悩んでいる時

人は色々悩むことがあります。

やらかしてしまったり
やられてしまったり
何かをやれなかったり

まぁ色々なんですが
悩んでる時に何を考えているかというと
起きてしまった過去のこと
自分が知っていたり経験したこと
そういうことと
未来を結びつけたり
結びつけられなかったり
そんなことで悩んでいます。

他にも色々あるでしょうけど
自分の考えが及ぶ範囲に答えがないから悩むんですよね。
どうしたら良いか分からなくて考えてる。

当然ながら、自分の枠の中で考えて悩んでいるのだけど
そもそもそこに答えがないから悩んでいるわけで
いつになっても終わりは無くて
実は考えてもしょうがないのではないでしょうか。

そう。
多分、考えてもしょうがないのです。
考えて答えが出るなら
悩み込む前に答えは出てるでしょうから
「考える」という方向には答えはないということでしょう。

ひょっとしたら
考えているのではなくて
思考停止する安全回路が働いているかもしれませんね。

いずれによ、そんな時は周りが見えなくなってしまうことが問題です。
本人は悩んでいるのだから当たり前なのでしょうけど。

悩む時って人間関係が原因であることがほとんどでしょうから
考え込んで外との繋がりが切れてしまって
本人には、そんなことには気付く余裕がなくて
ますます事態が悪化して
ますます悩むことになる
ということもあるでしょう。

これ、「やる」ことでしか解決しないと思います。
どんな結果が出ようと
そこで何かが分かるはずで
悩み続けているよりは良いはずです。
ちょっぴり勇気が必要でしょうけど。

自分の外に向けて
何かを良くする働きかけをするのも良いかもしれません。
自分の悩みの根源と全く関係ないことでも良いので
他人に親切にするとか、優しくするとか。
道端のゴミを拾ってみても良いかもしれません。

とは言うものの
時にはどうしようもない時期ってあるわけで
そういう時は「諦める」ってのもありですね。
ただ、どうしようもない時期意外はお勧めしません。
自分を裏切ってしまうことになるから。

夢工房の学生達は
大抵いつも元気なのですが
そんな彼らでも、たまには悩むことはあります。
復帰は、早かったり遅かったり色々です。

悩む事自体は悪いことじゃなくて
そういう経験も必要なのです。
それを経て気付くこともありますし。

今回はこんなことを投稿してみましたが
そもそも悩んでる本人が
こんな記事を見るとも思えませんし
悩んでいる状態で
こんな内容が参考になるかどうかは分からないですけどね。
それでも書いてみました。

ガラガラポンなのか?

近代日本の流れを見ると
文明開化
産業革命
大戦
学生運動
バブル経済と崩壊
などなど色々あったわけですが
基本的には
成長ー停滞ー衰退 その繰り返し
という感じだと思います。

歴史はグルグル回ってて
その中にも小さな成長曲線があったり
時として、圧縮されたバネがはじけるように
エネルギーが噴出したり
そういうことを織り交ぜながら
大きな流れが繰り返されるのですね。

で、それがどこかに向かっていくのか
それとも大きな流れを繰り返すだけなのか
はたまた一見、単にグルグルしているようだけど
どこかに向かって進んでいるのか

どうなんでしょう。

ですが、現状を局部的に見れば
コロナ禍で世界中が色んなことを抑制して
あたかもバネを縮めているような状態になっているのは確かでしょう。

とすると、いつか
そのエネルギーが解放される時が来ますね。

もちろん、今回は日本だけの問題ではないので
世界中がその時を待っていて
準備を進めているのでしょう。

ヨーイドン!
でパイ取り合戦?

果たして
先にはじけた方が勝ちなのか
慎重に行くべきなのか

同時に、世界的にキナ臭い雰囲気にもなりつつあります。

これはひょっとすると
世界的なガラガラポンですかね。

あ、 ガラガラポン って
若い人はあまり聞き覚えないでしょう?
あたかもガラガラ回す抽選器でクジ引きするように
現状をリセットしちゃうって意味です。

それが果たして良いことなのか悪いことなのか
それはその人の立ち位置によって違うでしょうけど
大きな動きになるのは間違いないでしょうね。

未来がどうなるかは分からないけど
それぞれが良い未来を築くために努力すべきだし
オロオロしててもしょうがないので
今できることを頑張るしかないですね。

何かしら頑張っていれば
必ずそれが役に立って報われますし
どんな未来を作るかは我々次第です。

さぁ、立ち止まって考えている場合ではないですよ!

無意識の大切さ

人が一日に行う行動のほとんどは無意識によるもの
なので、この無意識の領域について理解して
うまく利用できるようになれば
きっと良いことがあるはず
そう思って色々調べたりしています。

無意識による行動は
本能的なものだったり
いわゆる習慣とか癖だったり
そんなものですが
意識的な行動の根底の方にも確実に結びついています。
いわゆる行動原理とかですね。

なので、我々が行うことの結果は
無意識による影響が大きい
というか、その辺ですでに決定されているのではないかな。

で、この無意識について色々調べていくと
育った家族の
とか
文化的な
とか
そういう広いところに行っちゃうんですよ。

無意識は、決して個人的なところで終わっていないってことですね。

その民族の持つ共通の無意識があって
それが行動原理に繋がっていたりする。
まぁ、そうでしょうね。

そうなると、建国の歴史とか伝説とか神話とか
それこそ、子供の頃に聞いた昔話とか
そういうのが思いのほか効いてくるってことですね。

「自分」は、そういう諸々によってできている
ってことです。

興味深いのは、その「諸々」は
どの辺から含めて考えて良いのかな?ってことなのです。

例えば、縄文時代なんてどうでしょう?
その頃は、文字がなかったので
当時の人が何を考えて何をしたのかなんてことは分かりません。
遺物が残っていて、当時と変わらないであろう自然環境が
多少は残っているのかな?って程度でしょう。
そこから伝わってくるものは
多少なりともあるはずです。

建国の歴史とか伝説とか神話とか なんてことになると
年号は多少覚えているかもしれませんが
誰が何のために何をした
なんてところは良く分かりません。

この国がどのようにできたのか
なんてのは、今や学校では教えませんね。
恥ずかしながら、私が初めて古事記を読んだのは40歳くらいだったりして
大事なところを知るのがあまりに遅すぎました。
まぁ、知らないよりは良いかな、と思いますが。

という具合に
我々日本人は、共通の無意識を構成する根底の部分が弱い。
これ、後々えらいことになりそうな気がします。
今現在、すでに問題になっているのかもしれませんが
それがあまりに当たり前すぎて良く分かりません。

で、危機感持って、ただオロオロしてもしょうがないので
できることをやってみています。

幸いなことに、最近では夢工房の学生達は
ちょっと時間ができると本を読んでいたりして
週に最低でも一度は
人間学について考えたり話し合ったりしてます。

そういう経験が、彼らの無意識領域を構成してくれるでしょうし
そんな彼らが将来どうなるかってことが今後の参考になるかな
と思っています。

技術は人なり