どこから変わるのか?

夢や目標があって
それを達成したい
という思いがどれほど強いのか
それは果たして十分なのか
それを点検して確認することが
とても重要なのですね。

というのも
夢や目標は
まだ経験が無いわけで
達成するのに何がどのくらい必要か
なんてのは
全て想像に過ぎないわけです。

なので、振り返りや確認などの
自発的な点検作業が必要なのですが

これは実現への思いが強くないと
自らやろうとは思わないでしょうね。

その思いが弱いままだと
「まぁ、このままでも大丈夫だろう」
なんて考えちゃったり
何も考えなかったりするのでしょうけど
そういうのは大抵うまくいきませんし
本人にとっても良い経験にはなりません。

でも、そういう不十分な状態から
自発的に点検するか
というと
するはずはなくて…

そんなのそもそもダメじゃん
みたいなことを継続してたりすることも良くある話。

でも、チームで動いていて
相互に働きかけや確認をするような態勢になっているなら
なんとかなるかもしれませんね。

でも、「仲良しクラブ」になっちゃっていていると
ダメなものをダメと言えないので
ズルズル、ダラダラ行くかもしれません。

ダメなものがいつまでもダメなこともあるでしょうけど

ダメな状態から立ち上がることもあるわけで
だとしたら
それは、いつ、どういうときなのでしょうね。

大抵は、中途半端な状態で気付くことは無いでしょう。
中途半端な状態って
意外と快適だから。

そんな状態では
たとえ外部から言っても
理解できなかったり
動かなかったり
そんなもんです。

なので
落ちるところまで落ちちゃえばいいんじゃないの?
とも思います。

それで変化ができなければそれまでです。

ドン底まで落ちる前に
立ち直れることもありますが
それは当人の危機意識の閾値の問題ですね。

何をもって危機的状態とするか

現状に満足できなくて
このままでは耐えられない
そう思うレベルがどの辺にあるのか
そういうことでしょう。

そんな状態なら変化が必要ですね。

結局は
自分はどうありたいのか
ということなのでしょう。

それがあるだけでも
ものごとは大きく変わってくる
そういうことです。

戦えるのか

平和は良いことです。

個を尊重するのも良いことです。

皆で仲良くは基本です。
というか、これは我が国のコンセプトでもある。

しかし
戦えなくなっちゃうのは問題です。

学生達がエンジニアとしてやっていくなら
競争力は本人が生きていく上でも重要ですし
仕事をする上でも最重要項目の一つでしょう。

学生達のコンペティションでは
その辺が如実に現れてきます。

競争ですからね
ライバルに対する優位性をどのようにして作り上げていくのか
もしくは、作り上げていけないのか(笑)

みんなで仲良く
なんとか形になるように
なんとか間に合うように
では勝負になりません。

そんなふうにやると
その時は仲良くやって楽しいかもしれませんが
コンペティションが終わった後は
全く楽しくなくなります。

で、そういった経験を社会に出て活かそうとしても
あまり役には立たないでしょうね。

明日はエコランのもてぎ大会です。

正直なところ当チームは
やりきった感じではありません。

きっと悔しい思いをしながら
新たな発見が色々あるでしょう。

こういう活動をする中で
最も重要なものは何か
そんな発見ができることを願っています。

風土がつくるもの 風土をつくるもの

多くの学校で
同じようなことを教えているのに
成果が違ってくるのはなぜか?

教える側がうんぬんとか
学生の資質とか
そういったことはもちろんあるのだろうけど

やはり学校の持つ風土の影響は間違いなくあるだろうなぁ

というのが今回思ったこと。

これ、授業を見ていて思いました。

学生は無言で授業を受けていても
その姿勢とか雰囲気とか
ノンバーバルな何かを発しているのですね。

コミュニケーションのお話しでも書きましたが
コミュニケーションに占めるバーバル(言語)はわずか7%で
残りの93%はノンバーバル(非言語)なわけでしょう?

ということは
黙って授業を受けている
一方的に情報を受け取っているだけに見える学生達は
凄い量の情報を発しているのです。
これ、教壇に立ってみると分かりますけどね。

ヘタすると
教室の空気感を作っているのは
教員ではなく
学生だったりしますから。

授業って
教員と学生の
ノンバーバルのせめぎ合いだったりするのですね。

バーバル+ノンバーバルで教員が情報を発すると
それを受けた学生がノンバーバル情報を返す

そんなキャッチボールになっているわけですね。

で、ですよ。

情報ってのは
なにも人間のみが発しているわけではなく

環境のあらゆるものが発信源になっているはずです。

ロケーションとか建物とか
それらの形状とか色彩とか

もちろん、人によって受け取り方は様々でしょうが
ある程度は共通認識を持っているはずなので
大まかな流れというか
方向性は定まるのではないでしょうか。

そんなふうに考えると

仮に全く同じ教科書を使って
同じような教え方をしても

教える人や環境によって
その成果は違って当然
ということになります。

会社に社是が見えるように掲示されているとか
学校に創設の理念が明示されているとか
そういうのって組織風土をつくるうえでは
ものすごく大事なはずです。

それを目にした人が発するのは
言葉だけじゃないから。

デザインは多くを語る
なんてのも同様なのでしょうね。
まさにノンバーバルだから。

こういうのって
芸術系の人にしたら当然のことなのでしょうけど
理系人間からすると新鮮なネタだったりします。

言ったの言わないので揉めたりすることがありますが
そういうのも当然といえば当然かもしれません。

このネタは興味深いので
長期的に考えてみることにしましょう。