現物には敵わない

博物館に行ったりすると思うのですが
やはりリアルには叶わない。

何が叶わないって
ネットの情報とか書籍とかがです。

個人的には
書籍は電子情報に比べると
まだ物体っぽい気がするのですが
それは情報としての印象ではなく
情報を封入した媒体としての物体である
みたいな
ちょっとズレちゃってる価値観なのかもしれません。

でも、電子情報は紙媒体みたいに
ペラペラめくることができないという欠点があったり
「これだけ読んだぞ」
という物質としてのボリュームを持たないという
所有欲を刺激しないのですよね。
これって貧乏くさい?

まぁ、それはともかく
博物館で現物を見るのはとても勉強になるのです。

ある文物の存在は知っていても
それを何かしらの媒体に記録されたもので見るのと
現物を見るのでは大きく異なります。

物を見れば
その大きさや形、色や質感など
文字や画像に記録できる以上の情報が手に入ります。

あたかも人対人のコミュニケーションで
口から発した言葉の何倍もの情報が伝わるように
現物と媒体を介した情報では
天と地ほどの差があります。

例えば
エジプトのピラミッドは
多くの人が知るところで
形や大きさなど、大筋の情報は誰もが知っています。
しかし、現物を見て得られる情報とは比較になりません。

アメリカやオーストラリアの荒野や砂漠は
色々な媒体の画像で目にすることができますが
実際に行ってみて見るもの、感じることなど
トータルで得られる情報は膨大で
とても文章で伝えられるものではありません。

個人的には、名所旧跡は大好きなのですが
いかにもな観光地に行くより
むしろ何も無いところに行くのが好きだったりします。

あたかもそこには「無」という強大な存在があるような…
あるんだか無いんだかよく分からない変な表現ですが
そんな場所は
とても言葉や文字
ましては写真でも伝えるのは困難です。
だからこそ、そんな場所が好きなのかもしれませんが。

そんなことを考えていると
オンライン教育の限界が見えてきたりもします。
「空手」の通信教育は不可能であるように(変な例えですね)
オンラインででできることに限界があって
物体にかかわる我々のような仕事は
やはり現物がベストです。

博物館の話に戻りましょう。

もちろんそこには
貴重な文物があるわけで
それが本物なら
それを見るのはとても貴重な経験で
多くが学べます。

もしそれがレプリカならどうなのか?

それは出来にもよるのでしょうけど
本物のような
いわゆる「ありがたみ」はなくとも
それなりに学べることは大きいものです。

昨日行った、古代オリエント博物館には
ハンムラビ法典が刻まれた巨大な石柱のレプリカがあったのですが
ヒビとか傷とかも精巧にに再現されていて
「これ、本物か?」
と思わせるほど説得力のある出来でした。

ここまでくると、レプリカの制作にも匠の技が生きているのだなぁ
と、むしろレプリカの作り方が気になって仕方なかったのです。

高さ2.25mのこんな石柱の表面に
くさび形文字がびっしり刻まれているわけですよ。

Wikipediaより

写真では細かいくさび形文字がよく分からないかもしれませんが
こういう遺物って凄いですよね。
逆にエジプトの遺跡みたいな巨大なスケールのものも同様ですが
「よく作ったよなぁ」
と思います。

そしてその後には
「叶わなねぇなぁ」
と思うのです。

そもそもテクノロジーの発展の根底にあるのは
そういう面倒なことをやらずに済まないだろうか
というところなのですけどね。

ハンムラビ法典の全ての情報をUSBメモリに入れたところで
容量的にはスカスカでしょうけど
このレプリカの存在感や空気感ですら情報としては記録できません。

そういうのは
このブログだって同様なのですけどね。
いったい文字でどれだけ伝わるのか、と。
でも、やる。

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