新しい成長サイクルに向けて

成長が鈍化するのなら、現在の成長サイクルは熟成期に入っているということ。
その後は新しいサイクルが始まる。

その成長サイクルが、果たして好ましいものなのか否かは分かりませんが。
現在の情勢を見ると、新しい時代がやってくるのはほぼ確定といった感じ。

その「新しい時代」とは、一体どのような時代なのか?
それが問題。

「やってくる」というか、もうすでに始まってはいるのでしょうが、その渦中にいる我々には良く分からないのでしょう。

私は教育者という立場ですので、その「新しい時代」に対応できる学生を育成する必要があります。
しかし、正直言ってそんなの分からないのですよ。

ただ、分かることもあります。

言われたらやる、言われたことをやる
そういった教育は行き詰まっている。

そして、今後到来するAIの時代に突入するに当たって、想像できるのは…

  • AIの出した結果を実行する人
  • AIのできないことをやる人

この二分化は起きるだろうな、と思っています。

今までと価値観から変わるとしたら、出来が良いとか悪いとか、従来の尺度はリセットされる可能性が高い。
どちらを取るかは本人次第。

AIの出した結果を実行するのであれば
言われたらやる、言われたことをやる
という、現状の教育方法がマッチすると思います。
ただ、生産性はあまり上がらないでしょう。
なぜかというと、モチベーションが上がらないから。

いや、その辺はAIが何とか良い方法を考えてくれるのかな?
優しいAIだと良いですね。

AIのできないことをやる
こちらに対しては未知数です。
そもそも、AI自体が凄い勢いで高性能化するでしょうから。

ただ、AIが進化すればするほど、AIにはできない領域が明らかになるのではないかと思います。
それが何なのか分かれば苦労しないのですが…一体何なのでしょうね。

で、恐らく、それが分かってから動いても遅いです。
というか、分かるまで動かなければ、その時が来ても動けないでしょう。

そう、人は理屈だけでは動けないのです。

では、何で動くのか?

感情とか価値観、時として本能でしょうか。
そんなものです。

変化できる、動ける、チャレンジできる
そして、それを継続できる
そんな人は、いつの時代でも必要ですし、先の分からない時代に対応できそうなのは、そんな人でしょう。

好きなことをやろう 2

日本の教育は「苦行」をしないと高みには到達できない、という価値観がベースにあるのではなかろうか?なんて思うことがあります。

確かに、成長する勝ち得において、困難を乗り越えるプロセスは重要なのです。

でもね、問題は何を成長させるのか?ってところ。

不得意なもの、嫌いなものをできるようになる
というところに注力していますよね。

受験勉強ってそうやってクリアするのだから、現状のシステムが原因なのですが。

ただ、そのやり方では、得意なもの、好きなものに投入するリソースが減少します。
もちろん心も消耗する。

結果としてどうなるか?

特徴が無く、強みが無くなる。

そりゃぁ、将来の夢とか、ひいては就活とか、悩むのは当然でしょう。

好きなことをピンピンに伸ばすのが最高です。
それがうまくいくに決まってる。

他から与えられたものと
自ら求めたものと
どっちがいいの?
という話でもあって、与えられ続ける環境で育てば、自ら取りに行けなくなって当然なわけで、それが習慣になったら、そりゃ仕事だってできなくなっちゃうよなぁ、と思いますよ。

基本的に、失敗とか困難を乗り越えないと成長できないとは思います。
しかしそれは、嫌いなことをやるという、最初から突入したくない世界でやるべきことではなくて、大好きなことをやる中で経験すべきことです。
そうじゃないと乗り越えられない。

分かりやすいところで言うと、お坊さんだって自らの意思で修行しているわけですよ。
望んだことをやって、その中で壁にぶつかって乗り越えるのが修行でしょう。

学校での学びも、もっと具体性があって、自分が好きなことを信じて突っ込んでいけるような環境があれば、きっと凄いことになるのです。
それは夢工房を巣立っていった学生達を見る限り、間違いない。

好きなことをやろう

バイクと出会い、クルマと出会い、レースと出会い
その後、開発の仕事と出会い…
というふうに、好きなことばかりやってきて、今に至ります。

その間、好きでもないことはやらなかったかというと、そんなことはなかったけど、基本的に軸足は外しませんでした。

誰の役にも立たない、誰も喜ばない「好きなこと」のままでは、単なる趣味に終わるかもしれないけど。

でも、いつかやってくる。
「好き」が「価値」と交差するポイントが。
それがチャンスなのでしょうね。

気を付けないといけないのは
躊躇すると道を外れる
ということ。

やってきたチャンスも、躊躇している間に過ぎ去ってしまう。

大抵の場合、躊躇のきっかけとなるのはノイズです。

「そんなことをやっている暇があったら…」
「そんなことばかりやってないで…」

躊躇しているうちに時間が経つ。
そして
「もう遅い」
が着実に近づいてくる。

「自分が本当に欲しいもの」が何なのか分からない?
ひょっとして、ピッタリ自分にマッチする「正解」を探してる?
やったら絶対に成功する「正解」を探してる?

恐らくそれは見付からない。
そもそも正解なんて無いから。

正解不正解なんて無いし、もしあるとしても決めるのは自分。
やってみないと分からないし、やってみる中で作っていくものと言っても良いかもしれない。
なので、早くやることが正解と言えるかもしれない。

というわけで、「正解」を探そうとしたら逆に見付からない。
迷走して時間を浪費して、挑戦する時間を失う。

そもそも、好きでもないことをやって、うまく行くのだろうか?
好きなことと、好きでもないこと、どちらがうまく行きそう?
恐らく考えるまでもない。

好きなことについて考えて、未来を想像して逆算する。
そして必要と思うことをやれば良い。

その想像の未来が正しいのか間違えているのかは問題ではない。
だってそれを今から作っていくのだから、正解とか不正解なんて無いのだ。

きっと正解がある
だからよーく考えて…
という考え方自体が問題だけど、それが今までの教育の結果。
チャンスを逃し、皆と同じようになるやり方。

君がチャンスを逃して、皆と同じになると、喜んだり安心したりする人のためのやり方。
果たしてそれは、自分の人生なのだろうか?

運はチャンスを探し求めている人のところにやってきます。
準備ができているところにやってくる。

この場合の「準備」とは、「好きなことをやって、走り続けていること」です。
足を止めて考えていることではない。