面白さの作り方

面白いと感じないとパフォーマンスは伸ばせないというようなことを何度も記事にしていますが、そもそも面白いと感じるためには何が必要なのでしょう?

実は「余裕」が重要なのだと思っています。

というのも、単に生きるだけではなく、より便利なもの、より快適なものなどは、最低限必要なものに対する付加価値で、最低限のものを得たり生み出したりするのにヒーヒー言ってる状態では無理だから。

我々が持つリソース、お金とか時間とか、それこそ知識とかスキルとか体力とか、色々あるのですが、もし余裕が無くて、生きることが最重要という状態であれば、リソースをそのために使うしかありません。

余裕が無ければ面白さどころでは無いのです。

では、どうやって余裕を作り出すかが問題なのですが、ここが工夫のしどころ。

なのですが、実は我々は結構余計なことにリソースを消費しているのです。

分かりやすいところでは、インターネットにまつわる諸々かな。
デジタルデトックスとか聞いたことがあるでしょう。
ネットに接続すれば、YouTubeとかXをはじめとするSNSとかネットニュースとか、とにかく魅力的なコンテンツが沢山あります。
そこにリソースが消費されています。
これは想像以上に大きな消費です。
特に時間。

そういった無駄を削減していけば、時間をはじめとする各種リソースに余裕が生まれます。
その余裕を自分が好きなことや、為すべき事に使いましょう。

すると、スキルが向上したり何か見えてきたりして、面白くなってきます。
それを継続できれば、それなりに形になってくるものです。

まぁつまり、簡単に言うと集中力が大事で、いかに持てるリソースを集中投下するかってところなのですが、我々は欲深くて心が弱いので、雑音に心を奪われたり、それで本当にうまくいくのか?なんて心配して決意が揺らいだりして、なかなか難しかったりするのですよね。

でも、理屈は簡単でしょう?
超シンプルですよ。


教えれば教えるほど…6

で、結局どうしたら良いのか?
の続きです。

「できればやりたくない」「最低限にしたい」
これを
「できればやりたい」「もっとやりたい」
にする必要があります。

そうなれば自ら学ぶし、失敗を次のチャレンジに使えるポジティブな経験にも変換できます。

そのためには何が必要か?
それが問題です。

面白そうなものがあること
これは重要ですね。

面白そうなことや、好きなことをやっていい環境です。
最初は何かしらのテーマが用意されていても良いかもしれませんね。
ただし、やることが全て決められていてはいけません。
自分で作り上げていく感覚が重要ですから。
そこから離陸するなら、次は自分発で発想したものに取り組むチャンスが必要。

加えて、それらを継続するための材料も必要です。
もちろんその一つは、取り組むテーマが持つ魅力です。
そしてそれを継続するために必要なことは、適切なストレスやプレッシャーです。

え?ストレスやプレッシャーじゃ逆効果にならない?

取り組むものは、到達したいゴールに向けて頑張るわけですが、何でもマイペースでやると問題が起きます。
経験の無いことをやれば、必ず壁にぶつかりますから。

そのときに足を止めてしましまったり、投げ出してしまったりする可能性はあるでしょう。

しかし、困難とか失敗の経験や克服からしか学ぶことはできませんので、その状況こそが重要なところなのです。

そして、世のため人のために成果を発信して、喜んでもらうことが価値なので、完全にマイペースになってしまうと、他人は関係なくなってしまい、価値が最小化されてしまうかもしれない。

それを避けるために、マイルストーン(中間地点)やタイムリミットが必要。

レースやコンペティションであれば、本番までに狙った性能や成果を得る必要があるとか。

対外的に発表したときに狙い通りのパフォーマンスを発揮することができるか、とか。
これはわかりやすいところで言うと、何かしらの発表会とかですね。

それと、支援者との約束なども効果的です。
好きなことを継続するために支援が必要であれば、支援者が納得できるだけの成果が必要ですからね。

と、そんなことを継続していけば、目に見える成果はどうあろうと、マインドもメンタルも成長していくのです。
それは、これまでの夢工房の活動で明らかになっています。

もちろん目に見える成果も重要ですけどね。
でも、これまた失敗しても損はしていなくて、得られるものは大きいのですよ、ということです。

教えれば教えるほど…5

で、結局どうしたら良いのか?

勉強はした方が良いし、そうすべきなのは誰しも分かっているわけです。
理屈としては。

では果たして理屈として理解したらやるのか?できるのか?

そうではありません。
分かっていてもやりたくなければやりません。
…やる人もいるにはいるけど。

そこで「やれ」と言う。
そして仕方なく「やる」。

そして、言えば言うほど、やればやるほど
勉強とはやらされるものだ
言われたことをやるものだ
言われたことを覚えるものだ
それが勉強だ
やらされるのは嫌だから勉強は嫌なものだ
という意識が強化されていく。

そして卒業すると
「あぁ、これで勉強しなくて済む」
となる。

でも本来の勉強は、教科書を覚えるような定型的な学習ではなく、必要なものを都度手に入れるもの。

言われたらやる
ではなく
言われなくてもやる
言われないことをやる。
そのための学びが必要になる。

やりたいこと、やるべきことに対して必要なことを学び、できるようになったら、そりゃぁ面白いものです。
そういうのを学生のうちから味わって欲しい。
そのための学びをして欲しいのです。

知ったことが次々に形になっていく。
そりゃぁ面白いですよ。

自分で選んで大学に行くのだから、一生懸命やるのは当然だ。
というのがこれまで続いてきた価値観ですが、それがうまくいっていたら現状のようにはならないわけで。

そういうのって本人の意思/意識の問題なのでは?とも言えるし、それはもっとももなのだけど、意思や意識さえも環境によって形づくられるはずで、やはり重要なのは環境です。

であれば、いかに自発性を誘起する環境をつくるかがカギになるでしょう。
というか、それが全てだ!
というのは言いすぎ?