失った文化の話 その1

アメリカのアップル社で
一躍有名になったビジネス手法に
ファブレス
というものがあります。

これは
ファブリケーション・レス
つまり社内で製品そのものを
製造しないということです。

企画と設計、販売はします。
でも、製造は外部に委託する。
なので製品には
Designed by Apple in California
と表示されています。

で、どこで作られたかは
Assembled in China
Assembled in Vietnam
Assembled in India
とあります。

「Assembled」は最終組立地です。
製品を構成する細かい部品単位で見ると
それはもう様々な国で作られているわけです。

ファブレスのビジネスでは
企画・研究開発 → 設計 → 部品製造 → 組立 → 流通・販売 → マーケティング・サービス
と、いわゆるバリューチェーンの上流から
下流に行くに従って付加価値や
利益率の大きさをが変化します。
このようにグラフで表すとU字型になっていて
「スマイルカーブ」と呼ばれます。
ニッコリした口のようだからですね。

ファブレス企業は、このバリューチェーンのうち
利益が大きい上流の企画、設計
下流の販売以降を握っています。

で、中流部分は
人件費の低い国に任せる。

すると、良いものが
お安くできて
利益率も向上します。

従来は、一つの国の社内で
全ての工程を持っているのが普通でした。

それを初めて変えたのがアップル
というわけではありませんが
有名にして、その流れを主導したのが
アップルと言って良いのかもしれません。

人件費の安い他国に依存して効率を向上させるのは
ビジネス的には正解なのでしょう。
今や多くの会社が
そういうスタイルで仕事をしています。

しかし…です。

続く

価値はどこにあるのか その5

価値を作るスタート地点は

そのために何を
どこまで払うか
それを自分で決めること

そういうことなのだと思う。

とはいうものの
それらに対して許容できる
ボーダーラインがあるでしょう。
それは人によって様々。

何をやるかだけでなく
どこまで踏み込めるか
それが価値の大きさを決める
そんな側面もあるということです。

戦争の時代を生きてきた人達は
死へのボーダーラインを知っています。
なので
しんどいことに対しても
「死ぬわけじゃあるまい」
と言えます。

私の親や子供の頃の先生は
戦争を経験した世代です。

艦上機からの機銃掃射で
友達が撃たれて死んだ
とか
空襲で近所の人が皆死んでしまった
とか
そういう世代です。

皆が同じ方向に逃げたがめに
爆撃で皆が一度に死んでしまったとか

そういった経験を元に
ボーダーラインを決めていたり
皆と同じことをしない
という価値観を持っていたりします。

なので
リアルな感覚を元に
「生死」を基準にできます。
もちろん人にもよりますが。

私が子供の頃は
喧嘩や体罰が
さほど珍しくありませんでした。
それは私のデキが悪かったから
というのもありますが。

ともかく
「肉体的な苦痛」が身近で
それを基準とできる。
もちろん人によります。

今は、肉体的な攻撃はもちろん
言葉ですら気を遣う必要がある
そんな世の中です。

なので
「精神的な苦痛」に敏感です。
もちろんこれも人によります。

結局、人それぞれなのですが
各世代が持つ
大まかな基準があります。

そういった世代間の価値観や認識の違いが
ジェネレーションギャップです。

世代が離れれば離れるほど
相互の理解が難しくなります。

今の若い世代に
「生死を基準にものを考えろ」
と言っても難しいでしょう。

ともあれ
「怖い」
「もう無理だ」
と感じるボーダーラインは
生まれつき固定されているわけではありません。

経験によって、その線は動き
どこまで頑張れるか
というボーダーラインが決まる。

そのボーダーラインによって
同じことをやったとしても
パフォーマンスが
成果が
価値が決まってくるのです。

限界まで行ったことがなければ
自分の限界がどこにあるのかは分からない。

そして
その限界の向こう側に
他人が簡単にはつくれない価値があるのです。

…と、言うのは簡単ですが
やるとなるとこれがなかなか…。

人生は修行ですね。

でも、どうせやるなら
自ら好んでやる修行にしたいものです。

価値はどこにあるのか その4

「価値をつくる」
ということは

失敗
面倒
苦労
恐怖
悔しさ

などを感じるリスクを
「他人のため」に
どこまで背負えるか
ということでもある。

「自分のため」では
他から見たら価値は無いですから…

と思っているのですが
そんな話をすると

そのために
悲壮な覚悟や
犠牲的な行動が…

と思ってしまいませんか?

そうではありません。

悲壮な
とか
犠牲的な
なんて奴隷的な感情では
継続は難しいし
大きな価値も生み出しにくい。

しかし、なぜそう思ってしまうか?

それは日頃から
やらされる行動ばかりだから
ではないかな?

でも、そうではなくて

様々なリスクは
「自ら望むこと」
つまり
「やりたいこと」の中に
含まれているのが理想です。

好きなことでも
突き詰めていけば
必ず壁にぶつかる

そういうものですし
そういうレベルまでチャレンジしてこそ
価値になるのです。

そして
その結果
相手が喜んで
自分も喜ぶ。

そうじゃないとやってられません。

もちろん
何に対して「快」を感じるか
というのも重要なポイント。

他人が恐怖や不快感を感じているものに対しても
自分はそうでなかったりするし
むしろ楽しかったりするなら

それは独自性であり、優位性であり
価値の「入り口」です。

なのでむしろ、そういうのは
他人と異なっていた方が理想的。

やりたいことにチャレンジする
でも
いずれ壁にぶち当たる

そこで感じるのが
冒頭の
失敗
面倒
苦労
恐怖
悔しさ
であれば
それは決してネガティブなことではなく
何かを失っているわけでもありません。

そういう経験そのものが
次に価値を生み出すための
自分を作るのは確かでしょう。

それが成長であり学びです。