彼らは気付いてる

最近、というか毎年ですが、この時期は1年生のレポートを見る機会が多いのです。
で、今年の1年生の傾向、昨年までとだいぶ違ってます。
これ、我が大学のみなのか、それとも全国的な傾向なのか分かりませんが。

どう違うかというと…

なんか結構海外志向が強い
AI優勢になることを見越して色々考えてる
守りよりも攻めの傾向がちょっとだけ見える

その辺が特徴かな。
もちろん全員ではないですが、去年の1年生とはかなり違う傾向を示しています。

なぜなのでしょうね?
良く分かりませんが、とても興味深い。
コロナ禍のリバウンドなのでしょうか?

何にせよ、その方向で成長を遂げてくれたら面白いことになるかもしれません。
ただ、既存の環境に慣らされて、守りに入ったり失速したりしないことを祈るばかり。

1年生のうちにチャレンジのスタートダッシュを決められるか否かで、彼らの将来はかなり変わってくると思います。
何となく楽しみです。

困難は人を育てる

困難を克服できるってのは、今までできなかったことができるようになったということであって、成長したってこと。

仕事をする上でも、毎回同じレベルでやってたら、それは「成長してない」ってことでしょう。
製品開発なんかを想像してみれば簡単なのだけど、毎度毎度同じレベルの製品を出してたら…まぁ、言うまでも無いですね。

次の仕事に向けての新しい課題とか、発生したトラブルとか、そういったものは見ようによっては全て困難。

そういったものに対して、チャレンジする楽しさを感じられるようになってくれたら、学校教育としては一つ成功していると言っても良いのではないかな。

でも、「リスクは避けるべきものである」という価値観が根付いていると、これは難しくなります。
つまり、成長が難しくなるということ。
せめてできるのは、知識を詰め込むこと、ってことになるのでしょうね。

彼らが困難に遭遇したときには、大なり小なりパニック状態になっています。
「パニック」というのは表現が大げさかもしれないけど「どうしたら良いか分からない」という状態です。
対象に対してネガティブものであるという判断がこれを引き起こしています。
そりゃそうです。ポジティブなものだという判断ならそんなことにはなりませんから。
これ、価値観によるものですね。

まぁ、価値観を変えるのは難しいことなので、そういう指向を持つ場合は仕方ない場合もあるでしょう。

でも、チャレンジャーの資質を持つ者もいるわけで、そういう場合は数多くのチャレンジによって、場数による慣れで困難の対処の仕方を身に付けることが可能です。

その「慣れる」というのは単純だけどとても大事で、馬鹿にできません。
慣れればパニックにならず、冷静に判断と対処ができる。
つまり、リスクをコントロールすることができるということです。
そういうった訓練ができる環境があれば、いずれは何とかなります。資質は必要だと思うけど。

とか考えていると、やはり環境って大事だな、と思うのです。

良い環境を作らねば 2

学校で、塾で、言われたことばかりやって
家に帰ればゲームで…

ゲームね、好きなことをやっているような気がするけど、結局は設計通りに動かされてるだけですよ。
シナリオやプログラムの範囲内から出ることはないわけですから。
まぁ、楽しいのが救いというか、楽しいから逆に困っちゃうというか。

ま、いずれにせよ、言われたことばかりやっていたら、チャレンジなんてする気は起きないでしょう。
で、それが習慣になっちゃうと、言われてやる人になるのは当然。
もちろん、やる内容は最低限。

こういう未来はどうなのでしょう。
面白くないでしょうね。
というか、もっと面白くしたいのです。

どうしたら良いのでしょう?

恐らく環境が変わることが最重要。
彼らだって好き好んでそうなるわけではないでしょうし、そういった環境は作られたもので、それに順応しているだけでしょう。

だったら新しい環境を作れば良いのです。

それは、シナリオが決められた世界ではなく、自分の力を使って意外性や発見の中で立ち回っていく、そんな環境。
そういうのを楽しめる環境。

まず、言われたことをやって、失敗したら怒られる
のようなの環境を変える必要があるでしょう。

失敗を許容する、失敗を楽しめる、そこに発見がある、その経験を未来に活かせる
そういった環境。
そういうのを皆で作る必要がある。
もちろん、教員、学生の双方の努力が必要でしょう。

環境を変えられなければ、「挑戦しろ!」とか言ったところで、「何言ってんだか」となるでしょうね。
そもそもそれじゃぁ、「言われたことをやる」という本質的な部分は何ら変わらない。

と、そんなことを言ったところで、なかなか難しいのですよ。
でも、だからこそ、ですよ。