不立文字

禅の教えに「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉があります。
文字で全ては伝えられない
というような意味ですね。

これに対して昨今では、「文字になっているものばかり信用する」のような風潮がある気がしてなりません。
加えて言うなら、形になっているものしか信用されないような風潮も感じられます。

やってみなけりゃ分からない

これが軽視されているというか、ほとんど無視されてる気がします。

やってみなけりゃ分からないことを、やらなくても分かるようにするのがテクノロジーだったりするのかもしれませんが、それには限界があります。

だって、新しいことをやったら、それによってまた新しいことが起きるのですから当然でしょう。
やらなくても分かっていることは古いことです。

なので、ここから先は考えても分からない「やってみなけりゃ分からない」が必ず出現します。

それに、そもそも「やってみよう!」と思う気持ちが無ければ何も始まらないのですが、それは文字や形になりません。字面だけでは伝わりませんから。でも、とても大事なことです。

せっかく学校で学んでも、「知る」ばかりで「やる」経験がないなんてことが起きているとしたら、それは残念なことです。

文字にできない「やらないと分からないこと」が沢山手に入ったら、それはそれは強力な、一生使える武器になることでしょう。

ネット社会の功罪

最近は世の中がザワザワしていますね。
それはもう色んなネタで。

これ、困ったものです。
それはもう色んな意味で。

環境やエネルギーの問題やら、国際的な問題やら、国内のスキャンダルやら…
それはもうニュースのネタには事欠かない毎日が続いています。
というか、日々拡大して加速している感すらあります。

そういうの、できるだけ気にしないようにしたいのです。

将来の動向などは、ある程度見えている必要があるでしょうけど、このザワザワネタのほとんどは雑音です。
気にしても自分にはどうにもできないこと、気にしても自分には関係ないことがほとんどです。
でも、こういったネガティブな情報は、人の心をいとも簡単に掴みます。そして集中力が削がれます。ネガティブなものに目が行ってしまうのは、ほとんど本能的なものだから、それはもう強力です。

そんなの見なけりゃいいじゃん、って話なのでしょうけど、インターネットを使っている以上、どうしても目に入るでしょう。そんな構造になっていますものね。

TVのように受動的ではなく、自ら進んでクリックしまくって、次から次へと能動的に情報を漁る状態になりますね。
これ、凄いことだなぁ、と思います。

こういうところで能動的に労力を使いまくると、自発性って枯渇するんでしょうかね。
変なところで脳内麻薬が出まくって、おかしな条件反射や習慣が身に付いているかもしれません。
少なくとも、情報過多が良いとは思えません。必ず何かを失っているはずです。
それが自分に必要無い情報なら、なおさらです。
こういうのは凄く興味あるところです。

ひょっとしたら、それを踏まえた上で工夫すると、何か面白いことができるかもしれませんね。
これは今後の課題の一つにしましょう。

今、一番欲しているのは、とても静かな場所で色々考える時間を作ることです。もしくは何も考えないこと。
瞑想でもやってみますかね。

これ、ひょっとしたら世界的に多くの人が感じていることなのかもな、という気もしています。

なんで「良い子」がダメなのか

学生達と付き合っていると糸色々と見えてくることがあるのですが、最近分かったことのお話しです。
これ、ウチの学生に限ったことではないと思うのですが…

例えば、レーシングカーを作るとしましょう。
競争するためのクルマですから、一番欲しいのは性能なわけで、もちろん目標値なんかを設定するわけです。
で、それを満たすために設計するわけなのですが、どうもここで勘違いをしているケースが多い。

目標値ってのは、もちろん定量化された数字なのですが、その数字から形を作ろうとする傾向があります。
まるで数学の問題を解いて、正解を導くように。

この目標値を達成するためには、公式を解いて正解を出すような「一つの答え」があるわけではありません。
それこそ無数の達成方法があって、そのために「アイデア」とか「戦略」が必要になります。

ところで、今どきの量産車は、コンピューターで最適な形状になるように設計されている…なんて多くの学生が勘違いしていたりするようです。まるで「正解」を導くように。
もし正解の形があるとしたら、世の中のクルマは一種類あればOKでしょう。
でも、そんなことはありませんよね。多種多様です。
基本的なスジは人間が決めているのですから当然そうなります。

ちょっと話が脱線しかけましたが、形あるものをつくるとき…例え目標が数値であったとしても、それは「もの」によって達成されるわけなので、そのための「もの」を想像する必要があるわけです。

なので、最初にやるべきことは、どうやって目標を達成するかというアイデアを盛り込んだ最終的にありたい姿を想像することです。
最初なのに最終形って何か変な気もしますが、そういうものです。

もちろんこの段階では、アイデアによる仮定を前提としているので、それに対して評価や確認作業を繰り返して、時にはやり直したりして、設計段階でのブラッシュアップが必要です。

これ、数字をいじっているだけではできないのですが、どうも最近は、理屈や計算だけによって何とかしたい…つまり正解を出したい…のような傾向がある気がします。

そうなると、「正解」が出ないことには設計が進まないわけで、仕事は進みません。
でも「正解」なんてそもそもありません。

恐らく、彼らに二の足を踏ませているのは、ブラッシュアップ前提で「ダメかもしれない新しいアイデアを出す」ってところなのではないかな?と思っています。

そんなの本人に聞けば良いじゃん?って話なのですが、恐らく本人は意識すらしていないでしょう。
無意識で「ダメかもしれないものは出せない」という行動をしていて、それがかなり強固に習慣化している気がします。
そしてそれが年々強化されている気すらします。

でもそれ、一般的には「良い子」って言われますよね。

一般的に、できもしないことや間違えたことを言ったりやったりするのは評価されませんが…
それ「チャレンジャー」ですよ。