ゴールが無ければ想像力は要りません。
ゴールは未来のことですからね。
設定するためには想像する必要があるわけです。
設定する必要が無ければ、未来を想像する必要は無い。
自らゴールを設定しないってのは、一体どのような状態なのか?
それは「言われたことをやる」状態です。
相手に対して、良かれと思って
「こうしなさい」
「こうするといいよ」
と言う。
一般的にそれは「親切」とされ
それに従うと「素直」とされます。
親切に指示して、素直に従う
なんか凄く良いループが回っているように見えます。
一般的はそれが良いでしょう。
でも、教育においてはどうでしょう?
義務教育まではまだしも、大学において「指示してやらせる」を継続すると、冒頭に言ったようにゴールを設定する必要が無くなって、チャレンジできず、価値を生み出せなくなります。
もうすぐ社会に出るのに、これは一大事。
それだけならまだしも、それによって想像力が無くなって、考える力を失っていく…というのが最近見えてきたところ。
他人にゴールを設定されて、想像する必要が無いなら、その能力は身に付きません。
当然です。
自らゴールを設定しないなら、「何のために」「どうする」などを深く考える必要なありません。
これまた当然です。
で、想像できなくなると、最低限を狙うようになるでしょう。
だって想像できないのだから仕方ない。
でも、最低限を狙うと、最低限も満たせないという皮肉が待っています。
そして、マイナスの(ネガティブな)結果に終わることがほとんど。
だって、やることが完璧にできるなんてことは、あまりありませんから。
そして、そのマイナスを消すためのことに終始するというループが始まる。
このループの困ったところは、マイナスを消したところでゼロにしかならないというところ。
そしてネガティブな結果が強い印象として残ると、好むと好まざるとにかかわらず、そこに向かっていくという皮肉。
これはハッピーではありませんね。
なので、こうしましょう。
解決方法はシンプルです。
チャレンジすれば良いのです。
とにかくゴールは自分で決める。
何でもいいから。
でも、手段と目的は入れ替えないように。
ゴールを決めた後に、「そのためにどうするか?」という「手段」を考えるでしょうけど、多くはその時に既存のものとか、今自分ができることを利用しようとします。
それでも良いのですが、それによってゴールを動かすことは無いようにしましょう。
だってこれからやることはチャレンジですから、経験の無いことをやるのです。
最初はどうしたら良いかなんて分かりません。
分からなくて良いのです。
そのためにどうするかを考えるのが大事なのです。
ここで考えるのを拒否しようとすると、何が起きるか?
多分自分でも気付かないかもしれませんが、一個だけの正解をいきなり出そうとします。
考えたくないから。
そこでどうしたら良いか?
「一個だけの正解」の逆をやりましょう。
とにかく沢山ネタを出すことです。
絞るのではなく、広げる。
頭の中だけでやろうとすると、領域がどんどん埋まっていって、先に進めなくなるので、見え量に書き出しましょう。
面倒ですか?
だったらそれが正解です。
考えるのは面倒だし、面倒なものにこそ価値があるのです。
考えるのが面倒で、それを避けようとしている自分に気付いてしまっても、悲観する必要はありません。
なぜって、脳ミソは我々が思っているより大量のエネルギーを消費します。
なので、生存のためにそれを本能的に避けようとするのは当然なのです。
さて、未来を想像すして、そのためのことを考えたら、早速やってみましょう。
想像して、考えて、やってみて、ズレを修正しながら想像力の精度を上げていくのです。
そんなの面倒?
だから言ってるじゃないですか。
面倒なことには大抵価値があるのですよ。
それを継続するということは、価値を積み上げるということです。
そう、継続も大事ですね。