ゴールは自分で設定しよう

親と自分のゴール
先生と自分のゴール
のように
他が求めるゴールと自分が求めるゴール
それらが同じだとどうでしょうか?

その場合は
他が求めるゴールを
自らのゴールとする
ということになることがほとんどでしょう。

同じでも良いのだろうとは思います。
その方が安心かもしれませんし
立場上、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。

でも、他が求めるゴールを自らのゴールとしても
面白いことは起きそうにありませんね。

それに、他人のゴールにしたがって
うまくいかなかったりしても
誰も責任取ってくれません。

せいぜい、相手のせいにして文句を言うくらい。
それによって何も変わらないどころか
他人のせいにすると、自分は変化する必要が無いので
成長できないというオマケはもれなく付いてきます。

でも、利害が一致した相手と
共通のゴールを設定するのは面白そうですよね。

面白い方がうまくいくでしょうし
社会に出て価値を生み出すためには必要なことでもあります。
就職先を選ぶ時なんかは、その辺が重要なのですけどね。
給与とか休みとか福利厚生とか
それこそ安定性とかなんとかより
ずっと大事なことだと思うのです。

利害が一致しない相手からゴールを押しつけられたところで
どうせ長続きしませんから。

ま、それを身をもって体験するのも
また人生ではありますが。

好かれなくてもいいじゃん

いきなり何を?
と思いましたか?
何かあったのか?
と。

別に何もありません。
ふと思い付いただけです。

そもそも
悩みの根源のほとんどは人間関係によるもの。
なので
そこにゴールを置かない
というのがポイントです。

何かにチャレンジしているなら
「好かれたくてやってるわけではない」
で良いのです。

嫌われたくはないでしょうし
人間関係は大事だけど
ゴールはそこではない。

特に、チャレンジしていない人とは
とかく利害が相反しがちです。

そんな時
相手に好かれるためのことと
うまくいくために必要なこと
それらを両立させようとすると
変な悩みに陥りがち。

そしてそれは解決不可能だったりして
チャレンジを諦めることにもなりがちです。

なので
必要な選択をして
うまくいくために必要なことにリソースを使うべきだ
という話です。

ぶっちゃけ、信頼だってそこから生まれてくるのですから。
利害が一致していれば
という前提がありますけどね。

これは
ものごとをシンプルにしていきましょうよ
という話でもあります。

十分な知識を得てから…じゃなくても良いのでは?

やりたいことがあって
それを
「やりたい!」
と言ったら

「じゃあ、勉強できないとね!」
と来るわけだけど…

子供の頃、そう言われませんでしたか?

果たして、それは本当か?

もちろん、それもアリだとは思います。
しかし、それが全てか?と言われると
そうは思いません。

もちろん
この場合の「勉強」は
広い意味の「学び」では無く
知識(だけ)を得るための学校での授業のこと。

でも
十分な知識を得るために
必要かどうかよく分からないことを一所懸命やるうちに疲弊して
いつの間にか夢を諦める
というのはよくある話。
本当に本当に、よくある話。

なので、こう思うのです。

とにかくまずは
やりたいことをやってみて
「うまくいかなかった
でも、何とかしたい!」

これで良いのはないかと。

「でも、何とかしたい!」
という気持ちが発生することが大事だから。

最も重要なのは「強い動機」
それを自ら生み出すことが最も大事で
その時点で本当の学びが始まる
そういう設計にすべきではないだろうか。

一頃盛り上がった「ものづくり教育」の本質は
実際に手を動かしてものを作ってみる…
ではなく
まずは、やりたいことをやってみて
思い通りにならない機会をつくること
それによって強い動機をつくることだったのではないか?
なんて思うのです。