結局は熱量なんだよ

一体どうしたらハイレベルなものづくりが、ハイレベルなチャレンジができるのか?
それを明らかにして適用するのが、私の業務上のミッションです。

恐らく一般的には
学校での教育による知識の獲得が…
ということになるのでしょう。

でも、それは本当だろうか?

アカデミックな世界にいる人達は
「知識こそ全て」
となりがちなのかも知れません。

エンジニアリングの世界にいる人も
「知識がものを言う」
となりがちなのかもしれません。
いや、それに加えて「経験が…」となるかな、

いずれにせよ、もちろん知識は重要です。
しかし、これまでの様々な業務経験から
知識さえあれば良い仕事ができる
とは言い切れないことは断言できます。

言ってみれば、知識は道具のようなもの。
それをアイデアに変換して
実現に向けて駆動するのは何か?

それは「熱意」でしょうね。
ついでに言うなら、「主体性」もそこから発動します。
「動機」は、何かに取り掛かる際には、すでに存在するので、ここでは際除外します。

しかし大問題があります。

その「熱意」を
一体どうやったら強化できるのか。

それが大問題。

十分な知識を得てから…じゃなくても良いのでは?

やりたいことがあって
それを
「やりたい!」
と言ったら

「じゃあ、勉強できないとね!」
と来るわけだけど…

子供の頃、そう言われませんでしたか?

果たして、それは本当か?

もちろん、それもアリだとは思います。
しかし、それが全てか?と言われると
そうは思いません。

もちろん
この場合の「勉強」は
広い意味の「学び」では無く
知識(だけ)を得るための学校での授業のこと。

でも
十分な知識を得るために
必要かどうかよく分からないことを一所懸命やるうちに疲弊して
いつの間にか夢を諦める
というのはよくある話。
本当に本当に、よくある話。

なので、こう思うのです。

とにかくまずは
やりたいことをやってみて
「うまくいかなかった
でも、何とかしたい!」

これで良いのはないかと。

「でも、何とかしたい!」
という気持ちが発生することが大事だから。

最も重要なのは「強い動機」
それを自ら生み出すことが最も大事で
その時点で本当の学びが始まる
そういう設計にすべきではないだろうか。

一頃盛り上がった「ものづくり教育」の本質は
実際に手を動かしてものを作ってみる…
ではなく
まずは、やりたいことをやってみて
思い通りにならない機会をつくること
それによって強い動機をつくることだったのではないか?
なんて思うのです。

完璧主義だとできない理由

「正解主義」と言っても良いかもしれませんが。
そういう考え方をしていると、いつになってもできないのですよ、という話しです。

これは、ものを作るとよく分かります。

完璧にやるため(正解を導き出すため)に、「考える」プロセスの結果に対してハードルを上げてしまう。
その結果、実際に作る前に考えるプロセスが長期化する。

なので、実施に「やる」部分が先送りになり、その結果、できなくなる。
先送りしたものの多くは忘れ去られるか、心の奥底に沈殿して、動かないものになります。

勉学による知識の習得の経験しかないと正解を導き出すことがゴールとなるので、そうなりがちです。

完璧など求めずに、「やるべきだ」と思ったらすぐやる。
その結果は甘んじて受け入れ、その現状を評価して、次のアクションを決めれば良いのです。

なのですが…
「結果は甘んじて受け入れ」が難しいのです。
だって、これまでの経験上、不正解だと点数にならないことが身に染みついていますから。

失敗を避けて、経験の数を最少にする
一見、効率が良さそうですが、価値は最小化します。

やってみて得た結果と、その経験こそ価値があるのです。

「やるべきだ」と思って、思い通りの結果が得られるかは分からないけど、先送りにしてできなくなるよりはずっと良いはずです。
先送りにするということは、機会を、チャンスを逃がすということですから。
そうして、人生は「ツイていない」ものになるのです。

チャレンジしましょう。