教育にはレースが一番

今日は某トップカテゴリーで活躍する某レーシングチームでレースエンジニアをやっている卒業生が遊びに来てくれました。

レースの世界は華やかだけど、そこには日本の産業界と言わず、日本の社会に共通する諸問題があるわけで
ああ、どこも困ってることは同じなんだなぁ
と実感しました。

人材の問題とか、技術の問題とか
色々あるのだけど、膨大な諸問題を解決する鍵は教育だな、というのが共通の思い。

で、やはり問題解決にレースは最適だと思いました。
もちろん、誰に対してもというわけではありませんが。

色々理由はあるのですが、端的に言うと

カッコよくても危ないので、真剣にやらざるを得ない
色々な意味でスピードが重要
他と同じことをやっていたら勝てない(価値が無い)

と言ったあたりが主なところ。

そしてその主要な部分を達成するためにやっていれば、その価値観が人生を構成するわけで。
まあまあ面白い人生になると思いますよ。

レースやって後悔したって話は聞いた覚えが無いですしね。

君はどうしたい?

学生のうちは、皆が同じようなことをやるので、せいぜい学業成績が良いとか悪いとか、そういう話に終始します。

ですが、そんなのは数年で終わって、あっという間に社会に出て、仕事をすることになるわけです。

最初は右も左も分からない状態でしょうから、言われたことをやるでしょう。
そこから本格的に仕事していくと、適性とかに応じて業務内容が割り当てられます。

例えば、クルマの仕事であれば…
開発、テスト、組立て、販売、整備
と色々な仕事があります。職種って呼ばれるものですね。
これ、クルマに限らず、産業機械でも飛行機でも、基本的な構成は同じようなものでしょうけど。

それらはどれも重要で、どれも必要です。

で、自分が志す業界、職種があるのであれば、本当にそれをやりたいのであれば、必要なことは決まってきます。
これはつまり、ゴールを決めれば必要なことは決まってくる、ということです。

大事なことは、まずそこを考えようとしているか?です。
別に難しいことではなくて、調べたり人に聞いたりすれば分かることです。
ある程度はね。

難しいのは、必要とされる(であろう)具体的な知識やスキルまでは分かっても、それを駆動するマインドとか、文字や言葉で説明できないものは分からないということです。
いわゆる経験知とかですね。
これはやらないと分からない。

よく勘違いされがちなのは、知識やスキルがあれば…と勘違いしてしまうことです。

例えば、開発の仕事をしたいと思って、力学とか製図の知識とかを身に付けるとしましょうか。
で、開発できるの?

まぁ、知識はきっと役に立つのですけど、新しいものを作るときは、アイデアとかチャレンジしながらの試行錯誤とか、創造的な活動には色々必要なものがあるのです。
ついでに言うなら、うまくいかなくても諦めずに工夫するメンタルタフネスとかも重要です。

そういうのって、業務の中でもある程度は手に入りますが、学生のうちに手に入れておいて欲しい。
仕事しながらだと、なかなか機会が無かったりするし、その辺の成長具合で仕事の面白さは大きく変わってくるから。

と、そういったことを踏まえて
自分はどうしたいか?
そのためには今、何をすべきか?
それを考えて、早めに動くと良いですね。
早く動けば動くほど、希望が叶う可能性を高められるから。

チャレンジの構造

うまくいくかどうか分からない、未経験のことをやるのがチャレンジ。
うまくいくと分かっていることや、すでに経験があることをやるならチャレンジではありません。

新製品の開発なんかはチャレンジです。
夢工房にいる学生達は、将来開発者を志しているのでチャレンジャーです。

大学で教員をやっていて興味深いのは、入学してくる学生達は、チャレンジャーとしての資質を持っていないことが多いということです。

でも、物心つくかどうかという年齢の子供はチャレンジャーですよね。
自身の興味に素直に従って、できもしない余計なことをやるでしょう。
100%自発的です。

しかしその後、環境に適合して、徐々に従順になっていって、チャレンジしなくなっていきます。
「良い子」の完成です。

学校では、全くチャレンジせずに、言われたことをキッチリやり切ったら最優秀です。
でもそれ、社会から求められているのでしょうか?

というところで話を戻しましょう。

新製品の開発にはチャレンジが必要です。
チャレンジは、外発的な動機で、覚えた知識を単に吐き出すことではありません。

多くの知識を持っていることは大事です。
しかし、それをどう使うのかがもっと重要。

その「どう使うか」は何によって決まるのでしょう?

それを知識として授業で教えたところであまり意味はありません。
なぜって、もしそれを教えたところで、教えられるものは既存のものであり、古いものであり、さらに言うなら自分のものではありません。

もちろん過去の事例として、先人の事例を知るのは大いに意味があることです。
でも、それだけでは不十分だということはすでに見えています。

というのも、本を始め、ネット上でも先人の努力や工夫の情報は山ほどあるわけで、それは日々増えていて、容易に手に入れることができる。
そういう情報に触発されて、日々チャレンジャーが増えているかというと、そうでもないでしょう?

結局は心の問題ですよね。
パッションとか、動機とか、ビジョンとかね。
そういったものが知識とかスキルとかを駆動しないとチャレンジはできない。

道徳教育などはとても大事だと思うのだけど、そちらはどちらかというと「静」の心の動きですよね。
でも、「動」の心の動きも育まないとバランス悪いと思うのです。

しかし!
ですよ。
分かります。

パッションとかチャレンジとかはね、面倒なんですよ。
労力必要だし、うるさそうだし、リスクがありそうでしょう?
うまくいくかどうか分からないけどやるって、そういうことですから。

何事にも負の側面というか、ダークサイドはあるわけで、そういったことも含めて飲み込まないと、教育ってうまくいかないんじゃないかな。
なんてことを偉そうに考えてみました。

「できることをやりなさい」
よりも
「できるかどうかは、やってみないと分からないじゃん!」
の方が楽しいと思うのですけどね。
新製品とか新技術の根源にあるのは、そういう気持ちでしょうし。

というわけで、夢工房の学生達は、日々自分の心と向き合って、チャレンジャーとして成長していくわけです。