日本の強みを活かすには

夢工房では未来のエンジニアを育成していて、もちろん彼らには高い価値を生み出すエンジニアになって欲しいわけです。

でも
何をもって「高い価値」とするか?
どうやってそれを形づくるか?

その辺についてちょっと思っていることをお話ししましょう。

果たして「高い価値」は何でできているか?

色々あるとは思いますが、詰まるところ独自性かな、と思うのです。
性能やら、品質やら、信頼性やら、と色々指標はあるのですが、それらは他と同じでは意味が無いわけで、突出すればそれは「独自性」となるでしょう。

基本的な科学や工学の知識なんてのは、もちろん重要なのですが、それはほぼ世界共通なわけで、それで独自性を発揮できる領域まで行っても良いのですが、やはりそれとて、いずれはライバルが追いついてきて独自性を失います。

そして、形式的な知識は大事なのですが、何度も言っているように、我々が作り出す「もの」は、一体どこから作り出されるのかを辿っていくと、「心」に行き着くわけで、思いやら考え方やら、そういったところが根源にあるわけです。

なので一番良いのは、我々日本人のの持つ独自性を強みにすることでしょう。
それを認識して、ブラッシュアップして、未来に繋げていく。
それは絶対に必要なことでしょう。

ところが、それは我々には見えにくい。
なぜかというと、それは我々にとっての日常であり、普通だったりするから。
普通のことなんて意識しないから見えないのです。

それを見るには何が必要か?

一つは、古来からの習慣、風習などの再認識が必要かな、と。
当時の日本人は、何を考えて、何をしていたのか?
そこに潜む、ものの見方、考え方を理解するのは大事なことです。
我々日本人のオリジナリティの根源はそこにあります。

そういったものを知るために、本を読むとか、人の話を聞くというのは有効でしょう。
にしても、やはり我々にとっての「普通」のことは十分見えてこなかったりします。
普通のことなんて、あえて書かない、あえて言わない、というのはあるでしょうから。
なので、十分とは言えない。

そこで目を付けたのは、我々日本人では無く、イギリスの女性探検家、イザベラ・バードの冒険記。
彼女は明治時代に、東京を発って北海道まで単独で旅をして、その記録を残しています。
そういった「外からの目」からは、我々には見えない日本人の特長を、ある程度は見つけることができます。

最近目を付けているのが、縄文時代の遺物を始めとした遺物です。
土器や土偶などの出土品、これらは、いまだに何のために作ったか良く分からないものが多数あります。
それらは決して稚拙なものではなかったりします。驚きです。

そして忘れてはいけない重要かつ強力な独自性。
それは現存する最古の国家である、我が国と天皇の歴史です。
ここには、我々がものを考えるに当たって重要な、根源的で強力な何かがあるのは間違いない。
けれど、それはあまりに日常であって、意識しなければ見えないし、感じられなかったりするのです。

と、色々考えているのですよ。
これ、今だからこそ大事なのではないでしょうか。

やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

「やってみもせんで何が分かる」
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。

仕事への向き合い方

自分にとって仕事とは何なのか?
そもそも仕事って何なのか?

そういったことを考える機会は、ありそうで無いもの。
世の中には、いくらでも社会人がいるので、いくらでも繋がりを持って、話を聞けそうなものですが。
何か不思議です。

自分の学生時分を思い出してみてもそう思うのですが、幸いにして私の場合は良い話相手がいました。
大学生の時は、レースに明け暮れていたので、資金稼ぎのために色々アルバイトをしました。
今思い出してみても、何をやったか全て思い出せないくらい。

その中の一つ、最終的に落ち着いた手作りハム屋さんの店主と話す中で、仕事に対する基本的な価値観を構成した気がしています。

その人、本場ドイツのコンテストで金賞を獲ってしまうような人だったので、スキルのレベルは当然高かったのですが、何より仕事に対してはかなりシビアな考え方をしていました。個人事業主なのでなおさらでしょうね。

店主と奥さん、そして私の3人で、仕込み、作り、販売と、全てやるので大変です。
時として製造機械の修理やメンテナンスも自分達でやったりしました。

地域の人気店だったので、もの凄く忙しかったのですが、店主は楽しそうに仕事をするのですよ。
でも、仕事の合間には、色々と深い話をする機会がありましたし、ことあるごとに色々な人に合わせてもらいました。同業者、アーチスト、孤児院の院長先生、お坊さん、チューニングショップの経営者…。

やりたいことがある、という話をすると
「なんでやらねぇんだよ。すぐやれよ」

愚痴を言うと
「だったら何でやってんだよ。おもしれぇのかよ」

話はいつもそんな調子。
即断即決で、超ストレートです。

ある日
「おい、これ食ってみろよ」
と手渡された、できたてのウインナー。
世の中には、涙が出るほど美味い食べ物があるんだ、とその時知りました。
そして、好きなことを手抜きせずに全力でやると何が起きるのかを学ばせてもらいました。

「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」なんだなぁ、と。

多分このアルバイトの時に
仕事ってこうやるんだ
という価値観の土台ができたのだと思います。

残念ながら、その店主はずいぶん前に亡くなってしまいましたが、社会に出る前にそういう人に出会えたのは、本当に幸運だったと思います。
恐らく普通のアルバイトでは、こういうことは無かったでしょう。

そしてこれが私にとって、最初の人生の師と言える人との出会いで、この後、佐野彰一先生と出会うまで、何人かの師匠的な人との出会いがあるのですが、今になって思うのは、「自ら動かずしてこういう出会いは無い」ということです。

夢工房での活動でも、自分達が作った機体が動いたとき、学生達は感動を味わっています。
そして彼らも
好きなことを手抜きせずに全力でやると何が起きるのか
を知るのです。

それはまさに仕事に対する価値観がシフトする瞬間です。
その学びは、人生全体にわたって影響を及ぼすはず。