価値観のお話し

以前こんな話をしました。
で、もちろん心は大事なのですが、ここでも中盤に言ってますが
じゃぁ、価値観はどうなんだ?
というところが今回のお話し。

心がクリーンで上向きで前向きでパワフルでも
「その価値観はどうなの?」
という状態では、どうにもこうにもですから。

「価値観」とか言うと
分かりやすいようで分かりにくいですが
簡単に言うと
「何のために?」
ってことです。

ただ、難しいのは
絶対的なものは無いってことです。

どんな価値観を持とうと個人の自由です。
当たり前ですが。

例えば
夢工房で頑張っている学生達です。
彼らは本当に朝から晩まで
それこそ休日も
自分のやりたいことを一所懸命やってます。

彼ら自身は、自分の信じている大事なことのために
労力を使っていているわけなのですが
「できるだけ労力を使わずに
リスクを取らずにやっていきたいよ~」
って人から見たら
バカみたい
なのかもしれません。

「そんなことやっても
うまく行く保証無くね?」
とかね。

まぁそうですね。
保証はどこにもありません。

でも、面白いものって
リスクを取って一所懸命頑張ることの中にあったりするのです。
少なくとも夢工房の連中にとっては。

彼らにしてみれば
「大変でもない、誰でもできそうなことやって
それ、面白いの?」
「やったらできるって分かってることをやって
それは価値があるの?」
ってところでしょう。

この辺の価値観の溝は
そう簡単には埋まらないと思います。

でも、将来プロのエンジニアになって
お客さんが喜ぶ製品を開発したいとしたら
未来のお客さんがどう思う製品を開発したいのか?
そのために今の自分はどうすべきか?
そんなことを考えたら
今やるべき事は結構簡単に分かるのではないかな。

当たり前ですが
お客さんが喜んだり驚いたり
そんな製品が作りたいですよね。

だったら、そのための準備は早ければ早いほど良い。

重要なことは
今の自分はどんな価値観を持っているのか
ですが
その価値観はどうやって形づくられたか
これが最も重要です。

もしそれが
自分自身で形づくったものでなく
誰かに言われたからとか
そんなことが原因にあるなら
恐らく面白いことにはなりませんし
どんなことになっても
誰も責任を取ってくれません。

もちろん、自身の責任ではないのであれば
過ぎてしまったこと対して後悔するかもしれませんし
誰かを恨みたくなるかもしれません。
でも、 誰も責任を取ってくれません。

自分で決めてやったことであれば
もし思い通りにいかなかったとしても
あまり後悔はしないでしょうし
考えて実行したプロセスの中で
学ぶことは山ほどあったはずなので
気付けば色々できるようになっているはずです。

いやぁ、なぜこんな話を長々としているかというと
私が学生の頃から変わらないのですが
必ずいるんですよ
クルマやバイクが好きな若者に

「好きなことを趣味にするのはやめとけ~」

って言う人。
で、それを真に受けて悩んでいる人。

私は、ぜひ聞いてみたい
「そんなこと言うあんたは
自分が大好きなことを仕事にしたことあるんですか?」
と。

少なくとも
昔私にそんな話をして下さった方は
そういう仕事はなさってませんでしたけどね。
ま、そんなもんです。

え?自分ならどう言うかって?
「大変だけど超面白いから絶対やれ!」
ですね。

うつむいて反省なんてしなくて良いんだよ

真面目な学生がうまくいかない理由を一つ発見しました。
最初に理由を言ってしまうと

ダメなところにフォーカスするから
です。

教員は学生に対して
いわゆる「ダメ出し」をすることが多いのですが
「ダメだ!ダメだ!」だけじゃなく
「こうしたら良いんじゃない?」
までアドバイスして、その時の反応で
どうなってるかが分かったりします。

「あ、そうか!」
ってなるか

「う~ん…」
ってなっちゃうか

反応が
「 あ、そうか!」
の場合は、新しい発見をして
「そちらに行きたい!」
という意思が働いています。
新発見の「行きたい方向」にフォーカスしてるから大丈夫。
新たな気付きに対してトライするでしょう。

「う~ん…」
の場合が問題で
アドバイスに対して本人が納得できていないなら
納得できるように話し合えば良いのですが
納得していて、かつ
「う~ん…」
の場合の多くは
指摘された、自分がやらかしてしまった(と思っている)
ダメなところにフォーカスしている可能性があります。

心情としては
「ダメなことをやってしまった」
「ダメなところを直したい」
ってところなんでしょうけど
いかんせんフォーカスしている先が「ダメなところ」なので
無意識にそちらに進んでしまって
次も同じことをやってしまう可能性があります。

まさか?同じことはやらんでしょう?
と思うでしょう?
無意識は、良いとか悪いとか判断できませんから
フォーカスしている方に向かってしまう可能性があるのです。
自分でも「嫌だ」と思っているのに繰り返してしまう
そんな場合は、まさにそういうケースでしょうね。
なんか皮肉です。

いわゆる、おとなしい良い子は
やらかしてしまうことに対する罪悪感が
強かったりするのでしょうね。

推測ですが、過去のやらかしに対して
いわゆる「お前、反省してんのか!」的に
やり込められた経験があるのかもしれなくて
その時に、問題そのものにフォーカスして
うつむいて思考停止していたなら
今も条件反射的にそういう反応をしている
可能性があるのではないかと思います。

まぁ、色々なケースがあるのでしょうが。
そんなこんなで
問題そのものに集中してしまうのは、よろしくないことです。

問題にフォーカスして、それを良くしようとする
そういうのも必要で、大事だとは思いますが
それができる人間と
苦手な人間がいるってことです。

うまくいかない時に
うまくいく方にフォーカスするか
うまくいかない理由にフォーカスするか
この辺がどうにかなるのかな?
切り替えられるのかな?
というのが興味深いところ。

エンジニアを目指すなら
失敗した時が成長するチャンスなのだから
その辺を解決できたら最高なのです。

正直なところ
どうせ皆、違う特性を持っているのだし
同じような方向に成長なんてできないのだから
そもそも持っている特性を有利に使う方法が
きっとあるはずで
それが戦略的にベストなソリューションなのでしょうね。

やはり心が大事なのでした

どうもアレですね
理系の世界にいるからかどうなのか
どうも理屈によって色々なものが決まって
それで人が動くと思いがちですが

人は理屈では動かない

それでも、理屈で人を動かそうとしますよね。
正論を唱えれば動いてくれるんじゃないかと。
このブログもどうなんだ?って感じですよ。

「これがこんな風にできると
こんなに良いことがあるよ!」
(もしくは、できないとこんなに恐ろしいことになるよ)
なんて外部から働きかけたら人は動くか?

動くこともあるけど
動かないこともありますね。

何でかというと
そもそも人を動かしているのは何かというと
感情(心)だからですね。

理屈を自身の価値観に照らして感情を動かすなら
結果として人は動くのでしょうけど
そこに至らなければ動かない。

親や先生が
「勉強しなさい!」
なんて言っても
心が動かなければやらんですよね。
自身、勉強しなきゃいけないことなんて百も承知
でもやらない。

同様に
他人に正論ぶつけても
実行するかどうかは別問題。

なので、言っていることが正しいかどうかなんて
そんなことは問題ではないのですね。

皆分かっているはずです。
「分かってるんだけどね~」
って思っているもんね。

なので考えるまでもなく
大事なのは心なのですけどね。

その辺を重視して
伸ばしたり鍛えたりってのには
意外と無頓着ですよね。

まぁ、これといった答えのない世界なので難しいのでしょうけどね。
でも、ジタバタすべきだと思うのです。

で、夢工房は日々試行錯誤しているわけです。