なぜ「すぐやらなければならない」のか

なぜ?
それは簡単。

すぐやらなければどうなるか?
次の何かが発生してしまう

  • 仕事が溜まっていく
  • ニーズが無くなっていく
  • 熱量が低下していく
  • 時間切れになる
    などなど

ってな感じで
ますますできなくなるのです。

あと
「失敗しないように、よーく考えてから」
って聞くでしょう?

人に言われて
よーく考えていると
冷めるんですよ。

そもそもね
「失敗しない」ためにやるわけじゃないのですよ、チャレンジは。

「うまくいく」がゴールなはず。

そのためには
すぐにやること

考え無しにやる
ってのは論外だけど
いかに行動までを速くするかというのは
重要なポイント。

そして
トライ・アンド・エラー
が必要。

それがいつの間にか
「失敗しないように」
にすり替えられてしまう。

例えば、学生がやってるレーシングカーの開発なんかは分かりやすい。
勝つためのマシンを作りたいと思って始めたのだけど…

いつの間にか
ちゃんと動くだけのマシンを目指していた
みたいな感じ。

トラブルは起きない
けど勝てない
みたいな。

そこから性能を上げていけば良いのでは?

それは不可能ではないかもしれないけど
とても難しい。
だってチャレンジできないのだから。

それまで強化された
「失敗したくない心」が
チャレンジを許さない。
しかも自動的に。

「失敗したくない」
で、結果として
「できなくなる」
わけだけど

それが習慣になっていくと
そこにあるメリットに気付き始める。
これも多くは無意識だけど

諦めるのと引き替えに
やらなくて済む
というメリット。

挑戦しなくて済む
失敗しなくて済む
批判されなくて済む

ここにハマると
なかなか抜け出せない。
本能は、理屈なんか超越する強さを持ってるから。

世の中には
よーく考えてうまくいく人もいるように見える。

でも、それでうまくいく人って
実は、経験に裏打ちされた思考があったりするのだけど。

やってみなくても分かる
そのために学問は、知識は役に立ちます。

でも、どこまで行っても
やらなければ分からない事は存在します。

文字や言葉や数式では伝えられないことがあるから。

それらは
すぐにやらなければ手に入らないのです。

バカになれ…るかい?

「やる」と言っても色々あります。

  • すぐやる
  • なるべく早くやる
  • そのうちやる
  • いつかやる
  • できればやる

長いこと学生と付き合って観察していると
どうすればできるか
または
どうなるとできないか
なんてことが分かってきます。

というか
自分と対話すれば
ある程度分かるのですけどね。

色々ある「やる」のうち
できるのは

すぐやる

だけです。

なるべく早くやる
いわゆる「なるはや」です。

それは
「今はやらない」
という意味でもあります。

そのうちやる
これも
「今はやらない」
です。

いつかやる
これも
「今はやらない」
です。

できればやる
これはもっとたちが悪い。

できなければやらないのです。
やらなければできないのに。
もう訳が分かりません。

「今はやらない」
は、なぜか?

心のどこかに
やりたくない
があるからです。

その根底には
面倒
とか
失敗したくない
とか
色々あるでしょう。

でも、結局
すぐやらない事なんてできないのです。

人を見ていると分かります。

すぐやる人は
色々できることが多い。

失敗も多いので
経験豊富で引き出しが多い。
非言語的な能力が高いケースも多い。

ま、そんなものですが…

分かっちゃいるけど…
ってところでしょうか。

シンプルだけど、難しい。
実行するには勇気もパワーもが必要です。

では、どうしましょう?

「バカになれ」
ってよく言うでしょう?

ま、そういうことですよ。

我々にとってAIの存在は?

AIのチャットに続き
AIエージェントなるものが使われ始めています

チャットでも、ちょっとした資料を作ったり
プログラムのコード生成なんかはできますが
エージェントになると、ちょっとレベルが違いますね。

最近、今まで敬遠していたAIエージェントを使い始めたのですが
なるほど、こりゃ仕事に使えるな
と実感しました。
まだまだ浅い使い方ですが、違いは実感できました。

それらを一通り使って思うのは
AIに何をさせたいのかというビジョンを持てるか
というのはもちろん
やはりプロンプト(命令文)を書くにもスキルが要る
ということです。

何をさせたいのか不明確な指示で
思い通りのものを生成させる
というのは、いささか無理があります。

でも、不明確で不十分な指示でも
そこそこのものができてしまうのも事実なのですけどね。

で、思ったのは
バイクと同じだな
ということ。

よく言われるのは
高性能バイクに乗るのは良いけど
乗りこなせない状態を
「バイクに乗せられてる」
なんて言います。
それでも、そこそこ走れちゃうものです。

AIツールも一緒ですね。
使ってはいるけど
使いこなせない状態
それでも、そこそこ役に立ってしまう。

その状態を
「AIに使われてる」
と言うべきかは分かりませんが。

でも、生成AIに疑問・質問を投げて
回答に従う状態は
「使われてる」
のかもしれませんね。

というわけで
AIとのお付き合いも

使われる人
使う人

と、二極化しそうな気がします。

あとは
そんなの使わん!
と言う人もいるでしょうね。

さて、果たしてAIは
我々に何を与えてくれて
何を奪うのでしょうか?

我々にとって
どういう存在なのでしょうか?

それは
それなりの年月を付き合ってみないと分からないでしょうけどね。

先生がAIで問題を作って
学生がAIでそれを解く
なんて冗談みたいな時代がやってきそうな…

過渡期には、それに似たような事になりそうな気がしなくもありません。
というか、すでになってる??