今どうすべきか? 情報編

今後はどういう時代がやってくるのか?
そのために今はどうすべきか?
というお話しです。

こういうの考えるのって楽しくないですか?
まぁ、半ば妄想かもしれませんが、こういうことを考えておいて損は無いでしょう。

まず今回のネタ
情報
です。

我々は情報を知覚し、それを元に思考し、決定して行動します。
なので情報は大事。

受験生に限らず、学生は良く言われるでしょう
「ニュース見ろ」
って。

最近はどうなのでしょうね。

ニュース、信じるべきなの?
という意見もあるでしょう。

「ニュース」
といったら、テレビかネットでしょう。

ニュースで報道していることは事実である。
という価値観はすでに崩壊している気がします。

ニュースは誰かしらが配信しているわけで、当然ながら何をどう伝えるかという思想信条に基づく価値観で判断された内容が伝えられています。

なので当然、価値観や思想が大きく異なる国では、一つの事象に対して異なる見方をしているわけで、報道内容も異なります。
そこには「目的」がある。
そんなことを言うと、陰謀論者みたいですが、そういうのは仕方ないでしょう。

そもそもものごとには多面性があるので、価値観が異なれば一つの事象でも異なった見え方があるのは当然です。

加えて最近ではフェイクニュースの出来も良くなってきていますしね。
一体何を信じたら良いものやら。

これはニュースに限ったことではありません。
日頃の生活で、我々が手にする情報全てにおいて言えることです。

この便利なご時世で、何が危ないかというと、なんでもかんでも考え無しに情報を受け止めてしまうことだと思っています。

ニュースを始め、ネットの情報もしかり。
それなりの形態を取った情報…このブログもしかりですが、たとえば活字なんかだと無自覚に受け入れてしまう傾向があったりしませんか?

YouTubeなんかは面白いですが、単に情報を受け止めているだけ。
思考のプロセスが抜け落ちてはいないだろうか?

そういう環境に慣らされると、情報に対して考えることをしなくなります。
習慣ってそんなものです。

噂話もそうだし、先生が言ったから、政治家が言ったから…
その情報を受け取って、即反応したりして、考えるプロセスをすっ飛ばしていませんか?

情報を受け取って、感情で反応するとか、単に処理するとか、そういったことになっていませんか?
短期的に楽しんだり怒ったり落ち込んだり、言われたことに従うだけだったり。

最近思うのですよ。
便利で楽ちんな世の中って、情報を受け取って単純に反応して、結果として自分を高めることにもなっていないし、誰のためにもなっていなかったりして。
自分が得して損しないための感情的な、ヘタすれば感情すら無い、しょうもない方向に行ってはいないだろうか?と。

みんな同じじゃつまらない

「みんながやってるから、やっておこう」
確かに、そういう選択が必要な場面もある。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
それって本当に「君」でなきゃいけないことなんだろうか?

言われたことをやって、そこそこ上手くやれたとしよう。
言われたことを上手にやるのも、時としては大事なこと。

でも、みんながやることを、みんなと同じようにやって、それで満足できる?
安心はできるかもしれないね。

人と同じであること。
これは安心をもたらす一方で、知らず知らずのうちに自分を失っていく行為でもある。
もちろん、時と場合と内容にもよるけれど。

「誰がやっても同じ」になってしまったら、もはや君がやる必要はないかもしれない。

他人がやらないことをやる。
他人がやれないことをやる。
その時に初めて、自分の輪郭がはっきりする。

違和感を恐れず、浮くことを嫌がらず
「お、これは誰もやっていないな」
と思えたなら、少なくともそれは“面白くなる予兆”だ。

それが価値の源泉なのは、間違いない。

ワクワクか安心か

ワクワクと安心、どちらが欲しいですか?
喜びと安心と言っても良いですが。

夢工房で活動している学生達は、コンペティションをやってますので勝ちたいのです。
なので彼らは喜びが欲しい。

まだ途半ばですけどね。
まぁチャレンジャーなので、そんなものです。

喜びより安心が欲しいって人はいるのでしょうか?
いるかもしれませんね。

では、喜びが欲しい場合、どうするか?

まず安心できるステージを狙って、そこから喜びを得るステージへステップを踏むべき、と考えるのが普通でしょうか?
そんな気がします。

私はそれには同意できないのですよ。

例えば、夢工房の学生達が作っているレーシングカーは、競争して勝つためのものです。
その場合、「安心できる」ってどういうことでしょうか?

とりあえずちゃんと走るクルマ?
そういうのを作って、何が分かるのでしょう?
いや、それでも色々分かるとは思うのですけどね。

でも、安心するためのモチベーションと、勝つためのモチベーションって全く違います。
考え方もやり方も違います。

安心できるやり方に、どれだけブースト掛けたら勝てるようになるのでしょうか。
安心できるクルマを何百台作ったら勝てるようになるのでしょうか。
恐らくなりません。

なので、最初から「狙って」いくべきです。
もちろん、それでもうまくいかないと思います。
だって経験が足りないから。

でも、狙っていかないと見えてこないものがあるし、そうしないと得られない経験があるのです。

学校でのやり方で慣らされていると、最初は「基本から…」みたいなことになりがちではないですか?
確かに基本は大事なのですが、何を狙うかによって基本の捉え方や利用の仕方は違います。

仮に彼らが自動車メーカーに就職して
「最初は売れなくても良いから、取りあえず走るクルマ作ってみようか」
なんてことになるわけはありません。

最近耳にするのは、新入社員から
「やったことが無いからできません」
と言われる、と。

やったことが無いことができないのなら、自分はいつになっても今のまま。
いつになっても面白くなんてなりません。
そもそも、世の中に無いものを作り出す開発の仕事なんてできないでしょう。

「安定して高収入を…」が学びや就職の動機だったりすると、そういうことになるのだろうなぁ。なんて思うのです。

そんなことを考えると、これからの世の中はチャレンジャーの時代になることが明確だと確信するわけです。