失敗に対して寛容であれ

皆が日々チャレンジすれば、きっと色々良くなって行くはず。
だって、チャレンジって、大抵は何かを良くするためですから。
皆でやったら大きく変わるでしょう。

とはいえ、そうもいかないのが現状。
チャレンジするより守りに入る。

でも、いくら守りに入っても、何も良くならないと思うのですよ。
現状を維持したところで、自分も周囲もハッピーにはなりませんよね。

で、なぜそうなっちゃっているのかというと…
何となく。気付いたらそうなっていた。
という感じではないかと思います。

であれば、それは環境の影響でしょう。

その環境を形づくるものは色々あるとは思います。
政治とか、教育のシステムとか、メディアとか?

何が原因か?と考えると、自分以外の何かを挙げるかもしれませんが、残念ながら、それらが急に改善することは無いでしょうね。
そして、他のせいにして文句を言ったところで何も変わりません。
どうしようもないところまで行っちゃったら、多少は変わるかもしれませんが。

なので、自分でできることをやりましょう。

さて、ではチャレンジできない理由の一つ。
これは我々日本人の気質の一つかもしれませんが、失敗に対して寛容じゃない。

しかし
失敗に対して寛容な環境がないとチャレンジはできない。
自らの失敗に対しても寛容でないとチャレンジはできない。

他に対しても、自らに対しても寛容さが必要です。
あくまでもチャレンジした結果に対して、ということですが。

そして「寛容」は、単に結果を気にしないということでもありません。
結果をおおらかに受け止めて、次に繋げることが大事。

結果を悲観的に受け止めて、底にフォーカスしすぎると、前に進めなくなります。
だって、「結果」はすでに過去のことなので、そこに集中しても変えることはできないし、悲観的な感情で結果をとらえると、その経験をポジティブに利用することは難しくなります。

なので、チャレンジして、結果を寛容に受け止めて、次に繋げる
そんなトレーニングを繰り返して習慣化する
そういったことなら、今すぐ、誰にでもできます。

すると、きっと個人的にも改善することは沢山あるでしょうし、仲間と力を合わせて、チーム力を発揮することもできるようになるはず。

結果に対してシビアになるのは、そういったプロセスを踏んで、実力を向上していく課程でやれば良いことでしょう。

ビギナーのうちから失敗を恐れてチャレンジできないでいたら、何もできないままになっちゃいます。

若いうちから受験での成否にフォーカスして、そのためのことばかりやっていたら、そうなっちゃうのも理解できるのですけどね。

でも、自分の意思で動けるような年齢になったら、取り返せるだけ取り返したら良いのではないかな。

「知ってる」よりも大事なこと

もちろん知っていること、つまり知識は大事です。

でも、もっと大事なのは、知らない時にどうするか?です。
だって、知っていることより知らないことの方が多いのですから。

「引き出し」は多いに越したことはありませんが、その中に「知らないときにどうするか」を入れておくのが大事だよなぁ。
なんてことを思いました。

こと、チャレンジをするなら、次々に知らないことに遭遇するのは当たり前なわけで、その際に打つ手があれば進み続けることができますね。

そしてこれ、授業では手に入れにくいことの一つではないでしょうか。

さて、ではどうやってそれらを手に入れましょうか?

やはり実戦の場数をこなす以外に手は無いのではないでしょうか。
というのも、仮に知識としてそれらを知っていたとしても、いざというときに使えるか?
それが問題なのです。

なので
知らなくてもやる
できなくてもやる
そういった経験の中で、工夫しながらものにしていく以外無いのでしょうね。

経験上、一番良いのは、追い詰められた環境です。
できれば好きなことをやる中で。
そこに身に付けたものは一生役に立ちます。

ジェネラリストが必要だ

マルチプレーヤーでも良いのですけどね。

どういうことかというと、近年の教育は専門化されすぎていて、各技術者が狭い範囲に特化しており、製品としての取り纏めが難しくなってきている、ということです。

各人が狭い領域を深掘りしていくのは、技術の向上には不可欠なことです。
しかし、広い視野を持って全体を見る目を持った者がいないとまとまるものもまとまりません。

専門の領域を得意とする人をスペシャリスト
対して、広い領域を見る人をジェネラリストと言います。

両方いないと世の中うまく回りません。

日本にはスペシャリストは沢山います。
なので、原料とか素子とか、製品を構成する要素には強い。

しかし、ジェネラリストが不足しているために、製品としての強みを持つものが減ってきているのではないでしょうか。

スマートフォンなどは分かりやすいところかもしれません。
今や売れ筋の製品は、軒並み海外製。
だけど、使用している部品単位で見れば日本の技術が入っていたりする。

自動車では、日本製が持つ強みというか持ち味が生きていて、持ちこたえています。
しかし、持ちこたえるのではなく、伸ばさなければなりません。

専門化は十分かどうかは分かりませんが、広い視野を持ち、多様な価値観を理解して、長期的な考え方ができるジェネラリストは必要です。

現在の学校教育は、目の前の受験のためなど、短期的な目標に向いているので、そういった感覚を持つ者を育成するのは難しいと思う。

幅広い知識を持っていたとしても、それは知識止まりで、手を動かす経験が圧倒的に不足していたり、言われたことをやる経験はあるけど、自らが指示したり伝えたりする側になる経験が不足していたり…
とにかくものごとへの関わり方が単調で画一的。

今になってみると
「あんた、AIと勝負する気なのか?勝てると思ってんのか?」
と言いたくなるような学習内容じゃありませんか?

それでは最終的には誰もハッピーにならないのではないでしょうか。
この状態からの脱出は、喫緊の課題だと思います。

そのためには…
自分で考えてチャレンジする
それが一番。
正解を探すのではなくね。

そんなことを繰り返していくと、ジェネラリストになるかどうかは分からない。
けど、ジェネラリストになるには外せないプロセスだと思います。