価値観のチューニング法

良い仕事ができるようになるためには
一体どうしたらいいのでしょう?

仕事は他に対する価値の提供なわけですが
問題は、自分以外の価値観を理解する必要がある
ということですね。

そのためには、視野を広げたり、視座を変えたり
といったことが必要になります。

そうしないと他人の価値観は分からないから。

でも、そもそも
他人が自分と異なる価値観を持っている
という実感を持てているか否かが重要で
これは若い世代には、なかなか難しいことのかもしれません。

これは言って聞かせても
なかなか分かることでは無かったりするでしょう。

でも、それが分からないと
迷走して意味の無い仕事になってしまったりする。

そこで今日思い付いたこと。

海外に行くべきだ
です。

外国に行けば
大なり小なり価値観は違うわけで

自分の思っていることが通じなかったり
相手の思っていることが理解できなかったり
そんなことは当たり前で
何かしら期待通りにいかないことが起きます。

でも、期待通りにはいかないからこそ
得られることは多いのです。

言葉が十分に通じない相手に対して
どうやって要求を伝えるか
相手の要求を理解するか

それは、自分と異なる価値観を持つ仲間と仕事をしたり
顧客に価値を提供したりする環境に通じるものがあると思います。

海外に行けば
言語による意思疎通の問題もあるでしょうけど
それ以前に価値観とか習慣が異なることによって
意思疎通がうまくいかない
なんてことも多々あります。

価値観が異なる世界では
自分にとっての当たり前が
相手にとっての当たり前では無いからです。

そういう環境で思った通りのことをやる・得るために
考えたり工夫したりする
そういう経験はとても重要です。

そこで
「何でなんだ?」

「あ、そうか!」
を繰り返して色々発見していきます。
これこそが成長でしょう。

ことによっては
現地では掘り下げるような思考ができなかったり
気付きを得られなかったりするかもしれませんが
価値観の違いを実感することができれば
それだけでも上等です。

困って、何とかしようとするからこそ
見えるものがあったり、分かることがあったり
そこで行動するからこそ成長します。

困った末にたどり着いた「答え」や「結果」が
現地で得られれば
それはそれで結構なことですが

そこにたどり着くための考えや行動などの経験と
異なる価値観に溢れた世界の中で
変化した自分の価値観こそが
もっとも大事なことだと思います。

それはすぐには実感できないかもしれませんが
そのうち理解できるときが来ます。

自分にとっての当たり前が通用しない世界に
自分以外の当たり前を実感しに行く
これは凄いことですよ。
行くと行かないとでは大違いです。

Formula SAEとかCanSatなどで海外遠征に行く
なんてことをやろうとしたら

活動自体が非日常の世界なわけですが
それに加えて海外遠征があって
そこでは何かしらトラブルが起きたりもします。

そんなチャレンジだらけで
多様な価値観に溢れた世界にいたら
そりゃぁ成長しますよ。

価値をなすもの

「価値」とは一体何なのか?
それは辞書を引いたりネットで検索すれば
いくらでも出てきますね。

では、価値は何によって形づくられるか
これが問題です。

我々は、消費者として
必要なものに対して対価を払ったりして
その価値を手に入れているのですが
その割には
その正体を明確にしようと考えたりしません。

ブランド物なんてのは
価値を考える上では分かりやすい対象かもしれません。

なんでみんなが欲しがるのか?

性能とか、希少性とか、原材料のコストだけではなくて
商品の背景にあるヒストリーとかストーリーとか
そういうものが価値を構成していたりします。

努力とか思想とか実績とか
そういうものがベースになっていることが多いですかね。

消費者は、それに対して対価を払うのですね。

私のミッションとしては
価値ある人材を育成する
ということなので
人の価値とは何なのかが大問題なのです。

でも、実はこれ
それほど難しいことではないのかもしれません。

まぁ何というか
ありがたい人になればいいのです。
以前にそのネタは書いていますが。

人がやりたがらないことや
できないことってあるじゃないですか

一つの方法は
そこを徹底的に追求することです。

そんなことに価値があるのかって?

あなたがやらないこと
やりたがらないこと
それは誰がやってくれているわけで
その恩恵を受けているはずです。

なので、その人がいなくなったら困ったことになるでしょう。
それをやってくれる人はありがたい人です。

あとは、それに加えて
希少性とか優位性でしょうか。
これは分かりやすいですね。

それができる人が少ないとか
それをやらせたら抜きん出ているとか
そういうことです。

どこにでもあることや
誰にでもできることではありません。

これを獲得するには
目標を立てて頑張る必要がありますね。

最初からそういう状態になっているはずはないので
努力せずに自分の中を探すなんてことはやめましょう。
そんなのあるはずはないので時間の無駄ですから。

ここまで書いてきましたが
こんなの誰でも分かっていることですよね。
でしょう?

でも、できるか?
というと、結構できないものです。

何でなのでしょうね。

何となく分かっていることはあります。

学校のお勉強で言うなら
やることは決まっています
なので希少性では勝負できない。

よって、抜きん出た努力をする必要があります。

…とかなっちゃうと、もうどうしょうもないですね。
「やったところで、どうせ…」となりがちでしょう。

だって、ある学校に所属している時点で
すでに序列は決まっていて
そこで頑張ったところで…なんてなりがちです。
幸いにして、今はそういう時代ではないですが。

なので、学生のうちは
好きなこととか得意なことに拘って
頑張り続けることが重要なのだと思うのです。

できれば、単に「言われたことをやる」ことはではない方がいいです。
それを突き詰めてうまくいくなら
学校のお勉強でうまくいっているはずですね。

コンペティションとかボランティアとか
外的に何かを発信するとか働きかけるようなことは
価値を提供するための
かなり良いトレーニングになるはずです。

面倒なことに価値があったりするのだけど

面倒なことはやりたくないですね。
まぁ当然です。

面倒なことは「できない」ということにして
やらなくて済むようにしてます。
誰が?
自分がです。

今までやったことがないことをやるなんてのは
面倒なことに分類されやすいですよね。
今まで使ったことがないデバイスを使うなんてのが該当するかと思います。
例えばパソコンを使えるようになるとか
スマホを使えるようになるとか
さらに、そういうものを使って長文を入力するなんてことになると
実はとてつもなく面倒な作業なのですよ。

そういうのは高齢者には難しい作業だったりしますが
子供なんかはそういう面倒なことでも興味を持つと
たちまちできるようになったりしますよね。

そういうものに限らなくても
仕事で追い詰められればやるだろうし
結果としてできるようになったりします。

結局、嗜好とか興味とか
もしくは使命感とか
そういう感覚を持てれば色々できるようになるのでしょう。
結局は自発性とか主体性の問題だということになりますね。

今回のアメリカ遠征なんて
まさに好例です。

細かいメカで構成された
軽くて高強度のメカを作るなんて
ましてそれをコンピューター制御で動かすなんて
とてつもなく面倒なことです。

しかもそれを運用する環境は
遠いし言葉は通じないし
乾燥してるし暑いし寒いし不便だし
経験が無い者には過酷な環境でしょうね。
ちょっとした冒険ですもの。

でも、なんでそれができちゃうかというと
そういうのが好きとか、強い使命感を持っているとか
そんなマインドの問題だったりするわけです。

だからこそリスクを払ってチャレンジできる。

問題は、どうしたらそういうマインドになれるかということでしょうね。

でも、それは難しいです。

そんなマインドを持っていることについて
明確な理由なんてなかったり
定量化できる何かがあったりするわけではないので。

しかも、そういうマインドを持っている者、持っていない者は
双方が分かり合えません。

価値観が違っていて
向いている方向が違います。

なので「こうすればいいよ」とは言えないのですね。
どうせ言っても理解できないだろうし。

結局は
やりたきゃやればいいし
やりたくなければやらなきゃいいじゃん
ということになっちゃいますね。

チャレンジングなマインドの構築は
もちろん若いうちにやるべきなのですが
今の世の中、そういう機会はめっきり無くなっている気がします。

ま、そりゃそうです。
安心で安全な世の中を作ろうなんて思ったら
チャレンジさせられませんもの。

加えて、便利な世の中ならなおさらです。

色々言ってきましたが
これ、学生に対することだけでなく
彼らを取りまく年長者に対しても言えることです。

さて、ではどうしますかね?