選択肢が多いと…

ものごとが長続きしないのは何でだろう?
というのも気になるところ。

例えば、有名な一部上場企業に入社した新卒の4割近くは3年後に辞めちゃうとか。そういう世の中なのですよね。
学校なんかも似たようなもんです。辞めちゃう訳じゃ無いですが、なにか一つのことを頑張り続けるってあまり無くなってきた気がします。

私なんかは転職が多い方なので、あまり人のことは言えないのですけどね。

あと、技術が進歩すればするほど、あれもできなきゃダメ、これもできなきゃダメみたいになるのは仕方ないのかもしれなくて、そうなると何か一つに集中して…なんてのは難しいでしょう。

一つのことに集中して頑張り続ければ成果を残せる可能性は高くなるし、頑張る過程に現れるハードルを乗り越えるからこそ成長するわけです。
その辺の価値は不変なのでしょうが、実践が難しい世の中になっている気がします。

それに加えて、生きるのに困る世の中では無いので、難しいこと、辛いこと、苦しいことがあったら、さっさとやめちゃうのが正しいやり方だ、みたいな風潮なのかなという気もします。

とか考えていると、大学進学の理由にありがちな「将来の選択肢が広がるから」ってのは、「これがダメなら別のことで…」となりやすいわけで、保険みたいのは増えるけど、凄いこととか面白いことにはなりにくいのだろうなぁ、なんて思うわけです。

でも、分からなくは無いなぁ、

「それやってダメだったらどうするの?」
という恐怖でしょう?気になるところは。

その気持ちは分かるのだけど、物事の本質って結構共通だったりするので、一所懸命できる人って、何やってもうまくいくようなところがありますよね。

なので、いつの世も何かに集中して頑張り続けられる人って強いですよね。

とか言うと、肩に力が入っちゃって、視野が狭まりがちだけど、そうじゃなくて、柔軟性を持って視野を広くてきたら良いんですけどね。
そういうの、難しいのかもなぁ。

やはり好きなことをやらないと、そうはならないかな。
「これでいいんだ!」「これで行くんだ!」って思えるような。

「やる」か「やらされる」か

昨日の記事で「幼少期からの経験がものを言う…」とか書きましたが、じゃぁ一体どうしたら良いのだ?となります。

正直、正解なんて分からないし、そもそもそんなものは無いのでしょうけど…とはいえ考えちゃいます。

幼少期の経験は、環境から得られるものがほとんどでしょう。というか、それが全てか。

その環境ってのは、親とか学校とか、社会が作って用意したものが多いでしょうね。
それらは子供達への期待によって作られる。
場合によっては、利己的な理由とかもあるけれど。

で、ここが難しいところなのですが、期待する側には当然望むことがあるわけです。
「こうなって欲しい」と。

それがあまりに具体的かつ強力な場合、子供達に「やらせる」わけですよね。
その場合のアプローチは色々あるでしょう。
強制的にやらせたり、「心配だ」ということでやらせてみたり。場合によっては、トレンドのようなものを示すことで群集心理による行動を促してみたり。
すると子供達は「やる」わけですが、これは「言われたことをやっている」のです。

その結果は、できたりできなかったり様々でしょうけど、いずれにせよ、創造性や自発性は必要無かったり、夢中になってのめり込んで、失敗しながら限界を突破しつつ伸ばす、なんて経験はできません。
多くはウンザリします。
ウンザリすればするほど自発性は消滅していきます。
そして、「やる」と「やらされる」の違いが分からなくなる。

言われたことをやってみて、そこそこできたことを「できる」と勘違いしたりもするでしょう。まぁ、これは言われたことをやっただけに過ぎませんが、マシな方かもしれません。多少なりとも自信が付きますから。

とまぁ、色々言ってみたところで、結局は正解なんて無いわけで、色々試すしか無いのですよね。
本人が自身で色々試すのが最高ですが、場合によっては、学校とか指導者が学生達を試すというようなことになるでしょう。
まるで人体実験のようですが、現状が満足いかない状態なら、変化するしか無いわけで、そのためには試してみるしかありません。

その試した内容や結果など、短期的なものの細部に対しては良いだの悪いだのは言えるかもしれません。
ことによっては、そんなことしない方が良かった…のようなこともあるかもしれません。

ですが、そういう細部を抜きにして、一所懸命考えたりやったり、諦めずに続けたり、そういったことは、理屈抜きで素晴らしいことです。

知識なんてのは、将来役に立つ保証はありませんが、頑張った経験は必ず役に立ちますから。これはどう考えても間違いない。

なので、諦めたくない好きなことを一所懸命やるべきなのです。そう思います。

好きなことに夢中になったり、言われてもいない余計なことをやって、しょっちゅう怒られていたような幼少期の経験を持つ人は、結構凄い仕事をしている気がするのですが、どうでしょうか?

大学生になってからでは遅い?

そうかもしれません。
でも、何とかなるのかもしれません。

大事なもの…の根源

世界における日本のポジションが低下しているとか、経済規模が縮小しているとか、確かにそういうのは問題だし心配なのかもしれません。

技術の世界でも、論文や特許の件数で圧倒的に負けているなんて話も聞きますよね。

それはマズイぞ!大変だ!!
…なのかもしれません。
じゃぁ、頑張らないと!
ということになるのかもしれません。

でもね、頑張るかどうかってのは、頑張りたいかどうかによるんですよね。

つまり、そうしたいかどうか。

食うや食わずの状況とか、命がかかっていたりするのなら、それが明確に感じられるのなら、やらないと!ってことになるのでしょうけど、現在は決してそういう状況ではありません。

というか、危機的状況であっても、それを実感できないと言った方が良いのかもしれませんが。いわゆる「茹でガエル」ってヤツになっちゃうかもしれませんけど。

まぁ、行く先が危機であろうと無かろうと、欲しいものがあったり、色々とより良くしていきたかったり、解題を解決したかったり、はたまた各人の価値を向上したり、存在意義が欲しかったりするわけで、そのための原動力が大事なんですよね。
それは「思い」なわけですが。

幸いなことに、レースとか事業とかで実績を残された方とお付き合いさせて頂く中で、共通項として感じることがあって、やはりそれはパッションです。知能指数とか知識の量ではありません。

当たり前のことをやっていれば良いという世界じゃ無いところで生きている人達は、既存の知識を実践するだけの人ではないわけで、じゃぁ、そこには何が必要なの?ってところが最重要。

知識は見えるものを覚えれば良いけど、パッションはそういう訳にはいきません。
実績を残した人や、うまくいっている人と話をしてみたところで、大枠は理解できるかもしれませんが、そのレベルというか程度というか、そういったものはやはり伝わり切らない訳です。

「思い」とか「心」とか「パッション」が大事だという話であれば、やはり幼少期からの経験がものを言うのでしょう。
歳を取ってから、その辺を何とかしようとしても、たぶん難しいでしょう。

小さい頃から塾通いで、日常生活のほとんどが「言われたことをやる」では、心の駆動力は育たないんじゃないかなぁ。

それに、知識が身に付いたところで、パッションが無ければ知恵は発動されないわけで、ますます言われたことしかできないループでグルグルしちゃうでしょう。

これ、大問題ですよ。