我々にとってAIの存在は?

AIのチャットに続き
AIエージェントなるものが使われ始めています

チャットでも、ちょっとした資料を作ったり
プログラムのコード生成なんかはできますが
エージェントになると、ちょっとレベルが違いますね。

最近、今まで敬遠していたAIエージェントを使い始めたのですが
なるほど、こりゃ仕事に使えるな
と実感しました。
まだまだ浅い使い方ですが、違いは実感できました。

それらを一通り使って思うのは
AIに何をさせたいのかというビジョンを持てるか
というのはもちろん
やはりプロンプト(命令文)を書くにもスキルが要る
ということです。

何をさせたいのか不明確な指示で
思い通りのものを生成させる
というのは、いささか無理があります。

でも、不明確で不十分な指示でも
そこそこのものができてしまうのも事実なのですけどね。

で、思ったのは
バイクと同じだな
ということ。

よく言われるのは
高性能バイクに乗るのは良いけど
乗りこなせない状態を
「バイクに乗せられてる」
なんて言います。
それでも、そこそこ走れちゃうものです。

AIツールも一緒ですね。
使ってはいるけど
使いこなせない状態
それでも、そこそこ役に立ってしまう。

その状態を
「AIに使われてる」
と言うべきかは分かりませんが。

でも、生成AIに疑問・質問を投げて
回答に従う状態は
「使われてる」
のかもしれませんね。

というわけで
AIとのお付き合いも

使われる人
使う人

と、二極化しそうな気がします。

あとは
そんなの使わん!
と言う人もいるでしょうね。

さて、果たしてAIは
我々に何を与えてくれて
何を奪うのでしょうか?

我々にとって
どういう存在なのでしょうか?

それは
それなりの年月を付き合ってみないと分からないでしょうけどね。

先生がAIで問題を作って
学生がAIでそれを解く
なんて冗談みたいな時代がやってきそうな…

過渡期には、それに似たような事になりそうな気がしなくもありません。
というか、すでになってる??


レースが生み出すもの

レースは、燃料をぶちまいて
無駄なことをしているように見えますかね。
何を好き好んで、あんな危なくて不経済なことを…
と思いますか?

きっと興味が無い人から見たらそう見えるかもしれません。

やるにしても、見て楽しむにしても
それなりにお金がかかります。
でもこれは
多少なりとも経済を回すことに貢献していると言えるでしょう。

で、「燃料ぶちまき」の件ですが
実はレースで勝とうと思ったら
効率を上げないといけないのですよ。

マシンには決められた量の燃料しか積めなかったりするし
燃料搭載量のルールが無かったとしても
搭載量を減らせば軽くなるので
速く走りたければ、そうしたくなる。

となると、限られた量の燃料で
もしくは可能な限り少ない燃料で
大きなパワーを得たい
ということになります。

これ、効率向上です。

というわけで
一見、不経済でも
実はそうでもない側面があったりします。

あと、レーシングマシンを作る人
それを運用する人
関わる人の「熱量」は大事です。

この熱量が、新しい技術やアイデアを生みます。
もちろん、周囲にも波及します。

こういう
対象に熱くなれる
という資質は
良いものを作るには欠かせません。

なので、レースはとても大事だと思っています。

レースはチャレンジです。
チャレンジすれば失敗もしますから
そういう意味では効率は悪いのかもしれません。

でも
新しい何かとか
価値あるものは
効率が良いところからなんて生まれないと思うのですよ。

だって、そういうのが生まれるのって
決まってチャレンジからですものね。

見えないものの価値を取りに行けない理由

見えないものは信じない?

まあ、そういう考え方もあるでしょう。

でも、そこにこそ価値がある
と言う考え方もあります。

アイデアの源は
思いとか考え方
それらは目に見えません。

目に見えないので
見えないものは信じない人
は狙いにいきません。

点数とか資格とか
知識とかロジックとかは
定量化・定型化できるので
手っ取り早くそういったものを手に入れると
何となく安心できたりします。

でも、よーく考えてみると
我々の周囲に溢れている
物体やサービスのほとんどは
人が作ったもの。

それらはどうやって作られたか?

ずーっと源流を辿ると
人の「思い」が終着点になります。

そこから発する
想像力とか
行動力とか

そういったものは
思いの強さによって発動するのです。

もちろん
定量化・定型化できる諸々を
手に入れるか否かも同様です。

幸いなことに
思いの強さなんてものは
自分で好き勝手に設定して良いのです。
誰の許可も資格も要りません。

でも、そいつを解放するとどうなるか?

「普通」じゃなくなるのですよ。

すると
普通じゃないことによるメリットと同時に
何かしらのリスクが発生するのです。

そこで

前に進めるか
腰が引けてしまうか

どちらになるかは価値観の問題なのでしょうね。