アイデアの話 2

「良いものを作りたい!」
と思ったら、良いアイデアが必要です。

どんなアイデアを出すか
どうアイデアを出すか

結局のところ、それは「心」の問題。
どれくらいアイデアを必要とするかによる。
もちろん「自分が」です。

まぁ、言ってみれば熱意次第ってことですね。

で、その「熱意」の程度が重要なのですが、一体どうしたら手に入るのでしょう?
それはもう人それぞれで、一言で言えたら苦労しません。
少なくとも、人からもらうわけにはいきませんね。

なので、自分で発動させるしかない。
それを何とかしようとしているか?というのも変ですが、熱意が発動するような心のメンテナンスをしているか、というのが大事そうです。

でも、恐らくそれは、特定の方法があるわけでも無さそうです。
なので、色々やってみるのが良いでしょうね。

そもそも、現状の自分の状態を確認して評価する習慣が必要ですが。
「今の自分は望む方向に向いているのか?」
「熱意は持てているか?」
とかね。
そこに気付かないと何も始まりませんので。

そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、現代社会は、特に学校では、一方的に課されて考え無しにこなすことが多すぎて、そういうセルフメンテナンスをする機会がなさ過ぎると思うのです。
なので、こういったことを意識的にやるのは重要です。

さて、ではアイデアを出す段階に来たとしましょう。

一所懸命考えて、何かアイデアが出たら、それで突っ走る?

それも良いかもしれませんが、ここで大事になるのが「何のため?」です。

もし、良いものを作りたいと思っているなら、アイデを出す段階で慌てて突っ走ってはいけません。

きっと良いものを作るといっても期限があるでしょう?
だからこそ慌てて走り出そうとする気持ちは分かるのですが、ここでのミッションは「期限内に良いものを作る」です。

良いものというのは相対論です。
何に対して「良い」のか?ということです。

なので、最初にやるべきことは、できるだけ多くのアイデアを出すことです。
そして、それらを比べてベストなものを選ぶ。
もちろん、期限を守るためには、そのプロセスを素早くやる必要がありますね。

最悪なのは、考えすぎて時間切れになったり、このアイデアを出して揉むプロセスに時間をかけすぎて、実行と改善のプロセスが縮小してしまうことです。

いくら頑張って考えても、いざそれを形にしてみたら、どうにイマイチだったなんてことは良くある話。
形にしてからのリファインが本当に重要な工程です。それを忘れてはいけません。

そうそう、ありがちなケースについて説明しておきましょう。
一つのアイデアを思い付いたら、すぐにそれを形にしてしまうと何が起きるか。

良いのか良くないのか良く分からないものが形になって、時間切れで妥協するとか、そこで「振り出しに戻る」となって、急いでいたはずが逆に時間を失う、なんてことが良くあります。

とまぁ、こんなことも仕事を始めた頃に学んだことの一つです。
もちろん失敗を通してね。

思考を奪うには?では逆は?

快適で安心で何の不自由も無いノーストレス

理想な状態ですか?

でも、この状態では、何もする必要がありません。
なので、何も考える必要は無い。
もちろん、成長する必要はありません。

ちょっと最近、マズイと思うことがあります。
インターネットの世界には、ほぼ無料で楽しめるコンテンツが山ほどあります。
ただ見ていれば楽しめる動画がたくさんあるでしょう?
見ていると、あっという間に時間が過ぎますね。
その間、自分は何をしているかというと、何もしていません。
何もせずに、単に情報を受け止めて楽しんでいるだけ。
こんな楽ちんで楽しいもの、そう簡単にやめられません。

これ、マズいな、と。

何がマズイって、情報を受け止めているので、満足感はかなりあります。
単純に楽しいし。

でも、頭使ってません。
アウトプットもしていない。

これは能力が劣化するぞ、と自覚しています。
でも、手強いですよね。楽しいですから。

思考が劣化して、アウトプットできなくなったら、これはピンチです。
無価値で存在意義が無くなってしまう。

思考ができずにアウトプットもできなければ、業務では、課されたものを単にやるだけ、ということになる可能性が大きい。
情報を受け取るだけ、となると、単なる消費マシーンになってしまいます。
それは言い過ぎかもしれないけど、それくらい危機感を持っています。

そう、思考を奪って消費マシーンにするには、快適で楽しいものを供給すれば良いのですね。
アウトプットを求めずに。
すると、もっと快適で楽しいものが欲しくなる一方、能力は低下していくので、言われたことを我慢してやって、お金をもらったら娯楽に投入して…のループが回る。
指示無しには動けない、消費マシーンのできあがり。

これ、学校の教育にも同じことが当てはめられます。
真面目に授業を受けて、発言も質問もせず、課された問題を解く。

「問題を解く」というところで頭を使っているように感じますが、あらかじめ決められた方法に従って、単に作業をしている…という見方をするのであれば、「考えている」というより、「考えること」に必要な、一部の能力を使っているに過ぎないという気もします。

現に、勉学の成績が優秀でも、仕事ができるわけではないという事実がそれを端的に表しています。

では、どうしたら良いのか?

お勉強が大好きな人は、それをトコトン突き詰めるのもアリだとは思いますが、そうでない場合…

これはとてもシンプルで、好きなことで、「どうしても欲しい、高いゴール」を設定して、壁にぶつかったりして、ヒーヒー言いながら頑張ることだと思います。

そこにはストレスや挫折やリスクがあるかもしれませんが、どうしても乗り越えたいというモチベーションがあれば何とかしようとするものです。
そこに大事な「学び」があります。

お勉強の知識って、そういう時に利用するものですよ。

「何がなんでも何とかしたい!」と頭を使っている状態が、「考えている」状態です。
あくまでも、自分の考えで何とかしたいのだ!という状態。

発信せずに受け取るだけとか、ノーストレスはダメなのです。

でもそれを、好きでもないことでやろうとすると、単にキツイだけ。
なので、好きなことでやりましょうよ!
そうしたら、驚くほど成長するし、能力が向上しますよ。
ということなのです。

アイデアの話

「idea(アイデア)」
古代ギリシャ語のイデアに由来します。
これは「姿」「形」「見え方」といった意味で、後にプラトンが「本質的な理念(イデア論)」として哲学的に発展させました。

とか難しい話は置いておいて。
一般的にアイデアと言えば、思いつきとか、ひらめきですね。

その元になるのは、知識とか経験による「引き出し」です。
だからお勉強が必要なんですよ。
が!
お勉強とはなんぞや?というのもあります。
単に学校で教科書から得た知識のみを指すのか?
もちろん、そんなことはありません。

と、それも置いておいて。
「引き出し」からアイデアをひねり出すために必要なものがあります。

それは、モチベーション(目的や動機)です。
ただ、モチベーションとはいえ、それも高かったり低かったりしますね。

では、その高低を決めるのは何か?
…というところまで掘っていくと、やはり行き着く先は「心」ということになってしまうのです。
どう思いますか?

「もの」を生み出す元となるもの。
それはアイデアだったり知識やスキルだったり
そういったものはもちろん大事なのですが
そもそもの「心」が原点にある。

学ぶのも、スキルを向上させるのも
そしてそれらの質を向上させて、形にするレベルも
全てモチベーションや心にかかっている
そう思うのです。

そして今、何を思ったかというと…

縄文人って凄えな
です。

何だそりゃ?

まぁ、そうで思うしょう。
たまたま、ふと思っちゃっただけなのですけどね。
一度、縄文土器や土偶を良く見て下さいな。

一体どんな心が、あの形を作るのか?
そこから現代に至る道の延長線上に未来があるわけで、我々がこの先どうしていくべきなのかというヒントが、そこにありそうな気がしてなりません。
と、そんなことも考えたりする今日この頃。