リーダーはリードする…のだよ

「リーダー」を辞書で引くと
「指導者」とあったりしますが、それはリーダーの果たすべき役割の一部ですね。

一般的に、リーダーの役割は、人々をまとめ、導くこと
という認識でしょうか。

何に対して導くのか?
それは、未来に設定したゴールに対してです。

複数人のメンバーに対して、リーダーは一人。
なので、リーダーシップを持つのは一人で良い?

確かに集団を束ねるリーダーは一人が良いでしょう。
「船頭多くして船山に上る」とも言いますし。

しかし、相手が人に限らず、仕事をゴールへリードしていく資質というか、気概というか、そういったものは多くが持つべきです。

複数の学生で何かを作るようなプロジェクトの場合、複数の担当パートからチームが構成されていたりしますが、それぞれのパートが
「これは任せろ」
と自身の仕事をリードしていくようでないと、良い成果は出せません。

これは「責任を持つ」ということになるでしょう。
で、その責任を全うするために、自身の仕事のコントロールをしたり、リスクのマネージメントをしたりする。
とても大事なことです。

しかし最近
リーダーとしての資質やマインド、リーダーシップを持つ者が少ない
そう思いませんか?

そりゃそうだ。
言われたことができるようになるトレーニングばかりしていればそうなるでしょう。
言われたことをやるのも重要ですが、それはフォローであってリードでは無い。全く逆です。

優秀なフォロワーになる教育を、どこまで強力に推し進めると、優秀なリーダーが誕生するのでしょうか。
そりゃ無茶だ。

これは邪推かもしれませんが、もし、皆が平等で公平で均一で均質に…というトレーニングをされていたら…?
そうで無いことを願いますが、皆が同じように先生の言うことを聞いて、同じように行動する…というロジックになっていたとしたら、リーダーシップを取るのは先生以外許されませんので、結果としてはリーダーシップを育むことは不可能でしょう。

そして
リスク回避が、賢くて、お得で、それが正義だ
という価値観が幅を利かせていたりもする。

失敗するとリーダーは吊し上げられて攻撃されるというビジョンは容易に持てるわけで、そういう価値観を持つのは当然でしょう。

そういった単一的な見方になるのは、責任に伴うメリットが見えないのが問題ではないかと思います。
というか、責任を持つことに対するメリットを与えないのが学校でもあります。
そもそも、学生に責任を持たせないのが基本的な方向性でもあるわけで。

リーダーには責任がある。自由は責任を伴う。
これは言い換えればリスクがあるということでもあるが、そのリスクを負うことに対するメリットが無い。

それが無ければ、モチベーションが上がらなくて当然でしょう。

というわけで、このような現状を作り上げているのは環境です。

え?先生だろ?
と言いたいですか?
そうかもしれません。

でも、先生だって学校の方針に従っているわけで
学校だって文科相に従っているわけで
文科省だって政府とか過去の事例とかに従っているわけで…

なのですが!
自分以外の何かのせいにしても、何も良くなりません。

なので我々は、自分達にできる範囲で何とかしていく必要があります。
もちろんそこにもリスクはありますが、何かを得ようとしたら、リスクを払うのは当然のことです。
何を払って何を得たいのか
ということを明確にする必要があります。

ただ、学生に関して言うなら、払ったリスクに対する見返りが得られる日は来ます。
もちろん保証は無いけど、チャンスは来る。

それを信じて、組織に限ったことではなく、自身を、仕事をリードできるようになると良いですね。

先延ばしの恐ろしさ

やらなければならないことを後回しにする先延ばし。
これで一時的な安心感や快適さを得ることができます。
多くの人が経験していて、ヘタをすると日常の行動パターンの一つになっていたりもするでしょう。
私も日々戦っています。

先延ばしにすることの多くは、些細なことだったりします。
些細なことだけに気軽にやってしまいがち。
そして、それは習慣になる。

しかし、先延ばししたものは消えて無くなるわけでなく、確実に未来に蓄積します。
時が来ると、蓄積した先延ばしは、手に負えないモンスターになって、未来を押しつぶします。

大抵のものごとは、時間が経てば立つほど、重要な局面に突入していき、必要な労力が増大して、なおかつ冷静な判断が必要になったりします。

先延ばしモンスターが登場するのはそんな時です。

その結果、結果的にストレスが増大し、精神的な負担が重くなって、多くを諦めたりせざるを得なくなり、自信を失ったりする。

これが習慣になっていたりすると、負のサイクルが回り続けて、新たなタスクに対するモチベーションが低下し、さらに先送りを繰り返してしまったりする。

さぁ、どうしたものか。

これ、私が開発の仕事をしているときに直面して、解決すべき課題としていた事の一つでもあります。

日々、あまり意識せずに先送りしている一見小さなこと、これをすぐに処理しておけば、多くのことがうまくいきます。
当たり前のことなのだけど、これがなかなか手強い。

だって、小さな些細なことなんて、「後でいいじゃん」って思いがちでしょう?
誰もそいつが後にモンスターに成長するなんて思いませんものね。

モンスターは、小さいうちにやっつけておくに限る!

叩き台って知ってるかい?

叩き台(たたきだい)

社会に出た時、特に開発の仕事をするようになった時に、よく聞くようになった言葉の一つです。

辞書にはこうあります。

(バナナなどの)たたき売りの際に使う台。転じて俗用で、今後、審議・検討する原案となるもの。

正直、バナナのたたき売りが語源とは知りませんでした。
ということは、そんなに古い言葉じゃないようですね。

え?
バナナのたたき売りって何だって?
まぁそうでしょうね。
私の世代でも、実際に見た人はあまりいないと思います。
興味があれば、YouTubeなんかで確認して下さい。

で、叩き台って何だ?ということですが。
あらすじというか、下書きというか、大まかな方向性とかを知るためのものと思ってくれれば良いと思います。

何かの企画とか、開発などの、色々なプロセスを含む長期的な計画においては必須と言っても良いでしょう。
その叩き台を早期に関係者に提示して、方向性などを確認するのです。
それによって、おかしな方向に進んだり、迷走したりするのを防げます。

多くのプロセスを含む長期的な仕事では、早期に方向性や内容を確認しておかないと、とんでもないことになります。
「完成したら提示する」なんて言っていて、提示した時点で「振り出しに戻る」なんてことになると、時間切れで計画が一発で破綻します。

なので、手早く概要をまとめて、ラフでも良いので内容を提示して、その後について検討する。
「えーっと、現状では、このゴールに対して、こんな方向性で、こういった内容で行くつもりなんですけど、アレとかコレが要検討項目なんですよね」
ってな感じですね。

ところがこれ、学校ではやらないでしょう?
出された問題に対して、自分一人で正解を出す、という文化ですから。
基本的に、できたものを提示しないと評価されませんからね。
未完成のものを提出したら怒られたりするわけで。

なので、何かしらのプランを検討するときなんかは、いきなり「清書」をしようとする。
もちろんそれには時間がかかります。
で、時間をかけた末に
「あー、これじゃダメだね。でも時間切れだね」
みたいな結果になりやすい。

プロが叩き台を使うのは、もちろんそれを他に提示するためです。
そして、組織の力を使って…まぁ上司とか関係者とか、他人の力を使って、ということですが、そうやって形にしていくわけです。
もちろん、他に提示しないで、個人的にやっても良いのですけどね。

学生のうちにそういったスキルを身に付けるには…
そりゃ実際に経験するしかないわけで、何かしらプロジェクト的な活動をする必要があるわけです。

というお話しでした。