動力の話その6 ガソリンの正体

ダイムラーとベンツガソリンエンジンで走行する自動車を開発したわけですが、その当時ガソリンがあったのか?一体何に使われていたのか?

実は当時(1880年代末〜1890年代初頭)、ガソリンは一般人が自由に入手できる燃料ではありませんでした。

19世紀後半(1870〜1890年代)は、ランプの燃料として灯油が主流でしたので、当時の石油産業の主目的は、原油から灯火用の「灯油(ケロシン)」を得ることでした。
ちなみにそれ以前は、鯨から採った鯨油や植物油がメジャーな液体燃料でした。

原油から灯油を精製する際、副産物としてガソリンが生成されてしまうのですが、引火性が高く、危険で厄介な物質とみなされており、多くは捨てられて、一部は化学実験用や洗浄用として用いられていました。
なので、今のように手軽にガソリンスタンドで給油できるようなシロモノではありませんでした。

有名なエピソードに、開発者ベンツの妻、ベルタ・ベンツのドライブの話があります。
ベルタは、夫に内緒で試験走行を敢行したのですが、燃料は途中で切れてしまいました。
そこで彼女は、薬局に立ち寄って燃料を購入しました。
そう、薬局で燃料を購入したのです。

当時、薬局では「リグロイン」または「ナフサ」という名で販売されており、これはガソリンとほぼ同等の化学物質でした。
ちなみに、その時の薬局は現在、「世界初のガソリンスタンド」として記念館になっているそうです。

参考:当時のガソリンの入手経路
薬局(薬品として販売) 化学溶剤・洗浄液として少量販売(高価)
化学商(薬品卸) 実験用・工業用ナフサとして扱いあり
石油精製所の副産物 灯油精製の副生成物として廃棄同然に存在

ダイムラーやベンツは、直接化学商や精製所と契約して入手したそうです。

このように、動力用の燃料の歴史は
石炭 - ガスやガソリン

薪の持つエネルギー量を1とすると、木炭は2で、石炭は2~2.5くらいの違いがあるという話はすでにしました。

ガソリンは薪の3倍のエネルギー量を持ちます。
液体燃料のエネルギー密度は高いのです。
なので、より軽量で動力の性能が高い機関を作れる可能性があるということです。

また、原油からは、重油、軽油、灯油、ガソリンなど、多様な燃料の他、アスファルトやプラスチックなど、様々なものの原料も得ることができます。
ただ、困ったことに、埋蔵量には限度があり、CO2排出の問題もあるのです。

単に動力などのためのエネルギーとして「電気と入れ替えればいいじゃん」とならないのは、その電気ですら石炭やガスや液体燃料からのエネルギー変換で生み出されるもので、自然から採掘されるわけでは無いし、原油のような原料を生み出すわけでもないので、電気とガソリン、どっちがいい?といったような単純な話では無かったりするのです。

ちなみに、ニコラ・テスラによって、交流モーターが発明されたのは1888年です。
1821年のファラデーによる電磁回転運動の発見から実に60年以上経って、電動モーターが生まれたということです。

そして、1892年には、 ディーゼルによって高効率内燃機関であるディーゼルエンジンが発明されました。

ヘンリー・フォードが自動車を製作したのは、ダイムラーとベンツによる自動車の発明から10年くらい後の1896年です。
その頃、世には蒸気自動車と電気自動車、ガソリン自動車が混在していて、蒸気自動車が一番パワフルだったのです。
そして、エジソンは仲良しだったフォードに、「ガソリン自動車は有望だから頑張れ」と言ったそうです。

つづく

動力の話 その5 蒸気機関からガソリン機関へ

炭鉱で水をくみ出すポンプを動かすための蒸気機関が登場した後、いよいよ移動のための機械、自動車やら鉄道車両の発明と発展に行くわけですが…

この辺の歴史がややこしい。

1769年に、フランスでニコラ=ジョゼフ・キュニョーが蒸気機関で走る「砲車」を作ります。大砲を運ぶためのクルマです。
これは 木でできた荷車のような車体の前端に蒸気機関を取り付け、それで前輪を駆動し、走行速度は時速4km程度。人工動力で走る世界初のクルマです。
ただ、この砲車は、初走行でブレーキが効かず、操舵ができず、壁に激突して廃車になってしまいます。
この砲車は実働可能なレプリカが製作され、現在は博物館に収蔵されています。

それからずいぶん経った1801年に イギリスのリチャード・トレビシックが「蒸気馬車(Steam Carriage)」を製作し、公道を走行。
この時点では、実用的な乗り物というより、物珍しい乗り物、といった感じでしょうね。

そうなったら次は乗用車が!
と来そうなものですが、そうはいきません。

1804年 に、蒸気機関車が製作され、鉄道レール上を走行。
これは石炭輸送に使用されました。
石炭を使って炭鉱のポンプなどを動かすように、石炭を使って石炭を運ぶ、となったわけです。
もちろん、そうした方が効率が良いからです。

1820〜1830年代には、蒸気バスの商業運行が始まります。
が、 早すぎた技術として失敗。
しかし、後のバス産業の原型となります。

ここまで、燃料は石炭の時代です。
でも、クルマの世の中が始まりそうな雰囲気になってきましたね。

1821年 ファラデーが電磁回転運動を発見します。これは後のモーターの原理となります。
が、ここでは「原理」だけです。

1860年に、ルノアールによって、ガスで動くエンジンが作られます。
ここでやっと内燃機関の始まりとなります。
ここでのトピックは、ボイラーを使った外燃機関である蒸気機関から、機関の内部で燃焼が行われる内燃機関になったことと、燃料が石炭からガスになったことです。
ただ、この時点では、コンパクトで高回転の我々が想像するエンジンとはほど遠いものです。

1876年、オットーが4サイクルエンジンを発明。これが自動車エンジンの原型となります。
そして1885年、なんとキュニョーの砲車から100年後に、ダイムラーとベンツのそれぞれが、ガソリンエンジン用いた自動車を実用化。

はい、これでやっとガソリンエンジンの自動車まで来ました。

しかしここまでの歩みは、エンジンや車体のみにフォーカスするのでは無く、複合的な要員があったと見るべきです。

工業技術の進化はもちろん重要ですが、その土台にある燃料の変化も重要だったりします。

燃料は、木炭から石炭、ガソリンへと、同じ体積や重量で比べると、より大きなエネルギーを持つ、エネルギー密度の高いものに変わってきたわけで、それが実用的な動力源に必要だったわけです。

つづく

動力の話 その4 動力の切り離しの話

そもそも何かしら動力機関(蒸気機関とかエンジンとか電動モーターとか)を利用しはじめた頃、動力機関はいずれも大きくて、今みたいに仕事をする機械それぞれに内蔵されているわけではなかったりしました。

想像付きますか?

例えば、工場があって、その建屋の中に複数の工作機械があるわけですが、それらの機械には動力部が無いのです。
この写真は、佐渡金山の工場にある旋盤(材料をグルグル回して削る機械)ですが、モーターは搭載されていません。
代わりに機械の左側に上から降りてきたベルトの動力を受けるプーリーがあります。
このベルトによって駆動されるのです。

で、そのベルトは下の写真のように、天井付近に通された軸に取り付けられたプーリーに掛けられています。
写真では見にくいですが。

そのプーリーから、ちょっと離れた軸のプーリーにベルトが掛けられていて、それらの軸が常にグルグル回ってるのです。
そんな風に軸とプーリーを使って、それぞれの機械のために動力を分配しています。
機械の上には、それぞれの機械のためのプーリーがあるということです。

で、その軸は最終的にどこに繋がっているかというと…
写真が無くて恐縮ですが、工場の外の小屋の中に設置された動力源に繋がっているのです。
まさにエンジンルームですね。
要は、大きなエンジンで

その動力源は、時代によって蒸気機関だったり、ガスエンジンだったり、ディーゼルエンジンだったり。

今ならそれぞれの機械に電動モーターが組み込まれていますので、動力は機械の内部で発生させることができます。
そうすれば、電線を分岐させることで力の源を分けることができるので、軸とプーリーなんていう大げさで不便なものを使う必要はありません。

が!
その電力はどこから来ているかというと、大抵は遠くの発電所です。
その発電所は、もっと遠くにある油田やガス田から取り出した化石燃料で動いている。
まさに長大なサプライチェーンです。

とまぁ、こんな風に、エネルギーの源と、動力源と、仕事をする部分を切り離すというのは結構昔からやっていて、姿形を変えながらも、今も似たような事をやっているわけです。
皆さんの手元にある電化製品だって、EVだって同じです。

そもそも動力源が発明された当初は、機械の効率が低いわけで、小さな動力源を作ったところでまともに動かないわけです。
なので、必然的にデカイ動力源をつくるわけですが、ドデカイ動力源に、直接仕事のための機械を取り付けるというのは現実的ではなくて、回転軸やら何やらで動力を引っ張り出して、延長して、分岐して、その先で何かやろう、みたいなことになるのでしょうね。
伝える方法は、回転軸だったり、圧縮空気だったり、油だったり、電気だったり…
で、そんなことをやっていたら、今みたいに長い長いサプライチェーンができあがった、ということなのでしょうね。

つづく