想像力を鍛えねば

新しいものを作るには、まずそれが想像できなければなりません。
最終的にはどうしたいか
想像もできないゴールを設定することはできませんから。

それが想像できたら、次にそのためには何が必要かを考える。
これもことによっては想像するわけですが、ゴールの想像よりも抽象度が低い。
つまり相対的に抽象的ではなくなる。具体的になるってことです。

そうやって、「そのためには何が?」「そのためには何が?」…と考えていくと、どんどん抽象度が下がっていって、より具体的になっていきます。

最下層の方になると、ほとんど想像力は必要無くなって、具体的に何が必要かを明確にするためには、「考える」よりも「探す」に近いことになるはず。

で、具体的なことが明確になったらやるだけです。

間違えてはいけないのは、最下層から上に向かって積み上げてはいけないということ。
そんなことをしても未来は見通せないと思います。
嘘だと思ったらやってみましょう。

今、大学でこんなことを勉強している。
それを継続するとこういうことになる。

ってな具合に積み上げていくとどうなるでしょう?
望んだ未来が手に入りますか?

望まない結果になるか
訳分からないことになるか
恐らくどちらかではないかな。

というわけで、新しい何かを為すためには、想像力が必要なのです。

さぁ、想像力を鍛えましょう。

でも、どうしましょうね?

まずは小さな事でも良いので、面白そうなことをやってみるのがお勧めです。
あまりリスクとかを考えずに
「こうなったらいいな」
と、望む未来を想像します。
で、やってみる。

そんなことを繰り返していけば、勝手に想像力は鍛えられるはず。
経験上、そう思っています。

大事なことを、多少思った通りにならなくても、その経験を活かして
「じゃ、つぎはこうしてみよう」
とループを回し続けること。
そしてそれを楽しむこと。

その辺が大事なのではないかな。

それができなければ、言われたことをやるしかない。
渡されたものを受け取り、消費する側に回るしかない。

先入観は手強い

人には先入観というものがありまして、過去の経験とか情報とかによって、観念が固定化されてしまうのです。

食べ物の好き嫌いなんて最たるものではないでしょうか。
幼少の頃に食べたものに対する負の印象を持つと、成長してからもその印象がなかなか消えなかったりしますよね。

恐らくこれ、生存本能なんかから来るものなのでしょうね。
身を守るための機能として。

食べ物なら
「なんか食感が」
とか
「苦みが」
とか、そんな感じ。
体が「それ食ったらヤバいぞ」と言っている。
アレルギー持ちでなければ、別に食べても問題はないのでしょうけど「何か嫌」ってな感じでしょう。
それは、対象に遭遇したときのファーストインプレッションで決まる。

ちなみに私、食べ物の好き嫌いはありません。
小さい頃はありましたけどね。

今では、好き嫌いがあるってもったいないな、と思うのです。
例えば、ピーマンが嫌いという好き嫌いがあったとしましょう。
とすると、世界一美味しいピーマンを楽しめません。
それは大変もったいないことです。

で、その好き嫌いというか、先入観を壊すと、その先が見えてきたりするわけですが、そういうのを楽しみとして味わえると良いのだろうなぁ、なんて思うのです。

というのも、学生の時は「学び」って、何に役立つか分からないけど、仕方なく覚えるものだったりするでしょう。全てではないけど。

エンジニアとして仕事をしていると、当然ながら色々と「不足」が生じるわけで、それはもう知識やらスキルやら色々ですが。
でも、それらを手に入れていくと、できることが増えたり大きくなったりするわけですよ。
それは「学び」ですよね。
その学びのプロセスは、とても楽しくて充実感があります。

しかし、「学び」に対する先入観が、学生の時に感じた
「何に役立つか分からないけど、仕方なく覚えるもの」
であり続ける限り
「仕事は言われたことを我慢してやらされるものだ」
という先入観が抜けない限り、楽しくはなっていかないだろうなぁ、と思うのです。

本当であれば、そいう言った先入観を学生のうちに壊して再構築できると良いのですけどね。
直感でものの良否が分かるようになるとか。
難しいかもしれませんが、大事なことです。

ワクワクか安心か

ワクワクと安心、どちらが欲しいですか?
喜びと安心と言っても良いですが。

夢工房で活動している学生達は、コンペティションをやってますので勝ちたいのです。
なので彼らは喜びが欲しい。

まだ途半ばですけどね。
まぁチャレンジャーなので、そんなものです。

喜びより安心が欲しいって人はいるのでしょうか?
いるかもしれませんね。

では、喜びが欲しい場合、どうするか?

まず安心できるステージを狙って、そこから喜びを得るステージへステップを踏むべき、と考えるのが普通でしょうか?
そんな気がします。

私はそれには同意できないのですよ。

例えば、夢工房の学生達が作っているレーシングカーは、競争して勝つためのものです。
その場合、「安心できる」ってどういうことでしょうか?

とりあえずちゃんと走るクルマ?
そういうのを作って、何が分かるのでしょう?
いや、それでも色々分かるとは思うのですけどね。

でも、安心するためのモチベーションと、勝つためのモチベーションって全く違います。
考え方もやり方も違います。

安心できるやり方に、どれだけブースト掛けたら勝てるようになるのでしょうか。
安心できるクルマを何百台作ったら勝てるようになるのでしょうか。
恐らくなりません。

なので、最初から「狙って」いくべきです。
もちろん、それでもうまくいかないと思います。
だって経験が足りないから。

でも、狙っていかないと見えてこないものがあるし、そうしないと得られない経験があるのです。

学校でのやり方で慣らされていると、最初は「基本から…」みたいなことになりがちではないですか?
確かに基本は大事なのですが、何を狙うかによって基本の捉え方や利用の仕方は違います。

仮に彼らが自動車メーカーに就職して
「最初は売れなくても良いから、取りあえず走るクルマ作ってみようか」
なんてことになるわけはありません。

最近耳にするのは、新入社員から
「やったことが無いからできません」
と言われる、と。

やったことが無いことができないのなら、自分はいつになっても今のまま。
いつになっても面白くなんてなりません。
そもそも、世の中に無いものを作り出す開発の仕事なんてできないでしょう。

「安定して高収入を…」が学びや就職の動機だったりすると、そういうことになるのだろうなぁ。なんて思うのです。

そんなことを考えると、これからの世の中はチャレンジャーの時代になることが明確だと確信するわけです。