好きなことをやろう

バイクと出会い、クルマと出会い、レースと出会い
その後、開発の仕事と出会い…
というふうに、好きなことばかりやってきて、今に至ります。

その間、好きでもないことはやらなかったかというと、そんなことはなかったけど、基本的に軸足は外しませんでした。

誰の役にも立たない、誰も喜ばない「好きなこと」のままでは、単なる趣味に終わるかもしれないけど。

でも、いつかやってくる。
「好き」が「価値」と交差するポイントが。
それがチャンスなのでしょうね。

気を付けないといけないのは
躊躇すると道を外れる
ということ。

やってきたチャンスも、躊躇している間に過ぎ去ってしまう。

大抵の場合、躊躇のきっかけとなるのはノイズです。

「そんなことをやっている暇があったら…」
「そんなことばかりやってないで…」

躊躇しているうちに時間が経つ。
そして
「もう遅い」
が着実に近づいてくる。

「自分が本当に欲しいもの」が何なのか分からない?
ひょっとして、ピッタリ自分にマッチする「正解」を探してる?
やったら絶対に成功する「正解」を探してる?

恐らくそれは見付からない。
そもそも正解なんて無いから。

正解不正解なんて無いし、もしあるとしても決めるのは自分。
やってみないと分からないし、やってみる中で作っていくものと言っても良いかもしれない。
なので、早くやることが正解と言えるかもしれない。

というわけで、「正解」を探そうとしたら逆に見付からない。
迷走して時間を浪費して、挑戦する時間を失う。

そもそも、好きでもないことをやって、うまく行くのだろうか?
好きなことと、好きでもないこと、どちらがうまく行きそう?
恐らく考えるまでもない。

好きなことについて考えて、未来を想像して逆算する。
そして必要と思うことをやれば良い。

その想像の未来が正しいのか間違えているのかは問題ではない。
だってそれを今から作っていくのだから、正解とか不正解なんて無いのだ。

きっと正解がある
だからよーく考えて…
という考え方自体が問題だけど、それが今までの教育の結果。
チャンスを逃し、皆と同じようになるやり方。

君がチャンスを逃して、皆と同じになると、喜んだり安心したりする人のためのやり方。
果たしてそれは、自分の人生なのだろうか?

運はチャンスを探し求めている人のところにやってきます。
準備ができているところにやってくる。

この場合の「準備」とは、「好きなことをやって、走り続けていること」です。
足を止めて考えていることではない。

アイデアの話 2

「良いものを作りたい!」
と思ったら、良いアイデアが必要です。

どんなアイデアを出すか
どうアイデアを出すか

結局のところ、それは「心」の問題。
どれくらいアイデアを必要とするかによる。
もちろん「自分が」です。

まぁ、言ってみれば熱意次第ってことですね。

で、その「熱意」の程度が重要なのですが、一体どうしたら手に入るのでしょう?
それはもう人それぞれで、一言で言えたら苦労しません。
少なくとも、人からもらうわけにはいきませんね。

なので、自分で発動させるしかない。
それを何とかしようとしているか?というのも変ですが、熱意が発動するような心のメンテナンスをしているか、というのが大事そうです。

でも、恐らくそれは、特定の方法があるわけでも無さそうです。
なので、色々やってみるのが良いでしょうね。

そもそも、現状の自分の状態を確認して評価する習慣が必要ですが。
「今の自分は望む方向に向いているのか?」
「熱意は持てているか?」
とかね。
そこに気付かないと何も始まりませんので。

そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、現代社会は、特に学校では、一方的に課されて考え無しにこなすことが多すぎて、そういうセルフメンテナンスをする機会がなさ過ぎると思うのです。
なので、こういったことを意識的にやるのは重要です。

さて、ではアイデアを出す段階に来たとしましょう。

一所懸命考えて、何かアイデアが出たら、それで突っ走る?

それも良いかもしれませんが、ここで大事になるのが「何のため?」です。

もし、良いものを作りたいと思っているなら、アイデを出す段階で慌てて突っ走ってはいけません。

きっと良いものを作るといっても期限があるでしょう?
だからこそ慌てて走り出そうとする気持ちは分かるのですが、ここでのミッションは「期限内に良いものを作る」です。

良いものというのは相対論です。
何に対して「良い」のか?ということです。

なので、最初にやるべきことは、できるだけ多くのアイデアを出すことです。
そして、それらを比べてベストなものを選ぶ。
もちろん、期限を守るためには、そのプロセスを素早くやる必要がありますね。

最悪なのは、考えすぎて時間切れになったり、このアイデアを出して揉むプロセスに時間をかけすぎて、実行と改善のプロセスが縮小してしまうことです。

いくら頑張って考えても、いざそれを形にしてみたら、どうにイマイチだったなんてことは良くある話。
形にしてからのリファインが本当に重要な工程です。それを忘れてはいけません。

そうそう、ありがちなケースについて説明しておきましょう。
一つのアイデアを思い付いたら、すぐにそれを形にしてしまうと何が起きるか。

良いのか良くないのか良く分からないものが形になって、時間切れで妥協するとか、そこで「振り出しに戻る」となって、急いでいたはずが逆に時間を失う、なんてことが良くあります。

とまぁ、こんなことも仕事を始めた頃に学んだことの一つです。
もちろん失敗を通してね。

アイデアの話

「idea(アイデア)」
古代ギリシャ語のイデアに由来します。
これは「姿」「形」「見え方」といった意味で、後にプラトンが「本質的な理念(イデア論)」として哲学的に発展させました。

とか難しい話は置いておいて。
一般的にアイデアと言えば、思いつきとか、ひらめきですね。

その元になるのは、知識とか経験による「引き出し」です。
だからお勉強が必要なんですよ。
が!
お勉強とはなんぞや?というのもあります。
単に学校で教科書から得た知識のみを指すのか?
もちろん、そんなことはありません。

と、それも置いておいて。
「引き出し」からアイデアをひねり出すために必要なものがあります。

それは、モチベーション(目的や動機)です。
ただ、モチベーションとはいえ、それも高かったり低かったりしますね。

では、その高低を決めるのは何か?
…というところまで掘っていくと、やはり行き着く先は「心」ということになってしまうのです。
どう思いますか?

「もの」を生み出す元となるもの。
それはアイデアだったり知識やスキルだったり
そういったものはもちろん大事なのですが
そもそもの「心」が原点にある。

学ぶのも、スキルを向上させるのも
そしてそれらの質を向上させて、形にするレベルも
全てモチベーションや心にかかっている
そう思うのです。

そして今、何を思ったかというと…

縄文人って凄えな
です。

何だそりゃ?

まぁ、そうで思うしょう。
たまたま、ふと思っちゃっただけなのですけどね。
一度、縄文土器や土偶を良く見て下さいな。

一体どんな心が、あの形を作るのか?
そこから現代に至る道の延長線上に未来があるわけで、我々がこの先どうしていくべきなのかというヒントが、そこにありそうな気がしてなりません。
と、そんなことも考えたりする今日この頃。