トラブルシュートは人を育てる

夢工房に限らず
レーシングカーを作っている
世界中の学生達は
開発の過程や運用中に
必ずトラブルに遭遇します。

思った通りに動作しない
なぜだ!?

エンジンが始動しない
なんてのは良くある話しです。

彼らのマシンの多くは
量産のオートバイのエンジンを使っていて
燃料噴射のマネージメントなどは
汎用のコントロールユニットで
電装は手作り。

加えて
メカ的な部分も手が入っていたりして
トラブルの根源になりそうな箇所は
数えたらキリがありません。

原因は
設計上の問題だったり
組み付け上の問題だったり
そもそもトラブルシュートの仕方が問題だったり

そんな中で
起きている事象を把握して
関連するシステムや要素をチェックしていく。

時として思いもよらない箇所が
原因だったりするのは良くある話。

このトラブルの根源を探っていくのを
トラブルシュート
と言います。

この過程では
人の考え方が良く出ますね。

どれだけのものが視野に入っているか
なんていうのは特に人となりが分かります。

前例や一般論に捕らわれていたりすると
ある一点に視野が限定されていたりします。

そうなると
その視野の外に原因があったりすると
全く解決ができなくなります。

そもそもトラブルなんていうのは
想定外だからトラブルなわけで
その原因の追求を想定内で収めようとした時点で
解決は不可能になったりします。

なので
知識は重要ですが
そもそもの考え方なんかが効いてきたりするわけです。
視野の広さなんてのは
まさに考え方ですから。

こんなふうに色々あるけど良いのです。
こういうのを経験して始めて
対策や対処の重要性はもちろん
考え方とか
諦めない心とか
大事なことが手に入ります。

こういうのはいわゆる
経験知(暗黙知)なので
情報として前もって知とうとしても無理。
もちろん授業では学べません。

なので、自分で問題に対峙して
対処の仕方を考えて、試して、解決する
そうやって身に付けるしかないのです。

その経験があるかないかは
あまりに大きな違いです。

そうそう
トラブルって
その原因は過去に仕込まれているわけです。

面倒なことを先送りにしたり
大事なところを妥協したりして。

もちろん本人は
そんなことを意識はしていませんが。

で、トラブルとして見えるようになるのは
決まって
一番起きて欲しくないとき
です。

”もの”は正直です。
作った人そのものです。

なので、ものを作ると
ものが教えてくれるんです。

「今のお前はこんなもんだぜ」

って。

目を開いていないと見えませんけどね。

卒業生はありがたい

このところ偶然にも結構な数の卒業生と会う機会があって
色々と貴重な話を聞けています。
彼らには感謝することしきり。

学校での教育って、在学中には
最終艇な成果・効果が見えないので
卒業生達がどうしているかというのは
今後どうするべきか
という方針を決める際に
最も重要な情報なだと思っています。

学校での成績が全てだ
学校で身に付けた知識が全てだ
という意見があるとしたら
全く同意できません。

しょせん学校で学ぶことって
全て過去のことなので
未知の問題などと対峙したときにどうするか
という対処を身に付けるのは難しい。

なので夢工房では
現状の学生達の知識や経験では
どうしたら良いか分からないようなことに
日々チャレンジしているわけで

そこで鍛えられるメンタル
そこで構築されるマインド
これが最も重要なところ。

その成果が現れるのは社会に出てから
なので、卒業生達の意見はとても重要なのです。

当然ながら
彼らの仕事はもちろん
価値観や考えていることは様々です。
彼らの喜びや悩みも様々で
そんな彼らの話を聞いていると
やはりマインドの部分は大事だ
ということが良く分かります。

テクノロジーだって経済だって
それを支えているのは人間のマインドなわけで
決して理論のみで何とかなるものではありません。

さて
卒業生達の職場での問題などについても
色々と情報が収集できて
そこで起きていることは
そこそこの確度で予想が付いていました。

でも、私は占い師でも評論家でもないので
当たったの外れたのというのはどうでも良くて
常に
「じゃ、どうする?」
が大事なのです。

今のところ大筋はOKです。
新しい弾もリロードできましたし
夢工房は今後もブラッシュアップと
チャレンジを進めていきます。

やれ!と言われてやるなら苦労しません

文句言ってても何も良くならないよね
とはいうものの
じゃぁ一体どうしたら良いのさ?

これは大問題なのでしょうけど
どうにもこうにも難しいですね。

だって人から言われて
物事良くなるなら苦労しませんから。

クリティカルな問題に対する指摘を受けたときなんかは
そりゃぁ何とかしなきゃ
って気になるでしょうけど
多くのことは何ともならないことが多いです。

じゃ、分かりやすい例

親が子供に
「勉強しなさい!」
と言う。

言われた子供は
「よーし!やるぞー!!」
なんてことにはならない。

良くてもせいぜい
仕方なくやる。

大抵はやらない。
少なくともやりたくはない。

いずれにせよ
渋々やっても
良い成果は出ません。

だって本当はやりたくないのだから。

やりたくないものなんて
成果出ませんよ。
当たり前じゃん。

でも「やれ!」って言う。

何でそんなことを言うかというと

ダメだと思ってるから。

ダメだから言わなければダメだと思っている。

そうじゃないですか?
イケてると思ったら
そんなこと言いませんよね。

もし自分がダメだと思われていたらどうでしょう?

少なくともやる気は起きませんよね。

相手に対して
ダメだ
と思うってどういうことでしょうか?

相手を信じていないってことでしょう。

相互に信頼できていない関係で
成果を出すって可能なのでしょうか?

聞くまでもないですね。

中にはまれに
言われて渋々やって
何とかなる
そんなケースもあるでしょうけど
そんなのはレアなケースでしょうね。

じゃぁどうしましょうね?

一つ可能性があるのは

相手を信じることでしょうね。

「今はダメでも何とかなるはずだから大丈夫だ」
って。
凄く勇気が要ると思いますが。

ただ、成果に関しては
冷静かつ客観的な評価があっても良いと思います。
こと、プロを目指す場合なんかは。

そういうことによって
自身による現状の把握ができないと
次のステップが決められませんし
主観的な評価だけでは
自分の外の世界では通用しませんから。

もちろん
本人が現状把握をしたら
次のステップは自分で決めないと意味がありません。

ただ
「やれ!やれ!」
言われ続けていると
やるべき事から素早く無意識に回避する癖が付いていたりするので
そうなるとちょっと難しいことになりますが。

ここでは子供と親の関係を例に挙げてみましたが
実際はこんなに単純なことではなくて
色々と大変なのだと思います。

でも、この関係を
他の様々な人間関係に当てはめてみても
基本的な構造は変わらないと思います。

学生と先生
従業員と経営者(従業員同士も同様)
国民と政治家
などなど

なお、今回言いたかったのは
性善説とかそういうことではなくて
気持ちの問題ですので
その辺は誤解なきよう。