなことを言っているのではないのです。

考えたところで答えが出ないことに
これに関しては、直感はかなり役に立ちそうな気がします。

そもそも、そういった答えがないものに関しては、考えすぎるとロクなことは無いのです。
まぁ、ものごとにもよるでしょうけど、特に若いうちはそういう傾向にあると思います。

何を例に挙げましょうかね。

進路とか仕事とか
はたまた趣味とか

そういったことにおいて、何を選ぶか?
それには正解はありません。

なので、直感で決めちゃって良いのではないかな?
というのが今回言いたいこと。

進路でも仕事でも良いのですけど、そういったことを選ぶとき、多くは考えちゃいますよね。

将来儲かりそうな仕事をしたいから、とか。
そういうのって、自分以外の誰かが言ったことをベースに考えたりするものですが。

まぁ、それはそれでも良いのですけど、大事なことを忘れています。
その仕事は自分がやるのです。

「将来儲かる」というのは、それがうまくいった場合です。
うまくいくかどうかは自分次第なのですが、好きでもないこと、自分に向いていないこと(特に価値観ベースで)、そんなのをやったところで、うまくいかないでしょう。

逆に、現在流行っていないことを仕事にしたらどうでしょう?
そして、それが自分の性に合っているというか、好みのものだったりしたら?

そりゃ頑張っちゃう可能性はありますよね。
楽しかったりしたらなおさらです。

さて、ここで一つ考えてみて欲しい。

例えば、パソコンでもスマホでも、ゲーム機でも何でも良いのですが、いわゆる「ヒット商品」ってありますよね。
それ、ヒットする前はどうだったのでしょうか?

当然ながらヒットしていませんでした。

でも、なんでヒットしたのでしょうか?

そのものが持つ働きとか、性能とか、はたまたマーケティングとか、色々要素があるでしょうけど、その根底にあるのは関わる者のパッションですよ。大抵は。

そして、今まで誰も見向きもしなかったもの、今まで存在していなかったものが、注目されるようになってヒットしたのでしょう?

よーく考えて、良い答えを出せるなら、それでも良いのかもしれません。
でもそうやって答えを出せそうですか?

出せないなぁ
と思ったら、そりゃもう直感を信じて、何をかやった方が良いでしょう。
好きなことリソースを投入すれば、そこから分かること、見えることはあるはずで、ある程度うまくいくのも当然です。
結果がどうあれ、その経験は必ず未来に活用できますしね。

一番もったいないのは、考えすぎて実行する時間が無くなること
そして、他人の価値観で動いて時間を無駄に使うこと

直感を信じて経験を積めば、その経験によって、さらに直感は磨かれます。
なので、良いのです。失敗しても。
その経験は、次に直感を働かせるときの材料になりますから。

雑念が無く純粋な直感は、意外なほど正しい。
磨いていけば、そんな感じになりますよ。

電気の時代…はやってきたか?

今回はクルマのネタです。

電気自動車、なかなか先が見えませんね。

一見未来のテクノロジーという気がしますが、実はBEV(バッテリーで動く純EV)も、HEV(エンジンと電動モーターのハイブリッド)も、100年以上前に誕生して絶滅するという歴史を持っています。
その時は、色々理由はあったのですが、電池を使うという基本的な原理に基づくところが大きかったのだと思います。

電池は高価で重くて大きい
簡単に言ってしまうとその辺が主な原因でしょう。

もちろんEVならではのメリットはあります。
しかし、メリットがデメリットを上回らない限り普及は難しい。

EVは本気出すと凄いパフォーマンスを発揮するのだけど、いかんせん重いのがネック。
それはバッテリーのエネルギー密度が問題なのです。
バッテリーにはあまりエネルギーが入らないので、大量の電力が必要なら、電池をたくさん搭載する必要があるわけで、そうなると大きく重くなる。

電動モーターは、低回転で大きなトルクを出せるのだけど、当然ながら重いクルマを加速させるとエネルギーは沢山必要になります。

そして高速域での巡航は大量のエネルギーが必要になるので、より大量のバッテリーを搭載する必要があって、ますます重くなる。

クルマが重くなると、運動性能は低下します。
まぁ、エネルギー消費とトレードオフすれば、それなりに加速が良かったりしますが、危険を回避する動きなんかは悪化するでしょう。

そして、重ければ各部の消耗が激しくなるのは当然で、それはクルマ本体に限ったことでは無く、道路や橋などのインフラだって同様でしょう。

というわけで、既存のエンジンで動くクルマの未来にあるのテクノロジーがEVだ、と言うのは現時点ではちょっと無理があって、用途に応じて使い分けする方向性での発展はアリだと思うのです。

EVは高速域での連続使用は苦手だけど、制御しやすいので低速での短距離移動に特化すsひて、コミュニティ内での自動運転の公共交通機関として使うなんてのはアリだと思います。

自動運転を不特定なルートで速度域が高い状態で使うと難しいでしょうけど、決まったルートを低速で使うなら難易度はかなり下がるでしょうから。
すでにそういう実験してますものね。
そういうやり方で人員とかコスト削減をしていく方向性なら現実的なのでしょうね。

あと、最近耳にするようになってきた全固体電池なんかが実用化されれば、かなり話は違ってくるのかもしれませんね。

最近では、単に環境性能とか効率ばかり言っていられなくて、いわゆるエネルー安全保障とか、政治や経済についても考えないといけないでしょうから、難しい世の中になってきましたね。

というわけで、引き続き見守っていきましょう。
さて、どうなることやら。